2014年8月27日

注文の品



ちょっとした書き込みやマーキングをするために
枕元に置ける卓上カレンダーが欲しいとカミさんが言うので
買い物ついでに気軽に探しに行ってはみたものの
八月も終わろうとしている今どきですから
今年のカレンダーなんて何処にも残ってません。
お店の人から「来月頃入荷します~」と言われ気付きました。
もう来年のカレンダーしか手に入らないってことなのです。
慌てて子供たちの家に余ってないか尋ねましたけど
こんなときに限って、どこにでも有りそうな物が無いんですよね。

困ったなあ・・と、途方に暮れかかったとき
そうだ、パソコンで作ればいいんじゃないか!遅まきながら気付いて
フリーソフトをダウンロード、葉書サイズで無事に完成。事なきを得ました。
注文の品、明日病室のベッドに納品してきます。
念のため8月から12月までの5枚を刷り上げましたが
出来ればここまで長引かないことを祈ってます。
帰宅してすぐに始める洗濯や台所の片付け、翌朝のゴミ出しの準備、
それが終わらなければ椅子に座ってゆっくり酒が飲めないなんて、ねえ。


今夜、長女は末娘宅にお泊りなので、家には僕と猫しか居ませんから
気兼ねなく、大き目の音でガイ・クラークを聴きながらパソコンに向かってます。
疲れてるもんで、アナログ盤を掛ける気力は無く、やむなくCDにしましたけど
こんなときはお手軽で便利なものですね、デジタルってやつは。

明日も早起きしなくっちゃ。。

*

2014年8月26日

あらすじ


まるで悪い夢でも見てしまったかのような
現実とはとても思えないような事件から八日が過ぎました。

18日の夜のこと、自宅でカミさんが高い位置から落下・転倒して
あろうことか3箇所も骨折してしまったのです。

事の次第はリビングの椅子とテーブルに片足ずつを掛け
天井を蠢くGを退治しようと腕を伸ばした次の瞬間、
顔面に落ちて来たそいつを避けようとしてバランスを崩し
勢いよく床に落ちてあちこちを強打、救急車を呼び病院に搬送されたのですが
レントゲン検査の結果、左の手首と肘、おまけに右足の踵まで
計3箇所の骨折と診断され、翌日の午後に緊急手術を受けるという重症でした。
彼女、もともと痩せている上に細くて脆い骨でしたから
ポッキリと見事に折れてしまったようです。

落胆からか、手術直後は食欲も気力も全く感じられない表情でしたが
ここ数日ようやく明るさを取り戻し、食事も普通に取るようになり
始まったばかりのリハビリにも真摯に取り組むようになりました。
されど3箇所もの骨折ですから、ギプスが外れるまでに3~4週間
その後リハビリ病棟に移り、数ヶ月の入院が続くことになりそうなので
まだまだ先は長いですし、根気と気力がどこまで維持できるか心配になってしまいます。

僕は(その事件の現場に居合わせた身としての)後悔と肩身の狭さもあり
日常生活の維持と毎日仕事場へ行く前の見舞いを欠かしませんけど
どうやら疲労はピークに達しているようです。
正直、疲れました。
SNSもとんとご無沙汰で、開いてゆっくり見ることもほとんどありません。
不審に思われた方々、ご心配お掛けしてすみませんでした。
今夜、ちょっとだけ返信したりコメントしたりしましたけどね。

悪夢・・

あの日のことを思い返すと、不思議な空気が流れていました。
普通なら絶対に(不安定な)椅子に乗ることなどない彼女ですけど
本人も、そして一部始終を見ていた僕も、それが当たり前のことのように
何の危機感も抱かないまま事が進んで行ったのがとても不思議でした。
まるで誰かが書いた筋書きに従うような
事の重大さが一連の流れを目にしただけのように(とても自然な)展開だったのです。

ここからは少々現実離れした話になりますが
それは前々日の16日から始まっていた気がします。

16日の夕方、カミさんから不可思議なメールがありました。
「明日の晩、誰か泊まりに来るって言ってなかった?お布団どうしよう?」
そんな話をしたことも無かったので、よもや痴呆が始まったのか!?
妙な心配をしてすぐにメールを返し、帰宅してから改めて聞いてみると
18日は僕が休日だったので、前の晩に誰かが来ると言ってたような
夢か錯覚だったかも知れないと、その件はひとまず決着しました。

