2014年11月24日

ゆるりと・・



カミさんが退院してから五日が過ぎた。
早いもんだ。

広くて平坦な病棟の床に比べると
家の中は狭くて出っ張りや障害物が無数にあるのだけれど
心配していたよりはちょこまかと動き回ることが出来ている。
それだけでもひと安心だ。

買い物や料理、台所の片付けなど
本来の日常生活に戻るまでにはまだ長い時間が掛かりそうだが
材料を準備して作業がしやすいようにセッティングしてさえおけば
僕が帰る頃までには晩飯を作れるようにもなった。
これは嬉しい誤算、今夜は野菜たっぷりの味噌汁が待っていた。

それでも後片付けは相変わらず僕の仕事。
食べ終わるとすぐにシャカシャカ洗ってしまう。
(時間が経つと面倒になってしまうからね)

けれど昼と夜の献立、それに伴う材料の確認が少々面倒臭い。
仕事へ行く前に近所のスーパーへ買出しに出掛け、
あれこれバランスを考えながらチョイスするのは脳味噌が疲れるものだ。
慣れてないせいもあるけど、毎日それを考える主婦ってのは凄いもんだね。(尊敬)

三ヶ月間の昼間のほとんどを一人で留守番していた猫、
近頃はいつも誰かが家に居るので、寝顔に余裕と安心感が漂っている。
とにかく一日中ずっと寝てばかりいる。
おまけに寝相も悪い。

毎日一人だけ家にぽつんと残されて
もしや自分は見捨てられたんじゃないだろうかと思いながら
薄暗い部屋で僕や娘の帰りを待っていた頃は
おそらく相当なストレスを感じていたであろうことは想像できる。
心細くて頻繁に目を覚ますので飯もたくさん食べていた。

けれどカミさんが家に戻ってからというもの、極端に食が細くなってしまった。
なあに、飯ならいつでも喰えるさ。
危機感の欠片もなく、寝てばかりいるのである。
そして思い出したようにむっくりと起き上がっては
ちょっとだけカリカリと飯を頬張って、再び寝床へと帰って行くのだ。

安堵感に満ちた猫の仕草を見ながら
僕もまた、気持ちに余裕が生まれているのを実感してる。
敢えて言うなら、「ゆるい」のである。
少なくとも、時間に追われるような切羽詰った感覚はすでに無い。

このゆるさ、実に心地好い。

*

2014年11月11日

アンクル・チャーリーと愛犬テディのカリキュラム



明け方から冷たい雨が降る予報だったので、前夜の洗濯物は内干し。
当然乾いちゃいないから、取り込んで片付けるための時間が浮いた。
いや、それだけじゃないだろうけど、今日はいつになく余裕がある。

久しぶりに、自分だけの時間を過ごしてみようか。
そう思い、おもむろにアンプの電源を入れ
およそ三ヶ月ぶりくらいにターンテーブルにディスクを乗せた。

しばらく通電していなかったアンプはアイドリング不足だったのか
JBLで鳴らすと鼻を摘んだような音が出て来た。
アナログ盤は時として、こんな具合にイコライジングを間違えたような音になるものだ。
そのじゃじゃ馬的なところが動物的で魅力的でもあるわけなんだがね。
(・・変態と呼ばれても結構である)

けど、あまりにも気色が悪くなったので
デスクのニア・モニターであるオーラトーンの5Cに切り替えると
中域がカットされたような音が一変して、途端に瑞々しい音を奏で始めた。
一辺わずか17Cmほどのキューブに、12.5Cmのユニットをマウントしてるだけなのにね。
これだからアナログってやつは侮れない。
入口から出口まで、全てが相互の相性で成り立っているのだから。

心地好い気分に浸りながら数枚を聴いた。
その中にはカミさんが入院する直前に購入したまま
ただの一度も針を通していなかった盤まであった。

ああ・・(僕だけの)時間がもっとたくさんあればいいのに。

後ろ髪を引かれながらも、それほど悔いを感じることもなく
いつもの休日と同じく、午後の遅めの時間になってから病院へと向った。
学校のカリキュラムみたいなもんで、頭と体に行動が刷り込まれているのかも知れないな。
そう考えながらいつもの道を、いつもと変わらぬ速度で、車を走らせて行く。
(ちなみにカリキュラムという言葉はラテン語の「走る」が語源らしい)

病院に着いた早々、執刀医から経過の説明があって19日の退院が決まった。
救急車で搬送された三ヶ月前と同じ日だ。
一瞬、肩の荷が下りたような気にはなったものの
帰宅できたとしても毎日がリハビリで、暫くは家事などやれる筈もなく
僕の家庭内でのカリキュラムに幾つかの追加項目が生じることとなる。

病院へ行く手間は省けるものの
やれやれ、またまた険しい道程が待っているではないか。
卒業式が待ち遠しい・・(苦笑)

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