2011年10月31日

クルマのお勉強、2


ダイレクト・イグニッションの場合、プラグの劣化がコイルに負荷を与えるそうで
昨日は切れたコイルの交換ついでにスパークプラグを3本とも替えてくれた。
プラグの寿命には2万Km説、10万Km説と諸々あるようだが、
よほど車いじりが好きな人以外は滅多に替えないのが現状だろう。

これはあくまでも感覚の問題なのだが
今日走らせた印象では、アクセルのレスポンスが向上した気がする。
吹き上がりが軽くなった感じで、トルクも少し増したような。
亀さん走りの翌日だから余計そう感じるのかも知れないが、
文献や書き込みを見ても、諸説ありすぎで一体どれが本当なんだか。

車は機械的に決められた動きをするものであっても、
それを操る人間の感覚ってやつがいい加減なので厄介だ。
靴を履き替えただけでも、ペダルを踏む力の感覚は違ってくるものだし
踏み込む量も頭でイメージしたものとはずいぶんと懸け離れてしまうものだ。

それでもふとした瞬間に感じる「調子の良さ」ってのが
仮に勘違いであったとしても、すごく嬉しくなってしまうものなのよね。
それが運転を楽しくさせる。

・・人間て、アホだけど可愛いわあ。


2011年10月30日

クルマのお勉強

マフラーから単気筒エンジンみたいな排気音がボッボッボッボッと出ていたし、
アクセル踏んでもトルクが無いし、アイドリングでボディがガタガタ振動するわで、
こりゃあたぶんエンジン周りのトラブルだよなあ・・とは思っていた。
けれど車の故障は、経験を積まなければその箇所を特定できないのが悔しいところ。
ディーラーの担当者に電話で症状を伝えると、いとも簡単に原因を言い当てられた。
「おそらく、イグニッションかプラグ辺りでしょう」

上り坂で発進すると、まるで亀さん。
たぶん歩いて上った方が速いくらいの速度しか出ない。
後の車、イラついてるんだろうなあ・・と、冷や汗をかきながらディーラーに到着。
メカニックが昼休みだったので、とりあえず車を預けて近所のドトールで時間を潰し
1時間ほどしてから戻ってみると、やはりイグニッションコイルが1本死んでいたようだった。
たまたま中古の部品があったそうで、取り寄せにもならずその場で交換を終えられたのが幸い。
調子の戻った愛車で快適に家まで戻ることができた。

それにしても、知らぬことは恥だな。
昨日と今日に見聞きした事柄を、帰宅してからWEBでいろいろ調べてみた。


ダイハツの場合、ダイレクト・イグニッションコイルが使われていて
燃費やレスポンスには優れているものの、コイル自体の寿命が短いらしい。
書き込みを見ていると、何本も連鎖的に交換したユーザーも居たくらいだ。
おまけに値段も高い。1本9000円前後、オークションでも5000円ほどしている。
寿命が予測できないとは言え、10万Km近くまで走っていると他のどこがイカれるか分からないし
そこだけ予防的に交換するにはちょっと度胸が要る金額だ。
次回は自分で・・とも思ったが、エアクリーナーやカバー類を外すのが大変そうなので断念。
知識と経験だけ頭と体に詰め込んでおくことにしよう。

しかしながら、
単気筒みたいな排気音、ガタガタと来る振動、馬力の急激な低下などなど、
どの書き込みを見ても、この症状がそのまんまだったことに苦笑い。
やはり何事も経験だわな。


買い換える予定も無いけれど、待ち時間に見ていたカタログを持ち帰った。
車のカタログって、WEBで見るよりもやっぱり紙の方が断然いいよねぇ。
上質の紙で丁寧に製本されたそれを手に取ると、
なんだか神がかり的な欲望が湧いてくるから不思議。



