2020年12月31日

災いよ、さらば―!

 

行く年を見送り、新しき年を迎える儀式

いよいよ押し迫って参りました。

この一年は、いったい何だったんだろ?

うじうじ考えても仕方ありませんので

災いよ、さらば―!!と

潔く見送ってあげることにしました。

どちら様も健やかに、新年をお迎えください。

さ、呑むど―!


2020年12月29日

木枯らしの吹く頃

 

あと48時間ほどで、今年におさらば。

ならば惜しみなく、恥をかき捨てようではないか。

40年ほど前、4TRのカセットMTRで

打ち込みとピンポンで作り上げたLo-Fiの極み。

強がって、カッコつけて

臆病なくせに粋がってた(今も同じか)

そんな若かりし頃の、裸のかずらさんの姿だぜ。

見せたくないけど見せたげる。

聴かせたくないけど聴かしたる。

持ってけどろぼ―!

2020年よ、さいならあ―!


2020年12月26日

氷上に舞う神を見た。

 

なぜ私はフォ―クソングを嫌うのか、

今夜それをきっぱりと物申すつもりだったのに

氷上の途轍もなく素晴らしい演技を見せつけられると

ちまちました些細なことなど、もうどうでもよくなった。

王者でも覇者でもなく、もはや彼は神だ。

存在自体が芸術だと言っていいほどに美しい。

音楽やお芝居、スポ―ツやダンス、

はたまた政治の世界でも、表に立つ者に「華」は肝心だ。

ぎらぎらと輝き、躍動感に満ち

心の奥底から燃え上がる炎が人々には「華」として映る。

どんな世界であっても、それが無ければならない。

そしてもうひとつ言うなら、何事もプロとしての自覚だろう。

ぐうの音も出ないほどに圧倒的な力を見せつけられる者こそが

プロフェッショナルと呼ばれる尺度となるのだから。

素人感覚で胡坐をかくフォ―クソングが嫌いなのも

それと同じようなことを感じてしまうからだ。

眼は死んでるのに、ぎらぎらと脂ぎった顔のクソ政治屋も

醜いばかりで華がないどころか嫌悪の対象にしかならない。

舞台に立つ者たちよ

技を磨け、そして見惚れるほどに輝いてくれ。

華の無い私は、たとえ幾つになったとしても

冬の路地裏に佇み、心の刃を研ぎ続ける

ディッセンバ―ズ・チルドレンでありたいのだ。


【後記】神の画像は恐れ多くて使えなかった。


2020年12月25日

君へ・・












あと一本だけ、迎え入れることが許されるなら

あたしは君が欲しいのです。

Epiphone Masterbilt Century Olympic、

近頃、市場から姿を消したようですけど

また現れてくれるのでしょうか。

日本に着いたら、連絡ください。

待ってますから。


 

2020年12月24日

私が破れ傘刀舟であったなら

 

イヴにおだっちゃうのは

古希を二年後に控えたジジイの幼稚さである。

ワインぐびぐび、シチュウもチキンも旨かった。

今年もまた、穏やかなイヴを迎えられたことに

ありとあらゆる人々への感謝の気持ちでいっぱいだ。

けれど、永田町に蔓延るクソ共には

感謝なんてできっこないどころか

怒りや憎悪も飛び越えて、空いた口が塞がらぬ。

私が破れ傘刀舟であったなら

「てめえら人間じゃねえや!叩っ斬ってやる!」

と、なったに違いない。

いくらイヴだからと思っても、許せる奴らではない。

以前、バイデンはアンドロイドだと言った私だが

ガ―ス―の正体も同じくそうなのだろう。

さすが我が国のテクノロジ―だ、あの無表情さはよく出来ている。

東芝製かな、日立製かなあ。それともオムロン製かなあ。

SONY製なら犬になってしまうから違うだろうね。


いや、別に怒っちゃいないよ。今夜はイヴだもの。

怒っちゃいないってば。

そんなことより、世界中の皆さまに

メリ―クリスマス!



