2016年11月19日

ワンコイン


本日、某所での出来事。

無造作にカ―ゴに乗せられていた
プロポ―ションが素敵なギタ―ケ―スを見かけ
「これ、売るの?」と、尋ねてみると
「そうだよ、持ってく?」と、軽い返答。

これ、昔々の7〜8年前くらいに(記憶では)アリアあたりが
輸入代理で1万5千円くらいの価格で売ってたよなあ・・
あの当時にも斬新なスタイリングが目を引いたのだが
軽くて丈夫なギグバッグが台頭して来た時期でもあり
結局手にすることはなかったという「思い出の品」だったのである。

けれど目の前にあるのは明らかに小型サイズ。
OMやOOO、はたまたクラシックギタ―用であり
愛用のドレッドノ―トが入らないことは明確だった。

「持ってく?」
再び声を掛けられたものの
数千円出して使い道が無いんじゃ無駄なので
「う―ん・・」と唸ったら

「誰も買わないだろうから持ってって!」
「タダというわけにはいかないから百円ちょうだい!」

「ひゃ、ひゃくえんだあ!?」
唖然として声も出なかった小心者のワタシ。
半ば強引に手渡され、車に積み込んだ次第である。

それがこれ。



グラスファイバ―製のセミライト、おっされでしょ。
ヘッド部分の裏側に派手な擦り傷があるだけで
他は中も外もぴっかぴかなのである。

これはいい!!

しかしながらドレッドサイズは入らないわけであり
いま一番のお気に入りであるMORRISはおろか、J-45だって無理。
手元にはOMやOOOは無い。

ベッドの下から、ふだんは使ってないスタッフォ―ドを引っ張り出す。
Gibson B-25のコピ―モデルだ。これならたぶん入るだろう。


ぴったんこ!である。
専用ケ―ス以上に、僅かな隙間も生じないほどのピッタリサイズだ。
ひゃっほ―!!と、一瞬の小躍り。

でもなあ、このギタ―、ライブじゃ使わないしなあ・・
すぐに現実に戻ってしまったが、
しばらくは部屋の隅に置いておくことにした。

・・という顛末。

ちなみに、帰宅してからネットで探しまくってみたけれど
当時のモデルは全くヒットしなかった。
そのかわり、衝撃的な事実を目の当たりにしたのである。

デザインも材質も内部構造も同じで、
おそらく同じ工場で生産されてるのであろう現在の製品が
グランド・オ―プリ―とかイ―ストマンとかのブランド名で販売されてるのだが
そのお値段、驚くなかれおよそ3万円から6万円とな!!
楽天での参考価格 http://item.rakuten.co.jp/owariya-gakki/gce151w/

ひえ〜っっっ(汗)

外観も内部も
ヘッド部分に湿度計が付いてるところまで
このイ―ストマンのモデルと全く同じ物であることがわかりますけど
いったいいつの間にこんな高級品になっちまったんだあ??

それが、タダ同然の「百円」です。
気まずい思いはありますけど、もう僕の物です。
誰にも渡しません。返せと言われても返しません。

お世話になったMさん、ありがとうございました。
この御恩は一生忘れません。

*

2016年11月15日

ただひたすらに



歌詞が文学と成り得るのであれば
彼にも文学賞を贈りたいと思えたほどの詩人
レナ―ド・コ―エンが逝き

その1週間後には
スワンプ・ロックの重鎮とも言える
レオン・ラッセルが逝ってしまった。


立て続けの訃報・・

けれど、不思議なことに
悲しみは込み上げてこない。
モニタ―スピ―カ―の向こう側で
彼らは今も変わらずに歌っているのだし
この先、何年も何十年も
歌い続けているのだろうから。

それゆえに
(不謹慎な言葉をお許し頂けるなら)

家族や友人の
「現実的な死」とは異なる感覚であり
否応なしに受け入れざるを得ない状況に
追い詰められずに済むせいなのか
彼らは永遠に生き続けているような錯覚が生じて
ある意味、救いとなるのだ。

そして、僕がこの歳になってわかったことは
いわゆる「お迎え」という儀式の存在だ。
個々の寿命は、いつ絶えるのか
それは誰にもわからない。
健康であっても、病床に伏していたとしても
自然の成り行きに任せるしかないということだ。

老いた者が、先に逝ってしまった者への弔いの言葉
「ああ・・あの人も逝ってしまったのかい」
多くは語ろうとしない、その心情がわかる年頃になってしまったようだ。

南無阿弥陀仏と称えるのは
ただひたすらに
「ありがとう」の、感謝の気持ちなのだ。

*