2013年3月31日

さよなら三月


土曜の花見、雨に降られることはありませんでしたが
極めつけの寒さに震えながらも家族で楽しんで参りました。

昨年と同じ木の下で
長男、ポンタ、その父と、そして私。
家族の男衆四人だけで写真に収まってみました。
色気はありませんけど、密かにレアなショットだと思っています(笑)
本来は男六人衆なんですが、長男の嫁と子供二人が所用で参加できなかったもので
フル・メンバーでの撮影は来年に持ち越しとなりました。

それにしてもポンタの成長が著しい。
昨年の倍以上のサイズとなり、おまけに地面を歩いてるんですからね。
こうして成長の過程をつぶさに見ていられることは嬉しいものです。
自分の子供たちはというと、
サラリーマン時代の休日返上で働いていた時期と重なり
多くの時間を共有することが出来なかったために
数年単位の断片的な情景しか記憶にありませんからね。
孫が可愛いと思うのは、そんな事情のせいかも知れません。


ポンタはもりもりとよく食べ、よく笑います。
じきに父親の体型になってしまうのではと心配になることもありますが
その食べっぷりと笑顔を見ていると、こちらまで幸せな気分にさせられます。
いったいどんな少年へと成長して行くんでしょうね。
その過程がまた、楽しみなのです。


そしてこのお馬鹿な一家、
(超絶に馬鹿っぷりを発揮する長女は写っておりませんが)
来年の今頃も皆が健康で楽しく暮らしてますように。

そう願いつつ、散り行く桜と共に
三月は足早に通り過ぎて行くのでありました。

*

2013年3月29日

あの桜の木の下に


夕刻、ポンタが我が家に到着して
早速お庭でボール遊びに興じていたそうです。
手にしているのは亡くなった愛犬が好きだったボール。
大人の目には見えませんけど、
きっとその犬も今日は一緒に遊んでいたんでしょうね。

・・そうです、と記したのは
私が帰宅する前にポンタは寝てしまったから。
つまり、まだ顔を合わせてないわけでして
明日の朝目覚めてからの対面なのです。

ただし、不良爺さんは朝寝坊なので
私が起きた頃合にはお昼寝してるかも知れませんけど(笑)

心配していた明日の空模様は傘マークも消えて
午後までは日が差すお天気に変わってくれたのが何よりです。
予定通り、お弁当を持って裏の遊歩道に出掛け
散り行く桜を眺めながら家族でお花見会を楽しめそうです。

ささやかではありますが
そんなちょっとしたことが、とても幸せに思えます。

あの桜の木の下に、今年もまた集うのです。
「おかげさまで、ポンタはこんなに大きくなりました!」
デンと立つ大きな桜の木に、それを報告してあげなきゃね。

*

2013年3月28日

乳幼児は七つの顔を持っている、のか?

仕事場の喫煙室で健康診断結果をネタに雑談してると
「あ、同じです。私も多血症の疑いありでした!」と、家の娘よりも若い子に言われた。
なあんだ、君もかあ~と仲間が出来て嬉しいような気分にはなったものの、
ここで油断せずに生活習慣の改善に取り組む姿勢を保たなきゃね!

公約通り、本日はエレベーターを使わずに
仕事場の建屋の長い長い階段を3回ほど下りました。
階数で言うと2フロア分なのですが、なんたって天井が異常に高いもんですから
一般的な建物に換算すると5~6階分くらいになってしまいます。
上りはとてもキツイので下りのみ、それでも結構いい運動になりそうなので
これは毎日続けて行こうと思っております!

衰えた肉体、ぶよぶよになる前に何とかしなきゃっ!!



さてさて、明日は娘がポンタを連れて泊まりに来ます。
土曜の花見に備えての宿泊ですが、どうも当日のお天気があまりよろしくないようで
去年と同じ桜の木の下で一緒に写真を撮れるのか微妙な雲行きです。
日頃の行いはいい筈なのになあ・・