そして18日、旧い友人から突然「遊びに行ってもいい?」とメールがありました。
もしやこの人のことだったのかしらね?とカミさんは笑ってましたが
僕はあまりの偶然に何だか不思議な感覚を抱いたことを覚えています。

やって来たその彼女と駅前の立ち飲み屋で少しだけ飲み
その後、晩ご飯を食べて行ってもらうため家に招き
あれこれ歓談しながらの食事中に冒頭の事件が起きたのです。
どんな経緯かは忘れましたが、お互いの家族の霊感についても話題にしてました。
申し訳ないことに、2年ぶりに会った彼女まで事件に巻き込んでしまったわけですが
事件後の暫くの間、あまりにも有り得ないことの結末について
僕は彼女が何かを呼び込んだのではと思ってしまいました。

ところがそれは大きな間違いだったようです。
後日病院に見舞いに来た末娘の話では
17日か18日の朝、子供を連れて出掛ける折にリビングのドアを閉めると
「おばあちゃんのお化けがお家に入れなくなるから開けといて」と、言ったそうです。

・・おばあちゃんのお化け?

幼児が言ったその言葉、
誰かが泊まりに来ると言ったカミさんの言葉、
それらはもしかすると彼女の突然の死を意味していたのかも知れません。
だとすると、あの日唐突に現れた友人は
(何かを引き連れた)救世主だったということになります。
確かに3本骨折は重傷ですが、幸いにも頭を打つこともなく済んだことで
カミさんはこの世に踏みとどまることが出来たわけですから。

考えすぎでしょうか?
けど、僕もカミさんもことあるごとにそんな話をしながら
(筋書き通りの)死に至ることが無かった結果に安堵しているのです。

真実はどうであれ、
そんな風に楽観的に考えられる僕ら夫婦は
自分で言うのもおこがましいことですが素敵だと思います。

けれど決してポジティブなわけじゃないですよ。
猫と同じで、過去や未来を深く考えられないだけなんでしょう。
それは大雑把なO型特有のものかも知れませんし、
元来僕らは身に降る火の粉も他人事のように思ってしまう大馬鹿者ですから
過ちを犯した恥じらいを忘れるための逃げ道なのかと・・

経済的な困惑と先行きの不安に慄きながらも
どっこい貪欲に生きてる僕らを笑ってください。
病院でも話題になるほど稀な「日常生活での三箇所骨折」のカミさんを
心配そうに思うことなく、ばっかじゃねーの!くらいな目で見てあげてください。
もはや笑うしかありません。

しかしながら、疲れました。
寝不足だというのに、酒も煙草も増えてしまったのは
これがストレスってやつなんでしょうかね?



休日の深夜、八日間のあらすじを書いてみました。
おやすみなさい。

*

2014年8月22日

あしからず。



月曜の夜に大きな事件が起きまして
日常生活がとんでもないことになってしまいました。
そのことから先行きの不安でいっぱいになり
僕の疲労も極限状態に陥って
数日間は言葉を発することも出来ないでいましたが
ようやく少しだけ回復してきた気がします。

ここ最近、音沙汰が無いことを不審に思い
心配される方もいらっしゃったようですから
その点につきましてはお詫び致します。

事の詳細につきましては
今は語らぬ方が良いかと思いますので
いずれ頭の中を整理してから書き記す所存です。

抽象的な内容で大変心苦しいのですが
もう少しだけ時間をください。
暫くはとてもタイトな日々が続きますゆえ。

あしからず。

*

2014年8月16日

怖や怖や。



別に大した代物じゃないんだけれど
つい数日前まで其処にあった物が忽然と姿を消してしまうと
もしや己の記憶が曖昧なのではと思い、冷や汗をかいてしまった。

開け放った窓から吹き込む風に飛ばされたんだろうとは思いつつ
待てよ・・
其処にあったのを何処かへ移動したのか?
其処にあった、というのは思い込みに過ぎず
実は別の場所に置いたことを忘れてしまっているのか?

自分の記憶を疑い始めると
よもやこれが痴呆の始まりなのでは!?
どんどん悪い方へ思考が偏って行く始末。

ああ、何処へ行ってしまったんだ。
深夜に部屋のあちこちを探し回ると・・

あった。
デスクと窓の下の壁の隙間に落ちていたのを見つけた。
たぶん風の強い日にカーテンに煽られて落ちてしまったんだろう。

拾い上げると、言い知れぬ安堵感に満たされた。
「其処にあった」という記憶が間違っていなかったことで
ひとまず痴呆の疑いが晴れたからだ。

・・やれやれ、そんなことまで心配する歳になってしまったのかい。
あまりに現実的で怖いね。
怖や怖や。


一昨日、軽く飲みに出掛けた東白楽のB.C.B.G.
現在改装途上でライブ・スペースを充実させる模様。
諸事情から反町No Borderを閉めてしまったので
これからは此処で歌う機会が多くなるのかも。

まずは毎年恒例の「己を祝う会」
今年はこのB.C.B.G.で催します。
リアルタイムに10月8日の水曜日、20時頃から。
詳細は追ってお知らせしますんで覚えておいてくださいな。
場所は東横線の東白楽駅下車、徒歩3分ほど。
フードも充実!

