2013年8月21日

使命


夜、NHKの「真夏の夜の美輪明宏スペシャル」を観ていました。
何が己を突き動かすのか、その問い掛けに
使命感と無償の愛だと仰っていたのが印象的でした。
この世に生を受けた者全てに与えられた使命、
それを邪魔するものが劣等感なのだという言い切り方は
おそらくこの方じゃなければ口にできないことでしょう。
その決め台詞に嫌味を感じさせないのが人徳なのだと思います。
言葉の力を感じた、そんな夜でした。

使命感などと、私が口にするのはおこがましいことですが
一年ぶりに歌への意欲が湧き起こったのも
突き詰めると、それに似たようなものなのだと感じるのです。
音楽に理由などありませんが、そこで歌い奏でることの必然はあります。
何故いま歌わなければならないのか、明確な答など無くても
体が歌を欲する必然性は、使命が呼び起こしてくれたに違いありません。
そんな風に思えるんです。

ここ三日間ほど、かなり追い込んでみました。
発声は七分くらいですが、ギターは指が痛くなるまで弾き続け
汗とピッキングで新品の弦は完全に死んでしまいました。
試運転としては手荒なやり方ですが、一度これをやっておくと後が楽になります。

実は今回、楽器の調教も兼ねていまして
新たに加わったEpiphoneを鳴らし込む必要もあったのです。


GibsonのBlues Kingをコピーした、トップ以外は合板の安物なんですけど
ミディアムサイズで胴厚の薄いボディは出音が軽くて歯切れがいいんです。
現在の中国製のEpiphoneは、どれもまともな音が出ませんし
私が持っていた物も全て手放してしまったくらいですが、
たまたまWEBで見掛けたショートスケールのこれは使えそうな予感がして
工場から入荷するまで数ヶ月待って入手した代物なんです。

早々にがっつり弾き込むという、かなり手荒な洗礼を与えてしまいましたが
期待してるんですよ、この子には。
何らかの使命を帯びて私の処へやって来た筈ですからね。

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2013年8月20日

復活の兆し


暑い暑いとボヤキながらも
ふとした瞬間に季節の移ろいを感じるものです。

今夜の月を眺めていると
雲間に秋の気配が漂っていました。

さて、某所で漏らしてしまいましたが
一年ほど引き篭もっていた私、10月に歌うことになりまして
只今(慌てて)その準備に励んでいる次第です。

自ら選択した長い休業期間、
これを世間ではブランクと呼ぶのでしょうけど
要は、歌いたくなっただけのことです。
こんな気分になるまで、気長に待っていたというか
己の肉体ではありますが、気持ちが昂らなければやって行けないのです。

昨日今日と、かなり集中して良い時間を過ごせました。
馴染みの古い曲は少々の(私自身の)温度差を感じてしまい
その幾つかを大幅に焼き直す結果となりましたが
たぶん一年間の封印で風味が変わってしまっていたからだと思います。

即興で、わずか30分ほどの間に新曲も出来上がりました。
久しぶりに(本気で)歌ってみて気付いたのですが
今の私、妙にポップス志向になってます(笑)

詳しくはいずれまた、
こちらの仕上がり状況を見ながらお知らせ致します。
復活の兆し、乞うご期待!!

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2013年8月16日

九試単戦と紫煙、そして風

「風立ちぬ」ようやく劇場に足を運ぶことができました。
空を飛ぶ美しい姿を追い求めた堀越二郎の飛行機作りは
決して兵器として当時の戦闘機を見ることの無かった
私たちに共通した理念と憧憬を感じられたのが嬉しい限りです。


三菱九試単座戦闘機、当時としては画期的とも言える
逆ガル型の主翼を持つ試作1号機のテストフライト。
その美しい機体が空を舞って以降、九六式艦上戦闘機を経て
やがて名機と呼ばれた零戦が誕生するのですが、
物語は九試単戦の試験飛行で終わり、その後の大戦を描くシーンも全くありません。
飛行機作りに情熱を燃やした男と運命の女性との出逢い、そして別れ。
そこに吹く風の描写がとても清々しく、どうしようもない悲しみに包み込まれてしまいます。

ちなみに、先日話題になった日本禁煙学会の要望書。
彼らが言う通り、随所に頻繁に喫煙シーンが出てきました。
愛煙家である宮崎監督のささやかな抵抗かも知れませんね。
皆、旨そうに紫煙をくゆらせていましたもの(笑)