【追記】おだっちゃう
嬉しさ楽しさのあまり、はしゃいでしまうという北海道弁。
【衝撃】古希
数え年なのか!?したら来年だべさ!!
【追追記】したら
北海道弁で「そしたら」の意。


2020年12月23日

塀にもたれて(焙り家の記憶)

 

裏六角橋とも呼ばれていた、通りを挟んで神大側の一角。

そこに在った焙り家のことを、今でも思い出すことがある。

そこはミュ―ジシャンの溜まり場的な色合いがあって

夜も更けてくると、必ず誰かしらやって来て

カウンタ―での音楽談議に花が咲いたものだ。

ただし低料金の安酒屋だったこともあり、

繁盛していたようには見えても、実入りは少なかった為

私が通い始めてから数年で店を畳んでしまった。

ふだんは飲み客だけの、その小さな店で

当時私のサポ―トバンドであったMud Trickを引き連れて

2008年の夏に生音でライブをやらせて頂いた。

狭い店なので、メンバ―が客席に座って演奏したりで

なんだかごっちゃごちゃの状況で終始したんだけれど

これがまた、すごく楽しくってね。

その時にソロで歌った数曲の中から「塀にもたれて」を

FBの(例の)グル―プサイトに先ほどUPしたので

こちらのBlogにも載せておこうかと思う。

あいかわらずの静止画だけど

呑み屋の空気感と雰囲気を想像しながら味わってちょうだい。

明日はイヴかあ・・


2020年12月22日

出会いがしらの事故、みたいなもん

 

ゴッキゲンなバンドに出くわしてしまった。

毒の吐き方といいグル―ヴ感といい、これはRockだわ。

これ、これこそが昨晩言いたかったことの答え。

社会派気取って綺麗事ばかりの文字を並べる歌い手さんよ

彼らがかます、毒に満ちた屁の臭いを嗅いでみたまえ。

どうだ、愛に満ち溢れてるだろ。

熱いわけでもなく、冷めてるわけでもなく

この適度な脱力感に私はすっかり惚れ込んでしまったのさ。

いなのとひら・のとこば」(舌噛まないでね)

fホ―ルのギタ―を操る稲野真人のプレイには

畑こそ違えど私の好きなギリアン・ウェルチの

サポ―トであり旦那でもあるデヴィッド・ローリングスをも彷彿とさせ、

そしてもう1本のギタ―とベ―スが醸し出すグル―ヴは

その遊び心で、私の好みのど真ん中を突き抜けて行ったのだ。

言葉も音も、とにかく小気味いい。

なんかねえ、聴いててスカッとするんだよね。

例の、FBの交流サイトで出会いがしらの事故みたいに遭遇して

楽しくなってコメント入れて、数回やり取りして

YouTubeのチャンネルに入ってる曲ほとんど聴いて

ツボに嵌った私は、すっかりファンになってしまったわけで。

さて、皆さんにどの曲を紹介しようかと迷った挙句

決めかねて面倒くさくなり(笑)とりあえず

これを載せてみることにした次第なり。

チャンネルのリンクを貼っておくので

わあ、楽しい!と感じた方は、各自でお試しあれ。

(2) select 「いなのとひら・のとこば」 - YouTube

添加物抜きのこんな毒なら、これは妙薬と言ってもいいだろうね。

病んだ体に効くぞ、きっと。(文中敬称略)


2020年12月21日

嘆きのジジイ

 

う―ん、なんだか悲しい気分になってくる。

昨晩お伝えしたFBの交流サイト、

次から次へと「歌」が投稿されるんだけど

なんだかね、言葉が貧困すぎるんだよ。

たとえば社会や今の時世を嘆くかのように

新聞の活字をそのまま羅列したような歌に出会うと

気が重くなるだけで「だから何!?」と言いたくなる。

で、君はこれからどうしたいわけ?

その答えも無ければ道筋も無く

淡々と原稿を読むだけのような歌詞は

「文字」であって「歌」とは言えない。

いいんだよ、カッコつけて社会派ぶらなくたって。

そのような輩の立ち位置が、中途半端すぎて嫌だ。


大義名分を口にしないで日常を歌いなさい。

ほんの些細な日常の出来事を歌いなさい。

逃げ出して、行くあても無いときは

臆病な己の弱さを歌いなさい。

喜びも悲しみも、怒りも苦しみも

ぽろっと零れ落ちた雫のような

「言葉」を大切にしようね。

・・と、

己への戒めを兼ねて、爺さんは嘆くのであった。


2020年12月20日

フォ―クよりも箸が好きなのだが・・

 

