髪を短くして、鏡を見る度に思うことがある。
顔付きが親父に似てきたなあ・・と。
親父は鼠年で、悪知恵が働くズルイ人間だった。
長男でもあり、一族を束ねていた母親に溺愛されていたためか
たとえ間違ったことを口にしようとも
親族や彼の兄弟たち誰もが、親父に歯向かうことはしなかった。
まるで殿様、取り巻く環境はそのようにも見えたものだ。
やがて(最強の権力を誇っていた)母親が他界して
親父も長年務め上げた警察官を定年退職した頃から
親戚や兄弟たちの彼に接する態度が変わって行き
いつしか長男としての親父の威厳はすっかり薄れてしまった。
その時分の親父の顔に、なんだか似てるような気がするのだ。
いつも眉間に皺を寄せていた、若かりし頃の険しい顔ではなく
権力の頂点に居た男の晩年の顔、どうやらそれに似ているようだ。
今年は98歳で亡くなった親父の三回忌に当たる。
私も年を取ったということなのだろうか。
けれども、私が親父と根本的に違うところは
己の思想を家族や子供たちに押し付けないこと。
己の非を素直に認めること。
子供たちの言い分に耳を傾けること。
戦争という、生きるか死ぬかの修羅場を潜り抜けてきた彼とは異なり
平和が訪れてから生まれてきた私は、平然と「平等の権利」を口にする。
守るべきものを、力で捻じ伏せても守ってきた彼と、それに相反する私
一体どちらが正しい生き方なのか、近頃は分からなくなってきた。
それが本音でもあるのだが・・
「仁」の最終章を観ながら、そんなことを考えていた。
見逃したこと、聞き逃したこと、やり残したこと、
それらを確かめるために、人は「あの時代に」戻らねばと思うものなのかも知れない。
小学生になる前の、幼い頃に過ごした私の家の中の夢をよく見る。
たぶん私は、夢の中でタイムスリップしているのだろう。
何を見つけに行こうとしているのかは皆目分からないのだが
「あの時代」に、帰ろうとはしているようだ。
・・酔ってしまったので、この続きはいずれまた。
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