ケツは完治、酒も問題なし。
たまには歌わねえとな。

怖や怖や。

http://www.geocities.jp/noborderyokohama/bcbg/index.html

*

2014年8月15日

語り部になろう


終戦記念日。

69年前のこの日から
我が国は戦争を放棄した。

その記念日であることを誇りに思い
多くの犠牲の上に今日の豊かな暮らしがあることを
絶対に忘れないようにしなければいけないし
愚かな過ちが繰り返されることの無いように
僕らは永遠に語り継いで行かなければならない。

けれど、
「いつまでも原爆やら戦争やら
過去のことをうだうだ言ってんじゃねえよ」
ネットでは、そんな目を疑うような書き込みも多い。

これは怖いことだ。
10万人、100万人の反戦の声が
わずか一握りの人間たちによって掻き消され
やがて大衆が扇動・洗脳されて行く歴史を何度も見てきた。

いつの時代にも必ず居るんだよ、馬鹿が。
終戦記念日ってのは高齢者の催しだと思ってるような連中が
ゲーム感覚で戦争を軽んじてしまう恐怖と
69年前の敗戦を未だに屈辱だと思い続けている輩。
そんな奴らが一番怖い。

いや、一番怖いのは
国家という二文字で括られたときの凶暴さと暴走だ。
国の威信、国の面子、国の不利益、などというやつ。
国防と言えば聞こえはいいが、その対象には「敵国」がある。
そして正義を訴える戦争が勃発するのだ。

義は、言い訳にしかすぎない。
その義を持って、何十万何百万もの大量殺戮を正当化できる筈もないし
その果てには憎しみと悲劇しか生まれてはこない。

僕が幼少の頃、おふくろがよく言っていたものだ。
「日本は戦争に負けて良かったんだよ」
身の程知らずの思い上がった考えが愚かであったことを知る
その機会を得られたことが幸運だったと言いたかったのだろうが
幼かった僕には何のことやら、当時はその意味がまったく解らなかった。

終戦直前の北海道、畑仕事をしていたおふくろたちに
突然飛来したソ連の戦闘機が面白半分で畑に機銃掃射を繰り返していたそうな。
パイロットが笑いながら操縦しているのが見えたらしい。
当時アメリカに「北海道をくれ」と言ったソ連、
もしもそうなっていたなら、僕は日本人ではなかったかも知れないのだ。

戦争という人間の最大の悪事に纏わる出来事を
運命の悪戯などという言葉で表現したくはないが
北と南、或いは東と西に分割されなかったことだけは
不幸中の幸いと言うべきだろう。

ただし、それを決定付けたのが広島と長崎であることを
僕らは絶対に、絶対に忘れてはいけない。
八月は、日本の国民として思いを新たにする
そんな夏であり続けなければならないのだ。

僕らはその
語り部になろう。

*

2014年8月13日

ハイカイ爺さん



すっかり忘れてた。
松島病院で完治のお告げを頂いたとき
内圧検査を受けたその結果を聞きに行かねばならなかったことを。
あじゃぱあ~(古すぎ?)

やむをえん。
明日はそれだけを聞くために松島へ赴こう。
お盆休みの真っ最中なので外来は空いてるだろう。

待てよ?
腰の具合もずいぶんと良くなったような気がするし
暑い中、わざわざ街まで出掛けるのだから
ついでに馴染みの店でも徘徊してみるか。
ケツと腰の快気を己で祝うってやつ。

・・と、企んだはいいのだが
お盆休みってやつは人だけじゃなかった。
お店も休んでいる処が多いのよね。

があーん。

まあいいさ。
行ってみたら休業の貼り紙があったとしても
僕は恨まないよ。
ドアを蹴飛ばして帰るかも知れないけどさ。

閉まってる店の前でブツブツ呟いてる爺を見たら
たぶん僕なので(労わるように)声掛けてください。
日除けのダンボールを被ってるかも知れないけど。

ハイカイ爺さん
ハイカイ爺さん
(ハイサイおじさんのメロで)

