2011年6月26日

あの時代

髪を短くして、鏡を見る度に思うことがある。
顔付きが親父に似てきたなあ・・と。

親父は鼠年で、悪知恵が働くズルイ人間だった。
長男でもあり、一族を束ねていた母親に溺愛されていたためか
たとえ間違ったことを口にしようとも
親族や彼の兄弟たち誰もが、親父に歯向かうことはしなかった。
まるで殿様、取り巻く環境はそのようにも見えたものだ。

やがて(最強の権力を誇っていた)母親が他界して
親父も長年務め上げた警察官を定年退職した頃から
親戚や兄弟たちの彼に接する態度が変わって行き
いつしか長男としての親父の威厳はすっかり薄れてしまった。
その時分の親父の顔に、なんだか似てるような気がするのだ。
いつも眉間に皺を寄せていた、若かりし頃の険しい顔ではなく
権力の頂点に居た男の晩年の顔、どうやらそれに似ているようだ。

今年は98歳で亡くなった親父の三回忌に当たる。
私も年を取ったということなのだろうか。
けれども、私が親父と根本的に違うところは
己の思想を家族や子供たちに押し付けないこと。
己の非を素直に認めること。
子供たちの言い分に耳を傾けること。

戦争という、生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けてきた彼とは異なり
平和が訪れてから生まれてきた私は、平然と「平等の権利」を口にする。
守るべきものを、力で捻じ伏せても守ってきた彼と、それに相反する私
一体どちらが正しい生き方なのか、近頃は分からなくなってきた。
それが本音でもあるのだが・・

「仁」の最終章を観ながら、そんなことを考えていた。
見逃したこと、聞き逃したこと、やり残したこと、
それらを確かめるために、人は「あの時代に」戻らねばと思うものなのかも知れない。

小学生になる前の、幼い頃に過ごした私の家の中の夢をよく見る。
たぶん私は、夢の中でタイムスリップしているのだろう。
何を見つけに行こうとしているのかは皆目分からないのだが
「あの時代」に、帰ろうとはしているようだ。



・・酔ってしまったので、この続きはいずれまた。


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