2011年10月29日

HEART OF STONE



ホームページの移転作業とリニューアルに没頭していた。
以前にも書いたように、http://kazura.hiho.jp/は11月12日で閉鎖されるため
無料サーバーのhttp://sound.jp/kazura/に、せっせと移し替えをした次第。
このたびのテーマは「HEART OF STONE」ストーンズのナンバーから拝借した。
歌の意味とはちょっと違って、イメージしたのは古さと頑固さ。そんなところかな。
背景画像に3種類の石を配してみた。
サイト全体をFLASHで作ってしまったので(プレーヤーのバージョンは6、または8)
スマホの場合、iPhoneからでは開けないのが残念なところ。
そろそろFLASHプレーヤーを搭載してくれればいいんだけどね。
その部分だけはAndroidが羨ましく思える。

とは言うものの、毎度のことながらサイトの一部は未だ準備中。
年内には各コンテンツを完成させる予定なので、どうかこれからもご贔屓に。
リンクの書き換えもよろしく頼みます。



今日は車が突然の変調。
トルクが失われボディが振動、マフラーからは異様な排気音が出る始末。
昨日までは調子良く走っていたというのに、いったい何が起こったというのだろう。
午後からディーラーへと向かう予定だが、修理代が心配だ・・(汗)



2011年10月27日

ひかり


申込みしてから気長に待っていた光回線の工事日がようやく決まったようで
今朝ホームゲイトウェイの一式がKDDIから宅急便で届いた。
広い敷地の中を電柱から大家さん宅の上空を通過させてケーブルを引き込むため
その承認やらなんやらで大幅に時間を費やしたらしい。
工事日は来月6日、キャッシュバックの郵便為替がちょっとしたお小遣いになる。
ちなみに到着したホームゲイトウェイにLANポートが4個あるということは、
今使ってるルータが必要なくなるってことなのかしらね?
たぶんそうだろ、きっと。
お部屋の大掃除、しておかなきゃなあ。面倒だけど。

・・今夜も冷える。



2011年10月26日

寒い夜


思い出したように歌い始めたのが2005年の1月。
早いもんだ、あれから7年が過ぎようとしている。

力が蓄えられたような気もすれば
何かを磨り減らしてきたような気もする。
顔見知りや仲間が増えたような気もすれば
すっかり疎遠になってしまった者もいる。
なにがなんだか・・

スタンドのギターを手に取り弾いてみた。
昨日までは何ともなかった筈なのに、GUILDの開放弦がビリつく。
鉄で出来たトラスロッドが寒さで縮むと、ネックは僅かに逆反りとなる。
そのせいだ。人間よりも、楽器は敏感で繊細だから。

今年もまた、木枯らしの吹く頃となった。
59回目の冬を迎えても、心構えはおろか何の準備もできてない。
それでも生きて行けるのだから、何と有り難いことか。

胸を焦がすほどの情熱とやらを呼び戻したいと思うくらい
なんだか淡々と生きている自分が居る。
これが加齢というものなのかしら。

30年ほど前のこの歌が、今じゃすっかり子守唄。
http://kazura-web.up.seesaa.net/image/kogarashi64k.mp3

落ち葉に埋もれていた思い出を掘り返すようなものかもね。
しんしんと冷える寒い夜だ。




2011年10月25日

心は温い(ぬくい)

たとえ拙い文章であったとしても、毎日書くことに意義がある。
そう思ってはいるのだが、一度休むと「休み癖」がついてしまうのが駄目なところ。
そんな日記を久しぶりに。

「深夜食堂」今夜もいいお話だった。
にんげんの臭いぷんぷん。
唐揚げとハイボールかあ、あのカウンターで食べたら美味しいんだろうな。

映像が妙に懐かしく感じられるのは、
60年代の新宿を彷彿とさせる、都会の片隅に息づく田舎の人情だからなのか。
それともカット割りやカメラワークが当時の映画みたいだからなのか。
どちらにしても、あの頃にありがちだった人物像と話題が
冬が近付くこの季節ともなると、何だか染み入るんだよねぇ。
十代の終わりに初めて体験した東京の冬、寒かったもんなあ。。


新基準となった(使い難い)使い捨てライターを買う気も起きず
古いジッポーを引っ張り出してみた。
わずかに残っていたオイルを入れてあげたら、優しい火がぽっと灯る。
これもまた、冬には心温まるものである。