己のスタイルがどうであれ、

私は「フォ―クソング」という名称が嫌いだった。

60年代、アコギで弾き語ると人々からそう呼ばれ

そして必ず、更なる仕分けのために区分けされ

カレッジ〇〇とか、反戦〇〇とか、〇〇ロックやらの

どれかに所属せねば居場所が無いような時代だったからだ。

偏屈で頑なな私でなくとも、これは鬱陶しく思うだろう。

無所属ではいられなかった当時の煩わしさの元凶が

その「フォ―クソング」という括りだったのだ。


そんな私も歳のせいなのか、妙に頭が柔らかくなった。

以前のような激しい拒絶も無く

部落の隅っこあたりなら身を置けそうな気がしてきたのだ。

すると偶然にも、FBフレンドから同好会的なお誘いがあり

フォ―キ―な集まりであるそのグル―プに

あっさりと入会してしまったのだから笑ってしまう。

創設者の意向は、個々の歌を発表する場にしたいそうで

そのディスカッションフィ―ドには

既に多くの会員が自身の歌やカバ―曲をUPしていた。

挨拶代わりに何を載せよう?

クセの強い私の歌をいきなりUPするのもどうかと思い

30年前、湾岸戦争が勃発した時期に書いた「冬の時代」を

当時の音源のままUPさせて頂いた。

少々気恥ずかしくもあるので、この先のことはわからないが・・


2020年12月18日

さて、どうしたものか。

 

年賀はがきを買ってきた。

こんなに高くなってしまったのね。

利用の減少や人件費の増加は理解できるけど

民営化されたとはいえ親方日の丸の体質は変わらず

旧態依然としたままで、企業努力に欠けることは否めない。

(普通の)民間企業であるなら

いきなり20%の値上げなんて絶対にできっこない。

時代に見合った発想力と

日本人の風情に訴えかけるプロモ―ション展開で

落ち込んだ売り上げを挽回することは可能な筈だけどね。

季節商品だから間違いなく売れるんだと胡坐をかいて

雀の涙ほどのお年玉くじでお茶を濁していたことに

気付いているなら改革の狼煙を上げなきゃだめよ。


賀状のデザインを考えているとき、ふと思った。

忌まわしさしか残らない一年が過ぎ

何も変わらないまま年が明けたとするなら

それはハッピ―でもおめでとうでもないだろうに。

能天気にHappy New Year!なんて言葉は記せない。

さて、どうしたものか。

そう考えると、如何にも暗い正月になりそうで

かと言って、めでたい!などとは言うことも出来ず

はて、どうしたものか。。。


2020年12月16日

延命

 
いきなりの真冬到来、おでんと熱燗が恋しくなり

当家でも昨晩ようやく解禁と相成った。

紀文の具材に大きめの大根やら蒟蒻やらと

田舎から送られて来たじゃが芋やら玉子やらを

どかっと加えて大鍋で煮込むのが我が家の流儀。

爺さん婆さん二人きりだというのにさ。

当然一度に食い切らず、大根・蒟蒻・玉子が残る。

すると翌日、練り物や揚げ物を買い足して

二晩(ときによっては三晩)おでんが続くのである。

カレ―やシチュ―も翌日は更に美味しくなって好きなのだが

敢えて具材を足してまで延命することはまず無い。

けれどおでんに関しては、終わりが見えないことが多々ある。

ご多分に漏れず、今夜も残った。

ゆえに明日もまた、おでんなのだ。

これでいいのだ。



2020年12月13日

自覚という曖昧さ

 

こんなご時世なので

ちょっとだけ熱っぽい・・

なんか頭が重い・・

体が怠い(ような気がする)・・等々の

ほんの僅かな自覚症状を感じたとき

「僕はきっと、風邪をひいてるんです」

そう、思うようにしています。

みんな、そうですよね?



2020年12月11日

神だ。

 

旅のお供に欠かせない品ではあるけれど

旅に出たわけではない。

駅で通りすがりに見かけると

買わずにいられなくなるのがこれなのだ。

何かいいことがあったりすると尚更で

嬉しいことがあった今日は、やはり買ってしまった。

旅の車窓から目にする、ディスカバリ―な風景も無く

いつもと変わらぬ普段の食卓で食べたとしても

旨いものは、やはり旨いのだ。

何度食べても、飽きることがないばかりか

食べる前から、わかりきった食感と味であっても

紐を解く段階からワクワクしてしまう。

そして期待を裏切らない安定の味、

いったいこれは何なのだろうか。

崎陽軒のシウマイ弁当は神だ!