そのポンタ、今日は散歩がてら近所の桜を堪能して来た模様。
娘から写真が送られて来ました。


なんと、またまた顔付きが変わってまして・・(汗)
乳幼児は七つの顔を持つという、あの七色仮面なのでありましょうか。

あ、ご存知ない60年代以降に生まれたお若い方々へ。
七色仮面とは、こんな人だったのですよ。


七つの顔を持つ男、名探偵「多羅尾伴内」をモチーフに
川内康範が原作と脚本を手掛けたTVドラマのヒット作であり、
驚くことに製作当初から劇場公開を前提に35mmフィルムで撮影されてたんだそうです。
当時、小学校に入る前だった私の家にはまだテレビジョンが無かったので
母親に連れられ劇場で何作か観たことを今でも覚えています。
ちなみに主演交代で二代目として七色仮面を演じたのは千葉真一さんでした。



勧善懲悪、わかりやすい時代でしたね。


*

2013年3月27日

要観察


過日の健康診断結果のお知らせが届きまして
恐る恐る開いてみると、要観察のD1とD2が一個ずつ付いておりました。

ひとつは「多血症の疑いあり」
これ、ネーミングが不気味だし怖そうなので早速ググッてみましたが
要は赤血球が増えて血が濃くなり動脈硬化を引き起こすもののようです。
ただし、来年の健康診断結果で推移を確認する程度の数値なので
今のところは深刻に考える必要は無さそうですがね。

ちょっと気がかりなのがD2を喰らった脂質。
LDLコレステロールと中性脂肪が標準値を若干上回っており、
半年後に再検査を受けるよう指摘されてしまいました。
脂質の数値は毎回高めだったんですが「要観察」の烙印を押されたのは初めて。
自覚症状が無いからと放置しておくと、これもまた動脈硬化の引き金となり
心筋梗塞や脳梗塞の発作を起こしてから事の重大さに気付く。
脂質異常症と呼ばれるこの病気は、そんなパターンが多いようです。

年齢に比例して、悪玉コレステロールは増えて行くものなんですけど
ちょいとここらで健康について考え直す時期なのかも知れませんね。
過食、高脂肪食、運動不足、飲酒、喫煙・・
全てが当てはまる私の「生活習慣の改善」というやつ、
この内の幾つかだけでも頑張ってみなければ。

①栄養バランスの良い食事を心掛け暴食はしない。
②酒の量が明らかに増えているので(少々)慎む。
③段階的に量を減らし、最終的には禁煙を目指す。
④仕事場ではエレベーターに乗らず階段を上り下りする。

・・とりあえず、これくらいから始めてみようかと。
三日坊主にならぬよう、己を戒める所存なり。
これもまた「要観察」(笑)

*

2013年3月26日

お花見メレンゲ


大きな桜の木の下は
再会を約束する場所なのでしょう。

そして記憶の糸を手繰り寄せ
友や家族のことを想ってみたりするのです。

昨年、この木の下で
まだ首の据わってないポンタを抱いたのが
まるで昨日のことのように思えてしまいます。

あれから一年。
成長したポンタは自分の足で大地を踏み締め
夢中で草むらを歩き回ることでしょう。

すでに散り始めているのは残念ですが、
皆が集まる週末の「花見」が楽しみです。
はらはらと花びらが舞う中で
お弁当を広げて家族が語らうのも
それはそれで良きものかと。





BGMは「お花見メレンゲ」 大瀧詠一


*

2013年3月23日

デニム地の股引

暖かな陽気になって来ると
髪の毛や爪が伸びるのが早くなってきませんか?

私の場合、そうなんですよ。
冬場はかなり時間が掛かりますけど、今月に入った頃からにょきにょきで
自分、春を迎えた草木と同じだな。と感じております。
夏場なんか、雑草の如く日々どんどん伸びているのが分かるくらいなんですけど
かずらという名前の私ですから、やっぱり植物系なんでしょうかね?

ついでに背も伸びて(足も伸びて)格好良くなってくれたらいいんですけど
60の爺さんでは、さすがにそれは無理か・・(悲)


そんな短足の爺さんですが、
先日購入したデニム地のレギンス・パンツがとても気に入ってます。
ぴたっとしていながら伸縮自在、言ってみりゃ股引みたいなもんですから
立ったり座ったり歩いたり、如何なる状況でも楽チンで快適なのであります。
おまけに、細くてもこれなら血行障害も起こりません、はい。

股引のまま歩いてるー!と、人様から嘲笑されないように
間違われる心配の無いデニムにしたのは私の老婆心からでしたが、
年甲斐もなく細いパンツ履いてー!なんて言わないでくださいね。
私は細いのが好きなだけなんですから。