北風が冷たい夜なれど、心は温い(ぬくい)。


2011年10月19日

デンキノチカラ


冷える夜にはデンキノチカラ。
もうちょっと
もうちょっとで冬が来る。
それまでは、デンキノチカラで耐え凌ごう。

だが・・
今年は灯油が高騰するぞと巷の噂を耳にした。
おお・・
デンキノチカラが及ばぬ冬の暮らしをどうしよう。



今朝、我が家の洗濯機が臨終を迎えた。
25年も頑張り続けた働き者だ。
うおんうおんと鳴きながら
最後の力を振り絞って洗濯だけは済ませたが、
脱水する直前で力尽きたようだった。
25年間、家族と共に生きてきたデンキノチカラに感謝。
そして合掌。。


2011年10月18日

小腹も心も満たします



ふと気付く。
わたしって、案外とテレビ好きだったんだ。



「深夜食堂」再び始まりました。
路地裏には、にんげんが溢れています。

鈴木常吉さんのあたたかな歌に
後半には福原希己江さんの歌も加わりました。
せつないけど、しあわせな気持ちになります。

小腹と心が満たされると
人はやさしくなれるんですね。


2011年10月17日

浪漫


TBS日曜劇場「南極大陸」を今夜になってから観た。
昨日は帰宅が遅くなったので、録画予約してあったのをゆっくりと。

南極観測船宗谷、
オレンジ色の船体が2万Kmの航海に出発したのは昭和31年11月8日。
敗戦国ニッポンの復興の象徴となったその雄姿と共に
関わった人間たちの壮大なドラマが伝わってくる。

脚本やカメラワークにTBS色と日曜劇場らしさを随所に感じつつ
(不覚にも)ころっと簡単にやられてしまうシーンが幾つかあった。
貧しい子供たちが5円玉や1円玉を握り締めて夢を託そうとする光景、
あれにはやられた。思わず泣いてしまった。
僕は昔から、健気な子供の仕草にはめっぽう弱いのだ。

生きて帰って来いよ、そう語りかける家族は出征兵士を見送る姿とダブる。
まだ戦争の爪跡が至る所に残っていた時代、命の尊さを思う気持ちは
平和な暮らしに慣れきってしまった現代とは比べ物にならないかも知れない。
たとえ物資が乏しく貧しい生活に身を置いていたとしても、
夢や憧れに思いを馳せる心だけは純粋だった昭和のあの時代。
何も無いから浪漫が生まれるのだ。

物品や便利なサービスに溢れた現代社会に生きる僕らは
いったい何処で道を間違え、そして迷い込んでしまったんだろう。
不便だと感じる物の一つや二つを我慢して工夫することから
全てが変わって行く気がしてならないのだが・・

思想や理念はころころと変わっても
文明と豊かな暮らしは後戻りできない。
現代社会の歪さは、どうやらそこから来ている。


2011年10月16日

10月の第3日曜は「孫の日」らしい

雨が未明に上がってくれたおかげで、1時間遅れながら運動会が催されると連絡があり
鼠の海辺は取りやめ、孫の通う公田小学校へと車を走らせた。
10時頃にはお天道様が顔を出し、季節外れの夏日となった校庭で
ジリジリと太陽に焼かれたながらの(暑い)観戦となってしまった。
下馬評では「飛べない走れない踊れない」と散々な言われ方をしていた我が孫ではあったが、
予想を覆し50m走でなんと(驚愕の)1等、苦手の縄跳びも特訓の成果ありで難なくこなし
本人としてはかなりの頑張りように、応援に出掛けた甲斐もあったというところか。
炎天下、広げた弁当に舌鼓!ぽん!!