けれどそれらはごく自然な流れの中でのひとコマ、
昭和という時代を描くにはそれでいいんです。

劇場から外へ出て、夕暮れの空を見上げながら吸った煙草の実に旨かったこと。
秋の訪れを予感させる、心地好い風が吹いていました。


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2013年8月14日

お門違いも甚だしい

たとえば末期癌の人間が
もう先は無いんだからと
己の意思で煙草を吸い
酒を飲んだとしよう。

仮にそれがTVのドキュメンタリー番組で
その光景が全国に放映されたとして
喫煙を助長する内容だと苦情が来るだろうか。

生から見放された一人の人間の生き様に
口を挟める者が居たとしたなら
それこそが善意を装う偽善者に違いない。

映画や小説、歴史上の人物の写真や肖像画には
煙草をくゆらす姿や情景が描写されることがよくある。
表現の形として、そこに「煙草」が必要なことは多々あるのだし
芸術の正当性として、とやかく言われる筋合いのものでは決してない。

明治、大正、昭和にかけてのこの国の動乱期、
その歴史の中の人間を描くときに
もくもくと煙を吐く者たちの姿には、むしろ必然を感じる。
それが当たり前の時代だったのだから。

「風立ちぬ」の喫煙描写に物言いをつけた日本禁煙学会というNPO法人、
彼らの要望書を目にしてとても不愉快な気分になった。
お節介も甚だしいし、苦情を趣味とするクレーマーと何ら変わりない。
ホームページも覗いてみたが、今どきこんな悪趣味なデザインがあるのかと驚き
中身は自己満足と揚げ足取りの文字で埋め尽くされていた。

こんな輩に芸術を語る資格など全く無い。



要望書 http://www.nosmoke55.jp/action/1308kazetatinu.pdf

日本禁煙学会HP http://www.nosmoke55.jp/

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2013年8月13日

FM


月曜から始まってます。
「大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート4」
軽妙なトークで歴史を掘り下げ
いったいどこから仕入れたのか、裏話も満載です。

NHK-FM 午前0:00〜0:50(月曜~金曜深夜)
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=09_0126

今夜も楽しかったあ。
お聴き逃しなく!!

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2013年8月12日

Rain

夕刻の激しい雷雨、天が牙を剥いたような凄まじい勢いでしたが
皆さんのお宅は被害に遭われなかったでしょうか。
石神井在住の友人や、杉並の地面下で営業されてるお店とか
東京の北西部には知り合いが多いので心配になります。

私の家の辺りは雷鳴が轟いた時間帯はありましたけど
さほどの雨量もなく停電にもなりませんでした。
夜になって日付が変わる頃、再び空がゴロゴロと鳴り始め
今はザアザアとやや強めの雨が降っております。

3週分の「あまちゃん」の録画を居間のテレビで一気に観る娘と
蒸し暑い2階の寝室で安眠する女房と
女二人がエアコンを使用中なので、悲しいかな私の部屋は冷房できません。
サッシを全開にして風を取り入れ、雨音を聞きながらパソコンに向かってますが
これ以上雨脚が強くなると締めなければならず、困っておるのですが・・



こんな夜はビートルズのレインでも掛けちゃいましょう。
やはりこの時代はモノ・マスターが一番ですよね。



本日の松島病院での診察結果、膿は溜まってないようです。
少々傷みがあったのは、切った箇所の傷が完全に塞がってないからだそうな。
マイペースで淡々と無表情に語る女医さんがそう申しておりました。
この先生、台本棒読み口調なので
話の途中で質問を被せるとちょっと嫌な顔をします。
(初診のエコー検査とメスを入れた女医さんは優しかったのになあ・・)

完全に治すには膿が溜まる袋を除去しなければいけないらしいのですが
一泊か二泊の入院が必要とのこと。
急を要してはいないので、月末に再診を受けてからゆっくり考えてみます。

あ、雨が少しだけ小降りになった。

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2013年8月11日

夏が背中で


殺人的な猛暑と豪雨、
何やら我々人間の犯した罪に
自然界が怒り狂っているかのような気もします。

私、明日は休日なのですが
憂鬱なことに松島病院へ再診に行かねばなりません。
切られて膿を出して、それで終わったようなつもりでいましたが
どうやら再び膿が溜まってきてるようなのです。

どのような審判が下されるのか、それを考えるとちと怖い。
入院・・手術・・
きゃーっ!!臆病者の爺はビビッてます。
医療費も馬鹿になりませんしねぇ。

液晶テレビが遠退いて行く。。(ToT)

臆病者、といえば
若い時分に作った歌を想い出しました。
逸る気持ちとは裏腹に、
夏の容赦ない陽射しを恨めしく思っていたのは
今も昔も変わってない気がします。



夏が背中で舌を丸めて嘲笑い出すと
乗り遅れやしないかと
僕は駅までの路をひた走るんです

夏が肩で風を切って歩いていても
追われる者の臆病風は
自分の足を切り落とすんです

まだ間に合うはもう危ないなんて
熱に魘されうわ言のように
繰り返す僕はしどろもどろさ
地べたに這い付くばって

にょろりにょろりと汗を拭き拭き歩き出すと
コンクリートの街並みが
ぐにゃりぐにゃりと舞い踊るんです


「夏が背中で」


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