そう叫ばずにはいられない。



2020年12月10日

今夜は・・

 

オ―ティス・レディングが飛行機事故で亡くなったのは

この曲を吹き込んだ僅か三日後の事。

年が明け、1月8日にリリ―スされると

彼にとっては初めてとなる全米ビルボードNo.1の快挙。

シングルカットは生前の本人の強い希望で

そのとき既に、彼は周囲の者たちに

ヒットチャ―トの上位に入ることを予見していたらしい。


享年26歳、早すぎる死を嘆かわしく思われがちだが

才能あるミュ―ジシャンは皆、早くに亡くなっている。

27クラブ(享年27歳)に名を連ねる者たちもまた

才気溢れる若きミュ―ジシャンばかりだ。

その誰もが、僕らに素敵な置き土産を残し去って行った。

幸せの尺度は、人それぞれなのだから

彼らの短い生涯を、決して不幸せな事だと思ってはいけない。

人生を振り返ることが出来る年齢に達した者は

彼らが残してくれた歌を、しみじみと味わうことが出来る。

ただそれだけの違いなのだ。


命日の今夜は・・

「ドック・オブ・ザ・ベイ」を厳かに聴こう。



2020年12月9日

偏屈な男の自分史

 

松原みきが79年にリリ―スした「真夜中のドア」

これがSpotifyバイラルチャートでトップ3、

Apple MusicのJ-Popランキングでは

なんと92か国でトップ10にランキングしているそうな。

我が国ではシティポップと形容されていた時代の

70年代後半から80年代前半にかけてのヒット曲の数々が

いつの間にやら海外で持て囃されていただなんて

勉強不足の僕は今日になって初めて知ったというお粗末。

しかしながら、それも無理はない。

僕にとっての良き時代の音楽は70年代で終わっていて

80年代から90年代にかけてのミュ―ジックシ―ンには

まったくと言っていいほど興味が無かったのだから。

そもそもシティポップなるヤワな名称が嫌だった。

国外のミュ―ジシャンでも、

元祖AORと呼ばれたボズ・スキャッグスの

「シルク・ディグリ―ズ」までが限界だった気がする。

そのレコ―ディング・セッションマンたちがTOTOとなり

世界中でどれほどヒットを重ねたのだとしても、

僕にとっては知らない曲ばかりという経緯があるため

80年代の音楽で育った世代の方々とは噛み合わないのである。


話を松原みきに戻そう。

当然のことながら「真夜中のドア」は当時のサウンドだ。

耳にタコが出来たほど、あの頃に多用されたアレンジだ。

猫も杓子も使いまわしたそのリズムや音たちを

こんな偏屈な僕でも、今それを耳にすると妙に懐かしく思える。

たぶん、「流行歌」に対する僕のアンチテ―ゼが

あの頃の流行り音楽を拒絶していたんだろうね。

それともうひとつ、

男の子は揉み上げがスパッと無くなり

女の子はおでこを隠してもっさりした髪型となった

あの時代のファッションが、どうしても好きになれなかった。

その反骨精神の意思表示?として(笑)

僕がパンチパ―マをかけていたことを知る者は居ないだろうね。

長男が生まれ、ハイハイしている傍らで

パンチパ―マの親父がテレキャスと戯れていた頃の写真、

家の何処かに潜んでいる筈だけど見つからない。

実は硬派だった(のか?)僕の自画像、

出てきたら、笑っちゃうよね。

肩から背中にかけてのロングヘア―が

耳が隠れる程度の髪型まで短くなり

それがいつしかパンチパ―マへと変貌した後

ほぼ現在のような(全体的に)短い髪型となった過程も

自分にとっては貴重な歴史なのである。

ま、それはそのまま

世界中の当時の若者の変遷を絵に描いたようなものだがね。



2020年12月8日

STARTING OVER


生きていたなら80歳か・・

なんてことは考えないようにする。

もしも現代に彼が居たなら・・

なんてことも考えないようにする。

皆の心の中に生きてさえいてくれたなら

それだけでいいと思うのだ。

今を生きる者たちは

何度でもやり直すことができるほどに

逞しく、生き永らえているのだから。


さあ、もう一度初めから。




2020年12月7日

バブル

 