驚きもあった。
前を通り過ぎた女性を見たカミさん「はて・・○○さんに似ているような・・?」
次に通り過ぎた男性(ご主人)を見て「えーっ!やっぱ○○さんだー!!」と奇声を上げる。
15年以上前に住んでいた東戸塚の名瀬町のマンションで仲良くしていた御一家だった。

その町には長男が中学を卒業し、娘二人が小学の5年と6年になるまでの
およそ10年近くの間住んでいた、云わば我が家の「子育て」時代。
家族の様々な思い出が詰め込まれた場所であり、同じ年頃の子を持つ家庭数軒と
ドライブや飲み会を催したりしながら親しくご近所付き合いしていた経緯がある。
今日偶然再会したその家族もそのうちの一軒で、こちらが転居してからというもの
音信もすっかり途絶えていたのだが、なんとその娘の子供が孫と同じクラスだったわけ。
母親同士は何も知らないまま接していたらしく、その偶然に一同が驚嘆した。
現在のお互いの住まいからは遠いというのに、何故この場所でばったり出くわすのか
その不思議さといったらないではないか。ほんとびっくり、たまげたね。

双方の孫の存在が結び付けた途切れた糸・・
期せずしてこんなことも起きるから、人生は面白いのだと思う。
家族親族が増えて行くほど意外な展開が生じるわけだ。
ちなみに1999年から、10月の第3日曜日は「孫の日」に制定されていたらしい。
お爺ちゃんお婆ちゃんとのコミュニケーションを図るため、と言われてはいるが
実際のところは日本百貨店協会が孫へのプレゼントなどで消費を拡大するために提唱したもの。
まさに今日がその日にあたる。
けれど今回はプライスレス、金品に頼ってばかりじゃいかんよね。


2011年10月15日

明日はどっちだ

朝方の雨と強風、落雷注意報などなど
諸々の事情が重なり公田小学校の運動会は明日に順延となった。
とは言っても、明日もまた午前中は雨の予報。
ただし明日の日曜は休みなので、雨天の場合は鼠の海辺に進路変更の予定で
どちらにしても7時起床の7時半出発とは・・とほほほ。
どっちへ転んでも「まだ起きたくないよぉぉ」の朝となるのが辛いところ。
どうなることやら。

明日は午後から晴れ、気温もかなり上がるようだ。
昼間は半袖で十分!となれば
これ、着てこうかな。


うん、休日は楽しく行こうぜ。
れーなよ、ありがとね~♪



今始めたOSの更新作業、iTunesとiPhoneの間でウゴウゴしてる。
待ちに待ったiOS 5にアップデート中なり。
しかしまあ、DLだけで15分。インストールが終わるまで1時間超ですって。
明日は早いので、ほっといて寝ることにしよう。
バグッてなきゃいいけどなあ。


2011年10月14日

妖怪?


Epiphone Inspired by 1964 Texan
なんか、いい感じに化けた。
1年半に渡り部屋の隅っこに仕舞い込んであったのに
捨てられてたまるか、くそー!みたいな意地らしさを感じさせるではないか。
初めは全然鳴らなかったのだが、今じゃちょっとした心地好さがある。
楽器の出来不出来は、時間が経たないと分からないものなのかもね。

思えばこれは昨年の3月、横浜に靴を買いに出掛けた筈が
帰宅した時に肩に背負われていたという不思議な出会い。
靴屋に置いてあったわけでもないだろうに、未だ謎の多いギターなのだ。
靴が化けた挙句、今度は表情まで化けちゃうなんて
・・やはり妖怪なのか?

さてと、明日は孫の運動会。公田まで足を伸ばさねば。
仕事前の午前中しか観られないので、私にとっては(地獄の)早起き。
天気は微妙だが、決行の知らせが来ると7時に叩き起こされる。
長い一日になりそうだあ。早めに寝るか・・


2011年10月13日

されど私の髪型は

冷えるなあ・・と、思いながら
洗面所の鏡の前に立ってハタと気付く。
そうか、髪を切って来たんだった。
今さらながら、どえりゃあ短くなっちまったものよのぉ。。

若い頃のように、再び髪を伸ばしたい気持ちはあるのだが
髪質と襟足が濃い私の場合、伸ばすと決まってこんな形になってしまう。


旧ドイツ軍のヘルメット。
横から見ると、これにそっくりな形になるんだよなあ。
それが悩みの種。
歳相応に昔ほどの剛毛さはないにしても
行き着く先は、ほぼこれに近いものがある。