けど思い起こせば、太いパンツを履いてた時期もありました。
一度目は70年代初頭に流行したベルボトムのジーンズ。
これは高いヒールの靴を履いても、地面までの広い裾が隠してくれますから
(擬似)足長・背高のルックスに貢献してくれましたね(笑)
ただし太いのは裾幅だけ、膝の位置まではピタッと細いのが王道だったのです。
(ちなみに私が27インチのジーンズを履いていた、体重40Kg台の時代であります)

二度目は、いわゆるツータックのゆったりしたデザインが主流だった頃。
サラリーマンだった私は、流れに乗った形で太くて大きな作りのスーツを着ていました。
あれは確かバブル期の真っ只中です。
どんな商売も儲かって、いいものたらふく喰って、
世の男性の腹回りが広がっていたせいもあるんじゃないでしょうか。
年齢に関わらず、だっぷりしたデザインが大流行してました。
景気が良いと、太くてゆったりした物が喜ばれるんですかね?

ここ最近のメンズ・ファッション、
スリムフィットと称する細身の傾向にあるということは・・

あべちゃん!まだまだ景気は良くなってないみたいよ!!

*

2013年3月22日

南本宿65、春爛漫


僕は時々思うんです。
春になると
体の内側からいろんなものが噴き出して来るような
そんな感覚が芽生えるのが幸せなことなんだと。

人間も草花と一緒なんです。
冬の間の沈黙は
耐え凌ぎ、春を迎える喜びのためにあるのでしょう。

あの人への想い
己の未熟さ
切なさを笑って誤魔化す
言葉にならないもどかしさ

そんなもやもやを跳ね除けてくれるのが
春の眩しい光なのだと思うのです。

今年も桜が咲きました。
移り行く季節を謳歌するかのように
誇らしげに、可憐な笑みを浮かべています。


この木には
青空がとてもよく似合います。

南南西の風、風力1で
名も知らぬ遠き島から海を渡って来た風は
僕の足元にも舞い降りて来ました。
それがとっても嬉しいんです。

南本宿65、春爛漫。

*

2013年3月21日

大衆車


フィアット500、こいつを近頃よく見掛ける。
好きな車であるだけに、信号待ちで隣に並ばれたりすると
つい横目でチラチラと見てしまう。
一日に必ず1台は目にするから、ずいぶん売れてるんだろうな。

ドライバーは圧倒的に女性が多い。
さほど飛ばさず、無理な運転もせず
足代わりにちょいとそこまで的な、比較的のんびりした走り。
ま、走り屋さんなら間違いなくアバルトに乗るだろうけどね。

けど、いいよなあ。これ・・

そういえば、先代の500Fはルパン三世が乗ってたんだった。
バニラ・イエローのこいつにさ。


映画やアニメだと、こんな小型車に大男が四人
ぎゅうぎゅう詰めで乗ってるのが可笑しいのよね。



何年かして普通車に乗り換えることがあれば
一度は乗ってみたい気もするのだが、如何せんお高いのがねぇ・・

そんな想いを巡らせながら信号待ちしていると
今日は隣に日産マーチが停まった。
売れすぎるくらい売れて街にゴロゴロしているマーチ、
馬鹿にして目にも留めなかった(大衆車)マーチだ。
わ、これがあったか!ふとそう思った。
ちょこっと手を加えてあげれば、いい感じになりそうな予感。
しかも玉数豊富でお安いときたもんだ。
うーん。

或る日マーチに乗ってる私・・
想像してみると、ちょいと気恥ずかしかった。
「大衆」と冠される物を敬遠しがちになってしまうのが
今までの私だった筈であるのに、
最近はその拘りみたいなものが薄れているようだ。

これもまた歳のせいなのでありましょうか?(苦笑)

*

2013年3月20日

ツブヤキ


そろそろ弦を張り替えてみないかい?