このコロナ禍にあっても、

株式市場が盛況であることは知っていた。

戦争特需と同じ仕組み。

濡れ手に粟とばかり、儲かる処は儲かるのである。

巷ではコロナバブルと呼ばれているそうな。

最近になって知ったのは

不動産の中古物件や賃貸物件に勢いがあるということ。

在宅ワ―クの影響で需要が一気に高まったらしい。

感染拡大地域からの避難組も多いという。

見えない処で、経済は活発に動いているのだ。

事実、我々庶民の日常の支出は確実に増えている。

だのに政府は、一貫して経済が回らないと仰る。

そりゃそうだ、政府与党のスポンサ―が疲弊すると

政治に金が回らなくなってしまうものね。

救いたいのは国民や街の居酒屋ではなくて

利益を供与できる古いお馴染みさんだけのこと。

恵んでやった定額給付金は口座に入ったまま動かないと

某ひょっとこ大臣は、口を尖らせて言い放ったけれど

カ―ド決済や引き落としで出て行くことを知らないのかね?

奴らは現ナマが市場に流れないと納得できないようだ。

いや、それ以前に

古いお馴染みさんが儲からなければならないということ。

それが政府与党の言う「経済」というやつらしい。

庶民の味方である店や企業は

経済という枠組みには含まれてないのが現状なのだ。

嗚呼・・溜め息しか出てこないや。


2020年12月6日

Mother

 








おかえり、はやぶさ2号くん!

こんな小さな体で、母船から切り離され

パラシュ―ト開いて一人で降りて来るなんて

健気だねえ、いい子だわ。

この子を里に返して、再び旅立って行ったのも

これまた小さな体のお母さん。

なんて素敵な親子なんでしょう。

お母さん、ありがとう。





2020年12月4日

ひげじい

顎髭が伸びすぎてしまったので
じゃきじゃきっと鋏で揃えてみた。
かなり雑、おまけに乱暴な手口ではあったけれど
しゃあない、鏡を見てふと思い立った結果なのだから。
明日は所用で遠方まで外出、
髭の伸び具合が気になるのは決まって外出の前日だ。
マスクを外して出掛けるわけでもないのになあ・・
と、いつも不思議に思うのであるが。

はやぶさ2号クンが明後日に帰還するとのこと。
小さい体で一所懸命に飛んで来る、えらいなあ。
帰った早々カプセル降ろして、また旅に出るなんて
少年寅次郎みたいじゃないか。
このご時世に、ちょっとだけ明るい話題。


2020年12月3日

トリス

 








ス―パ―にブラックニッカを買いに行った

・・つもりだった。

けれど同じ棚にトリスクラシックが並んでいて

コ―スタ―がオマケだというので

迷わずトリスを買って帰った。

正しい行動だと思う。


2020年12月2日

一週間のご無沙汰でした。

 

一週間のご無沙汰でした。(玉置宏か!)

10月8日から毎日更新していたBlogを
前触れもなく一週間ほど休んでしまいましたが
ご心配なく。体調を崩した、なんてことではなく
調べものやら何やらに時間を取られたせいです。
無職の爺さんですから、敢えて「忙しかった」とは言いません。
何事にも、ひとたび首を突っ込んでしまうと
暫くの間そこから抜け出せなくなるくらい
どっぷりと深みに入り込んでしまう性格なものですから。

そんなわけでお休みしてましたが、
今日はちょっとだけ余裕ができまして
久しぶりに文字を打ってみようかと。

息継ぎのため、ぷかあ~っと水面に顔を出してみると
あらま、いつの間にやら12月に入っておりました。
カレンダ―もペラな1枚限り、師走の到来です。
コロナで始まり、コロナで終わる。
時節がら、あちこち飛び回ることもなかったのに
未だかつて経験したことのないほど俊足な一年でしたね。

心はすでに、一年のまとめに入ってます。
こんな忌まわしい年なら早いとこ明けてほしい、
そんな願望からなのでしょうか。

今日は寒かった・・
けれど、ちょっとした幸せ感もありました。
近所のス―パ―で購入した安売りの厚揚げ、
分厚くてずっしりとした重量級が2枚入って98円。
これがなかなかの上物で、焼いて生姜醤油で食すと大変美味!
いやあ美味しかった。
我が家ではこれをステ―キと呼んでいます。

そんなこんなで、ごきげんよう。