戦場の名車、タイガー戦車を持ってしても
サンダース軍曹にやられっぱなしだったドイツ兵。
どうして彼らの手榴弾には長い棒が付いてるんだろう、
ベルトに装着しても邪魔臭くて動き辛いだけじゃないか。
と、不思議に思いながらコンバットを観ていた幼少期。
このヘルメットにも、あまりいい想い出はない。

されど私の髪型は
・・ジャーマンなんだよねぇ。



2011年10月12日

或る日突然

何故なんだろう?
漬物でもあるまいし、
何故なんだろう?
長く寝かせた酒でもあるまいし、
何故なんだろう?
別れた恋人でもあるまいし、
何故なんだろう・・

私は衝動に駆られて、店先に置いてあったギターを連れ帰ることが度々ある。
(万引きではなく、ちゃんと金を払ってだよ)
一目惚れ、或いは目が合ったような気がして
はたまた、こいつとの出会いは運命だ!などと即座に結論付けしながら。
けれども意気揚々と連れ帰ってから冷静に見つめ直してみると
なんだよー、こいつダメじゃあーん!と
手の平を返したように気に入らないところだけが目に耳について
三日と経たないうちに隅っこの方に仕舞い込んでしまうことがよくあるのだ。

月日は流れ、そのまま1年も2年も過ぎてしまうと
呆けもあるのだろうが、仕舞い込んでいたことすら忘れてしまうことがある。
そして或る日、ふと思い出してケースから取り出してみると
あれー?これ、いいじゃあーん!
・・不思議なことに、ほんと不思議なことに、放置していた間に音が良くなっていて驚くのだ。
私の部屋はギターの醸造所なのか?


Epiphone Inspired by 1964 Texan、
去年の春先からずっと仕舞い込まれていたダメ(だった)ギターだ。
かの有名なTexanを名乗ってはいても、所詮は中国製のリーシューの安物。
ちっとも鳴らないし、おまけにピッチは悪いはシャドウのピエゾの音が硬過ぎるはで
いつか誰かに売りつけようかと思っていたくらい木偶の坊だった筈・・が、
今夜弾いてみたら、まるで別人のように素敵な音で鳴ってくれた。
音量だって、サスティーンだって、以前とは全然違う鳴りっぷり。
これにはびっくりだあ~

或る日突然の変貌に慌てふためく私。
己の感性にも疑いの眼差し。
・・これでいいのか?(汗)


2011年10月11日

90年代の私

これは決して手前味噌でもなんでもないんだが
数年に一度くらい、物好きな人間から声を掛けられることがある。
いわゆる「業界の人間」から。
プロデュースさせてくれとか、アルバムを作らせてくれとか。
素材を求める輩は、荒削りな石っころみたいな物を探し歩いては
それを自分の色に染め抜いて世に出すことを目論むものだ。
自身がミュージシャンであれば尚更のこと、そんな風潮は今も昔も変わっちゃいない。
拘束されたくないから、今まではのらりくらりと断ってきたが
なんだか勿体無いことしちまったなあ・・と、この歳になると後悔するようにもなってきた(笑)

彼らの思惑がわからないでもない。
自宅に機材を置いて、自らのレコーディング技術が向上してくると
アレンジや様々な実験を繰り返すのが、どれほど楽しいことか私もよく知っているからだ。
宅録というやつは、昨晩ご紹介したような蔵出しのローファイな作品から始まり、
やがて機材が良くなりハイファイな音質が作り出せるようになると
人間てやつは得てして、歌の本質よりも着飾ることに翻弄するようになる。
一種の落とし穴なんだけど、反面その行為が耳当たりの良いポップスを生み出して行くのだから
一概にどちらが良いとは言えないし、最終的な判断はリスナーに委ねられ
要は聴き手が好むか好まざるかによって、その作品の成果が問われるのが世の常なのだ。