そんな声が
聴こえたような気がしました。

たぶんそれは
退屈な日常に業を煮やした
心の呟きだったのでしょう。

歌が恋しくなってきたようです。


*

2013年3月19日

だんだん馬鹿になって行くのです

三月のこの時期に各地で初夏の気温とは、
これを異常と呼ばずして何と言おう。
けれどあまり騒ぎ立ててる節は見受けられない。
やれやれ・・と、溜息をつきながら
皆が黙って受け入れている、そんな感じ。

2年前、あれほどの自然の驚異と脅威を目の当たりにしたせいなんだろうか。
人々は、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているのかも知れない。
或いは己の力じゃどうにもならないことには無関心を装い
軽はずみに口を挟むことを躊躇しているのか。
「諦め」と言えば聞こえはいいが、異常な物事が当たり前のように受け取られ
さほどの関心を抱くことも無いのだとしたなら、それほど怖いことはない。

昨夜の福島第一の停電だって、
あってはいけないことが起きてしまったというのに
メディアの厳しい追求も無く、国民も以前ほど敏感には反応しなかった。
これから先、50年100年といった
気が遠くなるほどの時間を掛けなければ廃炉の作業は終息しないのだが
家を追われ、土地を追われた者以外にとっては、
過去の事件としか捉えることが出来ず、おまけに記憶から消えかかっているかのようだ。
それは世界各地で勃発する戦争にも似ている。
当事者でなければ、その痛みも苦しみもわかりゃしないし
海の向こうで今もなお続いていることなど知る由も無いのだから。

けれど福島はすぐそこだ。
日本で起きた深刻な大災害だ。
孫の代まで終わることのないその事故対応の
過程を検証することだけは忘れないようにしなくっちゃ。
決して無関心では居られないし、ああそうですかと受け入れることも出来やしない。
何がどうして、どうなって行くのか、誰が何をどうしようとしているのか
僕らは生きてる限りアンチテーゼの目を向け、耳を澄ましていようじゃないか。



どうです僕は大地のように
関わるすべてを受け入れるふり
だんだん馬鹿になって行くのです

細野晴臣「ありがとう」



*

2013年3月18日

野球とベースボール


三連覇を阻んだのはカリブの海賊たち。
メジャー集団のあの勢いには、如何にお侍さんとて勝てやしない。

でも謝ることなんてないのよ。
野球しか知らない者たちが、本場のベースボールと戦ったんだから。

せめてあのスピード感だけでも日本に持ち帰って
ゲームの緊張感を高めることに貢献してほしいな。

日本野球に見られる妙に長い投球の間や打者の間、
あれって土俵に上がったお相撲さんと同じだよね。
それが日本のやり方だとしても、国際試合じゃ通用しない。

井端が打席でタイムを要求して手を挙げたのに
球審は全く無視してストライク!象徴的なシーンだった。
あれがベースボールの試合展開なのさ。

ゲームを作るのが球審の仕事。
メジャーではこれが当たり前で、故にジャッジには従わなければならない。
けど今日のは酷かったな、ストライクゾーンが滅茶苦茶。
あんなに外れた球をストライクにしてくれるアンパイアを見ていると
(例えが悪いかも知れないが)高校野球を思い出してしまったくらい。

野球とベースボール・・
律儀なお侍さんと荒くれたガンマンの違いかな。
ある意味、全く異なるスポーツなのだということです。



脈絡も無く、風の強い夜なので
ザ・スパイダース「風が泣いている」



私の記憶では
井上尭之のリッケンバッカーは、ハニーというコピーモデルで
重鎮ムッシュの方のは本物だったような・・
余談ですが。

*

2013年3月17日

男らしいってわかるかい


明日は五日ぶりの休日。
まあ飲めや、お侍さんもそう申しております。

お侍さんと云えば、
海の向こうでプエルトリコと戦うそうな。
芯に当たればどこまでも飛んで行きそうな兵ぞろいの強豪、
マエケンの肩と度胸に期待しよう。

八重の桜の影響かしら、
近頃は会津の言葉を耳にすると妙に和む。
好きな女性から「なじょした?」なんて聞かれたら、
心を開いて正直に何でも答えてしまいそう。

会津の方言 http://aizunogakujin.web.fc2.com/countorytongue.htm

「めっこ飯」は北海道でも使われていたし、
東京生まれのカミさんも知ってたくらいだから全国区なのかしらね?
他にも、なげる ばっち ぶすいろ みそっぱ
何処でも通じそうな言葉がたくさんあるけれど
これらが会津のイントネーションで語られると、ほっこりしてしまうから不思議。
都会人の言葉は刺さるほどに冷たくて痛いものだから。

