2019年8月26日

800マイル


帯広から横浜に戻り、早や十日ほど。
ようやく以前の営みってやつに戻りつつある感。
向こうでの暮らしが
ついこの間のような、ずいぶん前のような。
人間の時間に対する感覚は、いつもいい加減すぎて困る。


久しぶりに長男宅を訪れた。
幼な子の成長は早い。
わずか三ヶ月ほどで、いっぱしの女の子になっていることに驚く。
爺さんも婆さんも、目を細めないわけには行かぬものだ。

29日から再び帯広へ行き、数日間滞在する。
その移動が2時間ほどの飛行機なのだから
800マイルの距離感がまるで無い。
この程度のことであっても
時空を駆けるってえ気分になるものだ。

大嫌いな飛行機が、好きになるかもしれないな。

2019年8月18日

日常


母を見送ってから、一週間が過ぎた。
なんだか、ずいぶん前の出来事のような
そんな曖昧な記憶しか残っていない。
凡人の頭脳とは、得てしてこんなものなんだろう。

横浜に戻って早々、煙草は室内で吸わないことにした。
灰皿を携えて玄関の外へ。
帯広の実家に居る間はずっとそうしていたので
苦にはならないし、家人から臭いと言われずに済むし
なんとなく習慣で。

日常の暮らしに戻ったとはいえ
以前とは違う営みも生まれる。
そうして日常は変化して行くものなのかもしれない。


2019年8月16日

8月16日


14日の夜、帯広の実家から24日ぶりに横浜の自宅に戻りました。内輪だけの葬儀を11日に済ませた後、骨休めを兼ねて娘と二人で真鍋庭園へ。お目当ては「なつぞら」のロケで使用された山田天陽の家とアトリエ、観光客少なめでのんびりまったり楽しむことができました(白樺並木に映えるよう赤のハグTを着用、提供KAMAKULAX)庭園内のカフェ・グリ―ンガ―デンで食したミ―ト・チ―ズ、見た目はピザですが生地の部分はチ―ズ。その上に太めのパスタとミ―トが乗っていて強烈なボリュ―ムです。なんとか完食しましたけど、二人でひと皿くらいが宜しいかと。一緒に食べた(大喰らいの)娘でさえギブアップ寸前でしたから。
今回の旅?で一番感動したのが満寿屋(ますや)のカレ―パン!今まではエンドウパンやひねりツイストが最高だと思ってましたけど、揚げたてのカレ―パンには降参です。外はカリカリ、中は北海道産牛肉をワインで煮込んだ本格的なカレ―でして、僕のソウルフ―ド・リストに新たに加えたほどです。帯広を訪れる機会がありましたら是非ご賞味ください。

嗚呼・・明日からの職場復帰が憂鬱です(泣)





2019年8月13日

8月13日


勝毎花火大会を実家のすぐ近くから観る。
来年、娘は会場へ行く決心をしたようだ。

つかの間の夏。


2019年8月12日

8月12日 インデアンカレ―本店にて


この町へ来ると
豚丼よりも無性に喰いたくなる。
インデアンカレ―、僕のソウルフ―ドだ。

折しも花火大会の前日、
ふだんは閑散とした街が観光客で溢れ
本店前には長蛇の列。

不本意ながら、初めて並んだ。
この店で、初めて並んだ。
カレ―ごときで、並びたくはなかったのだが。


8月12日 六花亭にて


娘と六花亭へ。
ここでしか味わえない幾つかを食すのは
なんて贅沢な時間なんだろう。


8月12日 大通りにて


柳月本店は大通りにある。
店の並びには壁面をレトロに仕上げた
いなり小路という酒場通りが作られているのだが
これもまた、観光客目当てなんだろう。
地元の人間は行くわけがない。
活気の無い街は、寂れる一方だ。


2019年8月10日

8月10日


帯広へ来てから19日目。本日未明におふくろが息を引き取りました。1時間くらいしか寝てませんが、なんだかホッとしてます。この不思議な安堵感は、いったい何なのでしょうね。

明日は身内だけで見送ります。14日まではこの町に居ますんで、あちらこちらに顔を出したいと思ってます。

画像は7月22日、僕の長男一家が急遽見舞いに訪れた際に自宅で撮られたものです。直近の、あまりにも柔らかな表情だったので、紙に焼いて遺影にしました。
いい笑顔でしょ。享年98歳、孫とひ孫に囲まれて、幸せだったことを窺わせる写真だと思います。

なんだかわからないけど、肩の荷が下りた気がしてます。


2019年8月7日

8月7日


実家と病院を行き来するだけの毎日、すでに半月が過ぎてしまいました。停滞したままの日常は酒の量が増えるだけですね。
数年ぶりに戻った実家の真ん前に怪しいラーメン屋が出来てました。見るからに怪しいです。通りの反対側からチラ見するだけで、中に入る度胸はありません。けど不思議なもんで、気になって仕方ないんです。明後日から寒くなるんで(誘われるように)入ってしまうかもしれません。


2019年8月5日

8月5日


帯広での生活、早いもので二週間が過ぎてしまいました。日常があまりにも淡々としてるんで、毎日の時間が長く感じられます。此処で暮らしていると、空気と飯さえあれば生きていられるように思えてしまうのが不思議です。
田舎って、退屈な処なんですよ。だから皆、人と会って話し始めると、延々とお喋りが終わらない。あくせく生きてないから、時間を惜しまずにお喋り出来るんでしょうね。
母が入院してる緩和ケア病棟の医者も看護師も、みんなお話好きです。こちらがエンディングに持って行かない限り、ずーっと話を聞いたまま立ち去ろうとしません。病院とは思えないほどの、のーんびりとした空気感。これは或る意味すごいことですよね。

午後7時の空と月、この色合いと風合いにも十勝らしさを感じてしまいます。

2019年8月3日

8月3日


母が入院している病棟のデイルーム、書籍コーナーで素敵な本を見つけた。この町で、幼い頃から少年期にかけて目にした風景が蘇る。そうなんだよ、この時代の帯広の街は躍動感に溢れてて、たくさんの人と車が行き交っていた。駅へと続く西2条の通りは、夕方になると人の波が途絶えることなく、とても賑やかだったんだ。そんなことを思い出させてくれた一冊の本、横浜に戻ってから手元に置こうと思ってる。

2019年8月2日

8月2日


先月の23日から今日に至るまで、ずっと帯広の実家に滞在してます。帰る予定も掴めないため片道切符でやって来ました。今年の冬で98歳になる母、肺に影があると言われ精密検査を受けたところ、あちこちに転移したステージ4であることがわかり、余命1ヶ月を宣告されたからです。折しも帰省で混み合うシーズン、何かあってもすぐには帰れませんし、会話が出来て頭もしっかりしているうちにお別れをしておきたいのと、今まで親不孝を重ねてきたので最期を看取る義務がありますからね。なので今日に至っても、いつ横浜に帰れるのか見当もつかない状況です。

当初は入院を嫌がる母の気持ちを優先して在宅看護を予定してたんですが、僕が行く前日に容態が悪くなり緊急入院、帯広厚生病院の看護ケア病棟で治療を受けています。現在は安定してますけど、極めて高齢ですから急変する可能性も高く、この際なので腹を括って最期まで傍に居てあげることにしました。

折しも猛暑の帯広、夕方になると横浜じゃ見られないような空の色に驚かされます。朝の6時に目覚め、日付が変わる前に床に就く生活にも慣れましたけど、ぼーっとしてるだけの毎日、酒の量が増えるばかりです。

長くなりましたが、近況報告ということで。。