今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い。
綺麗なメロディとは懸け離れ、どちらかと言うと癖の強い言葉とビートが支配している。
アコギ1本で歌うそのスリル感が生む緊張が、ライブでも楽しい要因となるのだが
果たしてそれが聴き手にどう伝わるのかは、その場の「出来」が大きく作用することにもなる。
カバーしてくれる物が何も無いのだから、常に私は素っ裸で歌っているようなもんだ。
その裸の姿を見たいかどうかと問われると、おそらく多くの人は「見たくない」と即答するだろう。
そりゃそうだ、間もなく還暦を迎えるようなジジイの裸なんて、見たいと思うわけがない。
こんなとき、物書きはいいなあと羨ましく思う。
肉体・肉声を曝け出すこともなく、自身の想いを綴ることができるんだからねぇ。

「今の私の歌は、十代の頃に築いたスタイルに近い」
こう書いたのは、現在は宅録することもなく生で歌うだけになってしまったからだ。
あれこれ試行錯誤する必要もなく、思ったままに歌える今の方がリアルでいい。
けれども「かずら元年」を名乗る前、自宅でレコーディングに没頭していた時期は全くの別物だった。
前述の者たちと同じように、私も大いにアレンジを楽しみながら作っていたのだ。
それはそれで愉快だったし、今改めて耳にしたとしても
やはりそれなりの情熱は十分に感じ取ることができるのだから善しとしようではないか。

そんな私のポップな時代の曲「空色真冬」をご紹介。
http://kazura-web.up.seesaa.net/image/sorairomafuyu64k.mp3

昨晩の80年代に引き続き、今夜は90年代の蔵出し秘蔵音源なり。



2011年10月10日

木枯らしの吹く頃


その昔、私の部屋はプライベート・スタジオの様相を呈していた。
FOSTEXのオープンリールの8TRをベースに
極めてアナログなMTRで膨大な量の音源を残していた時期があるのだ。

人前で歌うことをやめた後、リスナーとして(これまた膨大な数の)アルバムを買い漁り
しばらくすると、やはりどこかで音楽と関わっていたい衝動に駆られ
子供たちが小学校に上がった頃にレコーディング機材を買い揃えたのが20年ほど前。
ミックスダウンを施して今も手元に残る音源は30曲くらいだろうか。
今になって聴いてみると、赤面してしまうような内容だけど、それなりの情熱だけは感じ取れる。
でも所詮は情熱だけ。
完成度は低いしボーカルも不安定で、声の張り具合なら今の方がよっぽどいい。
それでも時折「おっ?」と身を乗り出すような音に出くわすことがある。
それが楽しい。

最近になって、またそれを始めたくなってきた。
機材のほとんどは老朽化したため手放してしまったが
今なら昔の金額の1/10以下で質の良いものが手に入る。
アルバム1枚分くらいの数を一人で録り溜めてみようかしらね。



蔵出し秘蔵音源をひとつ。
画像の機材を買い揃えるもっと昔(25年くらい前かな)
TASCAMのカセット4TRで作った笑っちゃうくらい古典的な1曲を。
下手っぴいでローファイな音の中にも情熱だけは輝きを放っているもんなのさ(笑)
「木枯らしの吹く頃」http://kazura-web.up.seesaa.net/image/kogarashi64k.mp3



2011年10月9日

59回目の日、後記


昨晩NO BORDERへお越し頂いた皆さん、ありがとうございました。
おかげさまで59回目の日を、ライブという形で自ら祝うことができました。
私を含め出演したそれぞれが良い演奏をお届けできたと思いますが
惜しむらくは、この素晴らしきアーティストたちが奏でる音を
より多くの方々にお聴かせしたかったということ。
私の力不足から、それだけが残念に思えた夜でもありました。

お送り頂いた沢山のメールやメッセージに感謝します。
ありがとうございました。


2011年10月8日

ワクワクしてきた


自宅リハ、さらっと終了。
稽古嫌いの性分なので、結局いつも本番頼み(笑)