なんにしても
私みたいな腰抜けは、幕末のお侍さんや西部のガンマンに憧れてしまうもの。
腰には竹光(たけみつ)ガンベルトには鳴らないピストル、
そんな出で立ちじゃ戦えないものね。



男らしいってわかるかい?ピエロや臆病者のことさ・・



「男らしいってわかるかい」
大塚まさじさんによる「I shall be released」の名和訳です。
71年にリリースされたディランⅡのアルバムから。

*

2013年3月16日

Wonderland


朝方、夢を見た。
いつものように、日常と非日常がごちゃ混ぜになった不思議な世界。

顔馴染みの何人かと一緒にテーブルを囲む。
みんな知り合いだと勝手に思っていても
実はその内の幾人かは、決まって誰だかわからない。

顔が無いのだ。
そう、「千と千尋の神隠し」に出て来るカオナシみたいな奴ら。
何故そこに居るのかもわからない。

それでもたった一人だけ
微笑みかけてくれる者が居る。
快活に話し掛けてもくれるのだが
悲しいかな、無音の夢の中では何を言ってるのか聴こえやしない。

それはまるで無声映画のワン・シーン。
モノクロで画質の悪いところまで同じだ。
唇の動き、顔の表情で台詞を頭に想い描いてはみても
たぶんそれは自分に都合の良い言葉に置き換えられてしまうんだろう。
だから心地好い。

けれど目覚めてから、微かな記憶を手繰り寄せてみると
あまりにも現実離れしていたことに気付く。
当たり前だ、それが夢だもの。
その気恥ずかしさが甘酸っぱさを連れて来る。

どうやら僕は
林檎の匂いでいっぱいだったあの日の空を
悔しいけれど忘れられずにいるようだ。



不思議の国で、また逢おう。

*

2013年3月15日

Tさんへ


THE FGの純正オープンギア・タイプの糸巻きを新品で見つけた。
私のは初期モデルで、前のオーナーさんが手入れを怠っていたらしく
ボディやらネックやらあちこちの傷みが多かったこともあり、
当初からギアの滑らかさが欠けていたので未だにチューニングも一苦労。
この際だからリペア用に買っておこうかと思う。
ちょっと高い気もするけど、あまり市場には出回らない物なんでね。

あれ?同じショップで同じくTHE FGの純正牛骨サドルが格安で出品されてた筈なのに
今日開いてみたら消えちゃってる。
すぐに売れちゃうような代物じゃないのでメールで問い合わせてみよう。
たぶんまだ在庫があるだろうさ。

いやあ、それにしてもこのTHE FG、
無茶苦茶いい音で鳴ってくれてるんですわあ。
半年間張りっ放しの伸びきった弦だというのに、音が死んでないのが驚き。
これじゃ怖くて、おいそれと弦を張り替えられないのが困ったところ。
一時は別れる寸前まで関係が冷え切っていたというのにねぇ。

しばらくの間レンタル提供していたTさん、お返し頂いてありがとう。
ようやく僕に馴染んできたようです。
ひょっこり歌い始める時は、たぶんこいつを持って行くことでしょう。

*

2013年3月14日

アナグラ


都内有数の繁華街、渋谷が大きく発展して行った背景には
1928年に開業した東急東横線と地下鉄銀座線の功績があるのでしょう。
巨大化して昼夜を問わず膨大な人間が行き来する渋谷、
その混雑ぶりに今では足を踏み入れることが無くなった私ですが
70年代初頭、まだ街が閑散としていた頃の渋谷の風景は大好きでした。

神南1丁目から渋谷公会堂へと上って行く坂道がオリンピック通りと呼ばれていた時代。
公会堂の手前には旧い公団住宅が建ち、その向かい側辺りにLalaという喫茶店が在って
仲間たちと落ち合ったり何時間も語らったりする、私(たち)の格好の隠れ家でもありました。
通り沿いの店も少なかった頃ですから、日中でも道行く人影はまばら。
それが夜ともなると辺りは真っ暗になり、その寂れた風情がとても良かったのです。
(当時、私が何度か出演したジァンジァンがその通り沿いに在ったことも理由のひとつかな)

