2016年11月15日

ただひたすらに



歌詞が文学と成り得るのであれば
彼にも文学賞を贈りたいと思えたほどの詩人
レナ―ド・コ―エンが逝き

その1週間後には
スワンプ・ロックの重鎮とも言える
レオン・ラッセルが逝ってしまった。


立て続けの訃報・・

けれど、不思議なことに
悲しみは込み上げてこない。
モニタ―スピ―カ―の向こう側で
彼らは今も変わらずに歌っているのだし
この先、何年も何十年も
歌い続けているのだろうから。

それゆえに
(不謹慎な言葉をお許し頂けるなら)

家族や友人の
「現実的な死」とは異なる感覚であり
否応なしに受け入れざるを得ない状況に
追い詰められずに済むせいなのか
彼らは永遠に生き続けているような錯覚が生じて
ある意味、救いとなるのだ。

そして、僕がこの歳になってわかったことは
いわゆる「お迎え」という儀式の存在だ。
個々の寿命は、いつ絶えるのか
それは誰にもわからない。
健康であっても、病床に伏していたとしても
自然の成り行きに任せるしかないということだ。

老いた者が、先に逝ってしまった者への弔いの言葉
「ああ・・あの人も逝ってしまったのかい」
多くは語ろうとしない、その心情がわかる年頃になってしまったようだ。

南無阿弥陀仏と称えるのは
ただひたすらに
「ありがとう」の、感謝の気持ちなのだ。

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