鳴りがいいんで今夜の相棒はGUILDに決めた。
初めての舞台、このままガッツリ鳴ってくれれば良いんだがね。

なんだかワクワクしてきた。
四ヶ月ぶり、だもんなあ。
飲んで歌って、いつもの調子で上手く行きそうな気がする。
穏やかな午後、ゆったりとした気持ちで過ごしていられるなんて
こんな日はそうそうないもんだ。

NO BORDERで待ってるよ。


2011年10月7日

1952 Vincent Black Lightning


明日は私の59回目の日。
毎年恒例となった(自らを祝う)ライブを催します。
お近くの方、通りすがりの方、遥々遠くからお越しくださる方、
今年も皆さんと一緒に楽しい夜を過ごしたいものです。

10月8日(土)反町NO BORDER
OPEN 19:00 START 20:00 MC¥500+投げ銭
出演:かずら元年、NOBU、ボギー(友情出演)

NO BORDER 横浜市神奈川区松本町4-28-2 TEL045-314-8985
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/top.html



私が生まれた1952年は、さほど大きな出来事もない淡々とした年だったようです。
自身を「1952年型」と称したりもしてますが、その年にヒットした物はないのかしらと
いつもいつも思っていたほど不毛の年でもあったわけです。
ところがつい先日、YouTubeでとある曲と偶然出会いました。
「1952 Vincent Black Lightning」・・なんてカッコいいタイトルなんでしょう。
フェアポート・コンベンションに在籍していたリチャード・トンプソンも好んで歌っているようです。



Black Lightning、52年型の英国製のオートバイでした。
車ならまだしも、恥ずかしながらバイクのことは全く分からないもんで
私と同い年で一世を風靡したこんな凄い物があったことを今になって知った次第です。
おまけに歌にもなってたなんて二度びっくり!ですが
ああ、いつか歌ってみたい。そんな衝動に駆られてしまいます。

それにしても・・
52年当時の我が国はというと、ホンダ・カブ(スーパーカブの前身)が産声を上げ
自転車に取り付ける補助エンジンキットとして販売を始めたばかりでしたから
当たり前とは言え、海の向こうの文明大国の技術力には驚かされてしまいます。
なんといっても、戦後7年しか経っていない時期なんですから無理もありません。
けれど、この後に来る高度経済成長の大きなうねりが
やがて日本の製品を海外と同じ水準、或いはそれ以上に押し上げて行ったわけですから
その復興のスピードと当時の日本人の情熱には、胸を打たれるものがあります。

そんなことを想い浮かべながら、明日の夜は歌ってみようかと思います。
「1952年型かずら元年」です、これからもご贔屓に。
ちなみに、永谷園のお茶漬け海苔も私と同い年でした(笑)


2011年10月6日

ふたつの林檎


Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました。
世界は一人の素晴らしい人物を失いました。
スティーブを知り、共に仕事をすることができた幸運な私たちは、
大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました。
スティーブは彼にしか作れなかった会社を残しました。
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。

(Apple公式サイトより)




コンピューターが冷たい鉄の塊じゃなくて
温もりと優しさに満ちたものなんだってことを
彼は形にして僕らに教えてくれた。
夢や理想を現実のものと変えてしまう
その魔術とも言えるテクノロジーに世界中が興奮したことを
未来の人類はどのように受け止めるんだろう。

来たるべき未来の姿に触れることができた僕らは
とても、とても、幸せな地球人だ。
惜しむらくは・・
もっと先まで見届けたかった。
そんな贅沢を、たぶん彼なら許してくれると思う。

ビートルズの青林檎、そしてMacの虹林檎、
どちらも食べた僕らって、本当に幸せ者だ!


2011年10月5日

くそっ



また一人、逝ってしまった。
バート・ヤンシュ、享年67歳。癌・・らしい。
仲間内に彼のファンは多い。気落ちしてなきゃいいけどな。

横浜は終日冷たい雨が降りしきり
おまけに世間の薄情さが追い討ちをかけて
なんだか気分が優れず淋しい夜だ。

こんなときは
なんもかんも投げ出して
もう、やあーめた!と言い放って
終わりを迎えたくなっちまう。

くそっ。


2011年10月4日

トニー・ジョーを知ってるかい?