反面、道玄坂は繁華街の様相を呈してました。
百軒店(ひゃっけんだな)のギラギラした灯りやお店は新宿みたいで好きではありませんでしたが
唯一ライブハウスのB.Y.Gにだけは、お目当てのミュージシャン見たさに何度か足を運びましたし
今では伝説の店となったブラックホークには暇さえあれば通ってました。
渋谷の街が私にとって「ちょうどいいサイズ」だった、遠い昔の思い出です。

その渋谷を支えた東横線の駅が、16日からヒカリエの地下5階に移転するそうです。
ここ数日間、ホームは記念撮影をする人々で「祭り」状態だとか。
私も見納めと、地上駅の乗り納めに行きたい気もしましたが、
あのセンター街なみの人出だけはうんざりなので行きません。

穴蔵の駅なんて、
渋谷がまた嫌いになりそうです。

*

2013年3月13日

トニートニー・チョッパー


出っ腹対策のため、1年ぶりくらいにユニクロへ行って参りやした。
40年前には27インチのジーンズを履いていた私、
それが今では31インチを買い求めなければならない体型になってしまったわけで・・

けどウエストがいくら広がっても、太いパンツだけは履かないのが私の流儀でありまして
如何に血行を悪くしようとも、目が行くのは細い作りの商品が置かれた棚なのです。
今年はメンズにも待望のレギンス・カラー・ジーンズが登場したのが嬉しいニュース。
試着に留め購入はしませんでしたが、たぶん来月あたりには履いてるでしょう。

とりあえず今日は、座ったままのお仕事用にスリムフィット・ノータック・チノを選びました。
(椅子に座るとお腹が窮屈なもんで・・)
細身のデザインながらウエストは余裕の31インチ、裾幅も好みの感じです。
春から夏はこれで乗り切りましょう。

帰ってから気付いたんですが
私、カーキとかオリーブとかが好きなんですね。
何やら似たような色合いの服が部屋にいくつもありましたもの。
(もしやミリタリー志向なの?)
たまには原色系を身に纏ってみたいもんです。


在庫処分のワゴンにこんなのがあったんで、ついでに買ってしまいました。
スウェットのフルジップ・パーカー、トナカイさんが気に入ったのです。
今どきトナカイの絵柄?
いやいや、ポケットに忍ばせたランブルボールを口に入れると
私はトニートニー・チョッパーに変身するのですよ。
季節は関係ありませぬ。








・・ほらね。

*

2013年3月12日

あちこちガタガタの52年型です


外気温が高い割には室内が寒い。
冬の最中ほどじゃないにしても、なんとなく冷えてる感じがします。
気休め程度に電気ストーブを点けてみました。

なあんて呟くと、北国で暮らす方々から馬鹿にされそうですけど
凍て付く北海道の地を離れてから40年以上も経ちますと、
冬の寒さに対してはすっかり軟弱になってしまったということなのです。

え?明日の最高気温21℃!?
激しい気温の変化、老いた体には堪えますなあ~(苦笑)

寒いな。
そう感じたなら、やはりこれ。
こんな夜には芋焼酎のお湯割りが一番の贅沢です。
贅沢ついでに柿ピーと、ついでに頂き物のチョコも付けちゃいましょ。

爺さんが夜中にこんなもん喰って!
・・叱られるの覚悟で食べてます、だって美味しいんだもん。

明日は休みなので、春先のお洋服を探しに行こうかと。
パンツがねぇ、どれもきつくなってしまって
座っていると腹が苦しくて仕方ないときたもんだ。
不摂生はすぐに体の線に表れるのですよ。

ゴキッ!
ん?なんだ、今の音と感触は??
ピーナッツの硬い欠片のような物が口の中に・・


柿ピーかじりながらBlogを書いてる間に
上の前歯が欠けちゃいました、半分くらい(汗)
どうやら内側が腐って弱っていたらしく
鏡を見ると残りの半分が濃い茶褐色をしています。
つまり、口を開くと前歯が1本無いように見えるわけで
これは困った、締まらない顔だ。笑えるけど。
しばらくサボッていた歯医者に再び通わなきゃなあ~

とりあえず、明後日以降はマスクで隠します。
あちこちガタガタの、52年型の体です(悲!)

