2019年3月5日

たばこ


僕が少年だった頃
(そんな時代もあったのさ)
世の大人たちは親父も含め
皆が「煙草を飲む(喫む)」と
そう言っていたのであった。
そして旨そうに紫煙をくゆらせ
深々と吸い込む姿を見ながら
ああ、大人って
なんて素敵なんだろうと
子供心に憧れを抱いたものだった。
しんせい、あさひ、ピ―ス等々
当時の煙草はニコチンもタ―ルも
現代の物より圧倒的に強烈で
吐き出す煙は灰色に近いほどであり
やわな肺では吸えない代物ばかりであった。
もくもく、もくもくと
煙を吐き出す大人たちは
やはり僕にとっては憧れの的だったのだ。

中学生の頃、河原で乾いた流木の枝を拾い
その10Cmほどの太い木に火を点けて
煙草のように吸う遊びが
悪い仲間内で流行ったことがある。
むろん、やってみた。
辛い、舌が痺れるくらいに辛いだけで
とんでもないほど不味かったから
それは一度きりでやめた。
まったく違う物を吸ったにせよ
落胆から、ちょっとだけ煙草に失望した。
やがて高校生になると
ようやく「本物」の煙草と出会う。
当時は80円だったハイライト、
忌まわしい流木の記憶を消し去るくらいに
感動的に旨かった。・・当たり前だ。

以来50年、僕は相変わらず
煙草を喫んでいる。
愛煙家には肩身の狭い社会環境ではあっても
他人様に迷惑をかけぬ範囲で
旨そうに紫煙をくゆらしているのだ。
やめるつもりは、まったく無い。

2019年3月3日

歌を忘れたわけではないが


或る日、思ったわけですよ。
己のことをミュ―ジッシャンなどと
如何にも聴こえのいい肩書きを口にしつつも
なあんてこたぁない、
今やその姿になるのは一年365日の間の
僅か2日か3日だけという体たらく。
「これじゃ偉そに言えるわきゃないよ
わかっちゃいるけどやめられない」
ス―ダラ節の如き、ダメダメ男なのであります。

けれど、人様の前で歌うからには
お店のチャ―ジや演者としてのギャラを
お客様から戴かねばなりません。
否応なしに頂戴するそれに見合う内容で
歌いきらなければならないのです。
お金を戴くからには
演じる側は「プロ」でなくちゃいけません。

いつもそう思ってますから
ライブ前の緊張感は計り知れないものがあります。
圧し潰されそうになるくらい
不安感でいっぱいになる気弱さを跳ね除ける
その体力と気力を維持できないところに
やはり年齢的な老いを感じずにはいられないのです。

やってよかった、いい夜だったと
ライブ後には幸福感に浸ることがあっても
演じる前には精神的な疲労が募るばかりなのです。
ちょっと前までは、その落差がスリリングで
或る意味、楽しく感じたこともありましたけど
心の余裕のキャパシティは
歳と共に狭くなってしまうものなのかもしれません。

なので、
今は歌えません。
歌いたく、ありません。
あしからず。

2019年3月2日

退院


ミッショントラブルのジムニ―くん、大がかりな手術を終えて本日退院しました。一応、問題なく動いてます。(ショップが言ってた通りの表現ではありますが・・)いやはや、10日間乗ってた代車がキビキビ走る新型のワゴンRだったもんで、車重のあるジムニ―くんに乗り換えると「重たさ」しか伝わって来ないのですよ。まだ慣らし運転なのでガッツリ踏み込まないせいもありますけどね。走行不能に陥ったあの日の事を、忘れさせてくれるような回復ぶりを祈るのみであります。まずはお知らせまで。


2019年3月1日

手術


今夜、ショップから連絡があって、ミッションの交換作業が終わったとのこと。結果をとても心配している僕の耳に「問題なく動いてますよ~」と、ちょ―ライトでお気楽な言葉が飛び込んで来た。いや・・おい・・せめて「快調に走ってますよ―!」くらいの、元気印な言葉にしてもらえんかのぉ。問題なく動く・・てえのは、レベル的にどうなのさ?と、むしろ不安を掻き立てる響きじゃありませんか。
・・何はともあれ、土曜に引取に行って参ります。