*

2014年8月12日

ぼったくり



旧宅の近くに安い車検専門店があったので
今回はここを利用してみようかと思う。
ドライブシャフトのアウターブーツは交換しなきゃならないだろうけど
それを加えても他より安く上がりそうだ。
一応、陸運局指定工場の資格もあるようだから
某カーショップ辺りの作業よりは安心して任せられるかもね。

とは言っても、諭吉が数枚飛んで行くわけで
この時期になると日本の車検制度が憎たらしくなる。

自賠責の保険金額も馬鹿にならない。
昭和30年に施行された自動車損害賠償保証法に基づく保険制度らしいのだが
任意保険の加入率が高い現在まで継続されてるのが不思議なくらい。
重量税と合わせると、軽でも3万円を遥かに超えてしまう。
国のぼったくりとしか思えないわ。
しかも怪我をしたときの最高補償額120万円、
死亡時でも最大3000万円とケチな支払い限度額なんだからね。
ほんとに必要な制度なの??

税金、諸費用、証紙代と合わせて
まるまる国庫に収まるなんて、おかしいのとちゃいまっか!!

*

2014年8月11日

疲労感



昨日の日曜、
たまたま仕事が休みだったせいもあり
家から一歩も外へは出なかった。

時折吹き付ける激しい雨と風。
こんな日は不要不急の用がない限り
外出せぬようにとテレビのアナウンサーが言うもんで
初老を自負する僕は素直に従ったまでである。

確かに、大雨や台風で不幸にも命を落とすのは
老人が多いことは間違いない。

増水した用水路の様子を見に行くと言って出掛け・・
台風に備え屋根に上って修繕中に足を滑らせ・・
みたいな。

毎回のようにそんなニュースが流れると
うちのカミさんはいつも怒るのだ。
なんで外なんかへ出るのさ!
危ないからノコノコ出てくんじゃない!と、容赦ない。

でも、高齢化社会の現代では
外の様子を見たくとも、他に頼む相手も居ないだろうし
他に人手も無いのだから仕方ないと思うんだけどね。
豪雪地帯で屋根の雪下ろしをしてるのも、みんな高齢者だ。

気の毒だから、そんなに怒るなよ。

そんなわけで
まだ若手の部類の老人である僕は
家に篭りだらだらと過ごしていたのだから
雨に濡れることも強風に煽られることも一切無かったのであるが
一夜明けた今日になっても、何だか激しい疲労感に襲われていた。
密閉された室内に居たというのに
外から襲って来る気圧の変動にやられたのであろうか。
たっぷり寝た筈なのに、今日は終日眠くて仕方なかったくらいだ。

大型台風、恐るべし。



今夜はちょっぴり秋の気配。
窓の外から虫の鳴き声が聴こえてくる。
今年の夏は短いかもな。

*

2014年8月9日

遠い世界に



コピペ、切り貼り
この男が何を口にしたって
今さら失望したりはしないさ。

けど、大相撲の表彰状じゃないんだから
毎年同じってえのはありえない。

ましてやこの国に於いて
とても重要な意味を持つ式典での
我が国の宰相としてのスピーチだ。

五輪招致の会場で
ありえないこと、できないことを
嘘八百並べ立てて宣言することはしても

日本にできること
日本がやらなきゃならないことは
お茶を濁すどころか意志の欠片も見えやしない。

選挙に勝つ
戦いに勝つ
そんなときだけが雄弁なのは
洋の東西を問わず政治家は誰しも同じだ。

しかし我が国には
永久に忘れてはいけない日がある。
その史実をこれから先も語り継いで行くことが
僕らの永遠の使命だというのに

裏方が時間に追われて用意した
お座なりの「台本」を読み上げるだけとは
いいのか?それだけでいいのか?