この時期になると無性に聴きたくなるのがトニー・ジョー・ホワイト。
72年頃に友人から教えてもらい、以来この南部男の太い声の虜となった。
このレコード盤は手放すことなく今でも持っている。
発売当時、日本国内ではさほど評判にもならなかったシンガーだが、
玄人受けしていてミュージシャンからの評価は高かった。
そんな彼が4年前に来日した時はサムズまで観に行ったけれど
若者から初老の客まで、老若男女を問わず超満員で大盛況だったのにはびっくりした。
(いったい、いつの間にこんな人気者になったんだ?)
目の前のテーブルにはピーター・バラカンが座ってたっけなあ。

とにかく、このシンプルさがたまらんのだよ。

2011年10月3日

回帰線


冷える夜だ。
北国には例年より早い初雪、11月中旬並みの寒波が列島を覆う。
今夜は掛け布団を一枚増やすべきかな。

休日だった今日は数時間ギターを鳴らし込んだ。
8日のライブで何を使うべきか迷った挙句、結局はウッディで太い音色のGUILDに決めた。
マホガニー・バックの乾いた音は、やはり私には似合っているらしく
ゴツゴツした骨太な鳴りっぷりが、いつもの歌をリードしてくれる。
ストロークにはやっぱりマホだな、ローズではない。・・と、実感。

最近、妙にフォーク・ソングが歌いたくなって仕方ない。
それも60年代フォーク・ゲリラ当時の、いわゆるプロテストソングと呼ばれる辺り。
高校1年の頃にアコギを持って歌い始めた私の原点とも言える歌の数々、
田舎町のレコード店に置いてある所は無く、実際の音を耳に出来ないまま
ようやく手に入れた楽譜を必死で読みながら歌っていたものだ。
けれども学園闘争が退廃的な終焉を迎え(穏やかな)70年代を迎えた頃には
敵の姿もおぼろげに見えてきて、それらを継続して歌うことに意義が見出せなくなり
以来数十年、記憶の片隅のずっと端っこに追いやってしまっていた。
今、それが歌いたいのだ。

やがて六十を迎える歳となり、
自分の中で何かが変わって行く予感がしてる。


2011年10月2日

ちょっとだけ恋人



毎年のことながら、或る日突然秋はやって来て
寒暖を繰り返しながら、やがて冬へと風景を変えて行く。
南下して来た寒波のせいか今夜はとても冷える。
そろそろストーブの手入れでもしておくか。

こんな寒い夜だから、少しほっこりしてみたい。
「ちょっとだけ恋人」松田聖子&ナターシャセブンのレアな映像。
高石友也が若い(笑)


2011年10月1日

腰まで泥まみれ



高田渡の名曲「ゼニがなけりゃ」の替え歌「デマじゃなけりゃ」
中川五郎さんのこんなところがチャーミングなんだよね。
今でも月に10本以上のライブをこなし、老若男女を問わずファンも多い。
アルバムのライナーを書き、訳詩にも定評のある男が吐き出す「言葉」には
すっと心に入り込む不思議な力が秘められているのだろう。

60年代フォーク・ゲリラの当時からずっと歌い続けていることにも
歴史の語り部としての彼に敬意を表さずにはいられない。
私がまだ高校の1年生だった頃、田舎のTVに映し出された東京のムーブメントは
そのどれもが強い衝撃をもってハナ垂れ小僧の目に飛び込んで来たものだ。

あれから40年以上が過ぎ、やがて半世紀を迎えようとしている。
社会は、政治は、何かが変わったのだろうか。
いや、実は何も変わっちゃいない。
国民は未だ腰まで泥に浸かったままなのだ。
安全基準は都合のいいように書き換えられて行く恐るべき現実、
5年10年先のことを思うと背筋が凍りつく。

この国は
何も変わっちゃいない。