八月の記憶が
遠い彼方に葬り去られてしまうことが
僕は怖い。



遠い世界に(1969年 西岡たかし)

2014年8月6日

八月が来るたびに



エノラゲイ
機長のティベッツ大佐の母親の名前らしい

悠然と大空を飛ぶ母なるその機体から
広島の街に投下されたのはリトルボーイ

69年前に産み落とされたその子は
やがて世界を核開発競争へと導いて行く結果となった

強いアメリカを誇示するために
どうしても成功させたかった新型の核爆弾

不幸なことに
我が国はその実験台となってしまったわけだ

核爆発の瞬間、搭乗員は思わず叫んだ
ラッキーストライク!
街は一瞬にして廃墟と化した


この非道な核兵器が
今なお地球上には1万7千発もあるのだという

大国はその保有数を競い
小国は脅しの道具として
そんな物騒なものをひけらかす

数のバランスが抑止力になるのだと豪語して
2千発以上の核兵器が常時発射可能の状態らしい

狂ってる

69年前とは比較にならないほど
世界は恐怖と背中合わせなのだ

平和な時代ほど危ういものはない
僕が生まれるほんの7年前の出来事を
語り継いで行かなければ歴史は繰り返す
声を上げなければ過ちは繰り返される

八月が来るたびに
僕はそれを強く念じている

*

2014年8月5日

MUSIC FROM OBIHIRO



僕が若かった頃の師匠とも言うべき高村知魅氏。
40年以上前、帯広の駅前の小さなレコード店を切り盛りしながら
無名だった頃の浜田省吾や荒井由実のプロモーターとして
北海道の田舎町から彼らをメジャーな存在にさせた経歴を持つ。
リリース元のレコード会社に売る気が無い新人でも
彼の琴線に触れた者は後に皆が大成しているほど鼻の利く男なのだ。
鼻の利く、これはちょっと語弊がある表現だな。
言い換えると、時代と音楽を見据えながらの感性が鋭いということか。
とにかく、真にいいものを見つけることには長けていた。

そのレコード店は10坪にも満たない小さな佇まいだったが
並んでいたのはロックとポップスばかりという偏り方が新鮮で
高校生だった僕は毎日のようにそこに入り浸っては
彼から様々なミュージシャンとアルバムを教えてもらっていたものだ。
東京辺りでもよほどの専門店じゃなければ見かけないような
そんな貴重なアルバムが70年頃の田舎の店に置いてあったのも
音楽の歴史に精通し、そして今と先を見る目が確かだった彼だからこそである。

その知魅さんとはもう46年くらいの付き合いになる。
以前にも書いたが、僕のマネージャーとなり売り出したい一心だった時期がある。
彼の口癖は「俺はブライアン・エプスタインになりたい!」だった。
言わずと知れた無名のビートルズをリバプールから世に送り出した人物で
その男もまた田舎町のレコード店の店主であったこともあり、
僕をメジャーにすることが(若かりし頃の)知魅さんの夢だったわけである。

ミュージック・フロム・ビッグ・ピンクばりに
農家の納屋にレコーディング機材を持ち込んでデモ・テープを録り
幾つかのレコード会社にアプローチしてくれたのだが
悲しいかな当時の僕の貧困な技量と、彼のプロモーターとしての力が及ばず
僕を田舎からデビューさせるという夢は潰えてしまった。

そのことを、40年以上経った今でも彼は悔やんでいる。
度々Blogに当時の思い出として書いてみたり
或いは酒に酔ったとき唐突に僕に電話をして来て詫びるのだ。
なので何だか申し訳ない気分になってしまう。
つい先日も、彼のBlogに当時の事と心情が書かれていたので
思わずコメント欄にこちらの気持ちを記させて頂いた。
僕の歌に魅力が無かったのだから、決して君のせいではないよと。
ついでにこうも書いておいた。
今からでも、もう一度やれる。幾つになってもその気持ちは持ち続けているとね。
お互い、楽しみな老後となりそうじゃないか(笑)

それほど関わりの深い知魅さんではあるが
実は彼とは30年以上もの間音信が途絶えていた。
こちらに一人で移り住んでいることは知っていても所在がわからず
数年前に彼のBlogを見つけてメールするまでの長い間会っていなかったのだ。
3年ほど前だったろうか、母上が末期癌と知り田舎に帰る直前
横浜まで僕のライブを観に千葉から来てくれた。
母上が亡くなってからは、残された父上の介護でずっと田舎で暮らしているが
老老介護とも言えるその過酷な毎日の中で
少しずつ自分を取り戻しつつあるように見受けられる。
何より音楽に対する欲が未だ健在であることが嬉しい限りだ。
これはほんと、何やら面白いことが出来そうな予感がする。
頭にクソが付きそうなジジイが二人、世の中を相手に大喧嘩しそうな勢いを感じている。
きっと今の僕らなら、最強のタッグが組めると思うよ。うん。
仮にそれが10年後だとしてもいいじゃないか。
朽ち果ててない限り、僕らは物凄いパワーを秘めているんだから。

と、呑気にそんなことを想っている。


ニール・ヤングの「ハーヴェスト」
裏ジャケの写真を見る度に40年以上前の農家の納屋での光景を思い出す。
北海道の乾いた気候とはいえ、放置していたテープ・デッキが湿気ていた記憶がある。
あれはどんな季節だったのだろう。
何を歌ったのかも思い出せず、サポートメンバーの顔すらも覚えていない。
蘇るのは、場違いの如く納屋に置かれたテープデッキの姿だけなのであるが・・

その音源は知魅さんが放浪を繰り返したことで行方不明となってしまったようだ。
彼はそんなことまで悔やんでいる様子なのだが
いいさいいさ、そんなもん。
あの時よりもよっぽどいい歌を、僕は今なら歌えるのだから。

さあ、これからだぜ!

Ommo's Blog http://ommo.blog.ocn.ne.jp/1970blog/

*

2014年8月3日

糞に萌える?



大河ドラマを観ていたら
ちょっと悔しい名前に出くわした。
道糞(どうふん)とは素敵じゃないか。

織田信長の家臣であった荒木村重、
謀反の果てに各地を放浪した後
千利休の弟子として茶人となったときに
過去の過ちを恥じて自らそう名乗っていたそうな。

クソ喰らえとはよく言うが
まさか茶人の名前が糞とはね。
昔から放浪癖のある村重殿、恐れ入りやした。

後に出家して道薫(どうくん)と改めたようだが
その名付け親は宿敵秀吉だったとか。

糞が薫る道・・
この人、パンクだわ。
人間の本質を突いてる。

くそみそとか
ぼろくそとか
糞に纏わる言葉は遠慮が無いところがいい。

そう言えば、
クックハウスの鈴木くんと飲むと
口の悪い僕らは「クソ」を連発してたっけなあ。
イケてない音楽はみんなクソ。
容赦なんかしなかった。
ぼろくそに言うことって、実は大切なのよ。

ああ、なんだか懐かしい。

*

2014年8月2日

GOD ZILLA!



昨晩は家に帰ってから
寝ないで待っていてくれた小学4年の孫と一緒にシャワーを浴び
深夜まであれこれ語らっておりました。

本郷台から電車を乗り継ぎ
一人で我が家までやって来た彼。
日頃は父親の車でしか移動する機会が無かったものですから
距離感とか位置関係とか、考えながら行動することも必要だろうということで
初めてのお使いならぬ、初めての一人旅を実践させたってわけ。

最寄り駅まで迎えに出たカミさんの話では
こちらの心配をよそに、案外と余裕の表情で改札を出て来たとか。
ちょっと拍子抜け(笑)
典型的な今どきの子供なんですが、ずいぶん逞しくなったもんです。

そして今日は、彼とカミさんと三人で映画館へ出掛け
GODZILLAを3D吹き替え版で堪能して参りました。
テーマと事の背景が小学生には難しいかなあとは思いましたが
十分楽しんでもらえたようで一安心です。
(プレーンズ2にした方が良いか最後まで迷いましたからね)

結果、爺さんも婆さんも孫も、皆が楽しめました。
ゴジラ、やっぱりイイ奴です。
地球の救世主、もっと言えば古生代ベルム紀の神ですね。
東宝版に近付いたずんぐり体型も好印象。
おまけにハリウッド映画にありがちな中華風味の(不思議な)日本の風景も無く
細部に渡り忠実に仕上られていたのも驚きでした。
文献によると、広島・長崎の原爆や原発を丁寧に描いたせいで
当初は4時間を越える大作になってしまったとありますが
最終的には大幅にカットして公開されたようです。

そして仮想都市、雀路羅市(じゃんじら市、このネーミングだけは中華風)
相模湾に面した(と思われる)この町に建ち並ぶ
スリーマイル島と同型の加圧水型原子炉が数基並んだ光景と
その後にそびえ立つ美しい富士山の姿が
実際にこんな場所があったよな、と思わせてしまうくらい
架空の風景を極自然に受け入れてしまう不思議を感じてしまいました。

放射線や核燃料、果ては放射性廃棄物までも餌とする凶悪怪獣ムートー、
まるで原子力に群がる悪徳商人と腹黒い政治家たちみたいな輩です。
それを撃退するGODZILLA、誰もがその雄姿に義を感じ取ることでしょう。

これから観る方のために多くは語れませんけど
海へ帰って行くGODZILLAの後姿は
紛れもなく僕らが見慣れた「ゴジラ」でありました。

DVDが発売されたら、また観ることにします。

*