*

2013年3月11日

午後2時46分

いつもと変わらぬ午後、
昨日と同じ空の色。

私はというと、
薄灰色になった車の砂埃を払い
フロントガラスを拭いて
灰皿に溜まった吸殻を捨てる。
今日は娘の家に野菜を届ける日だ。

普段着のままの女房を助手席に乗せ、
無言のまま車を走らせる。
16号バイパスを降りた辺りで
掛けていたFMから鐘の音が流れ始めた。
1分間、鐘の音だけが鳴っている。
ふと私は「マザー」を歌い出したくなった。

午後2時46分。

いつもと変わらぬ午後、
昨日と同じ空の下を
私は無言のままで走り抜けて行った。

街が、車が、人が、風が、
みんなやさしい顔で挨拶してくれてるように思えたことが
気のせいではないことを願いながら。


いずれこの子は、
自分が生まれた年の春に大きな災害があったことを知るだろう。
そして大きくなって、
自分が生まれて来たことの意味を考えてくれるだろう。

いつもと変わらぬ午後、
昨日と同じ空の色。

私の3月11日は
そうして過ぎて行く。

この平穏な日常に感謝しなければ
昨日を振り返ることも、明日を夢見ることも
何ひとつ出来やしないじゃないか。

そう思うんだ。

*

2013年3月10日

東京砂漠


黄砂ほどではないにしても、恐るべし!関東ローム層!!
鶴見も午後2時頃から北風に変わり、空の色が一変して鼠色になってしまいました。
仕事場の屋上から東京湾方面を望むと全てが霞んで見え、おまけに気温は急降下。
24℃ほどあった初夏を思わせる陽気から、冷たい北風が吹きすさぶ冬に逆戻りです。
朝の最低気温が2℃、最高気温も12℃と、明日は今日の半分くらいまで下がるようですから
明日が休日の爺さんは体調を崩さぬよう注意しなければ!ですね。

この大気が霞む気象現象、気象庁によると「煙霧」と言うらしいのです。
名前は初めて耳にしましたけど、この光景はスモッグやヘドロという言葉が飛び交った
高度経済成長期の日本の姿を思い出してしまいました。

発生源は違えども、この灰色の世界。
私が東京に移り住んだ70年代初頭の街の色合いもそうでした。
道路も構造物も、何もかもがコンクリートと鉄の灰色。
田舎から出て来た者たちは、都会の暮らしに砂を噛むような想いを抱き
巷では内山田洋とクール・ファイブの「東京砂漠」がヒットしていました。



生演奏の動画を観ながら音を聴いてみると、
このグループ、バンドとして成り立っていたことにちょっとびっくり。
歌謡コーラスのサウンドじゃないですね、バックの音!

*

2013年3月9日

老兵


海上自衛隊の護衛艦さわゆきが退役した。
1982年6月進水、1984年2月に就役した排水量2950トンのはつゆき型4番艦で
艦齢は29歳、横須賀を母港にしていた汎用護衛艦である。

2011年3月11日、横須賀に停泊していたこの船の艦長は
震災直後に救援物資を積み込み、1時間後には船を出航させ
翌12日明け方には岩手県久慈市沖に到着したという。
海自の護衛艦隊の中で一番早く現場に到着したのがこの船だった。

その後も福島第一原発の原子炉冷却用の真水を給水するために
横須賀基地からえい航されたはしけ船の警戒艦として同行したり、
気仙沼市では大勢の被災者をボートで送り迎えして艦内に招き入れ
温かな風呂とおにぎり、みそ汁を提供する「入浴支援」に貢献したり、
被災地で幾たびも活躍したことが記されている。
シースパローやハープーンを装備している(れっきとした)軍艦が、
その年の8月まで7回に渡り、計97日間を岩手県から茨城県沖までの全海域で
救難活動や物資輸送にあたっていたわけなのだ。

東シナ海のキナ臭さから、国防についての議論が高まりつつある中
海自、空自の今後の在り方が見直されようとしている。
防衛または抑止として、一歩踏み出さずにはいられないような論調も見られる。
けれど私は、武器を手にした彼らを外に向けては欲しくない。
他国の目からは軍隊と見えたとしても、彼らは「自衛隊」に他ならない。
率先して戦うことを目的とはしてない摩訶不思議な組織なのだ。
海外からは理解されなくとも、この曖昧さで日本という国は成り立っている。

銃を持つ代わりに、土嚢やスコップを手に災害現場で汗を流す隊員の姿や
火気弾薬を降ろし救援物資を積んで被災地へと向う護衛艦が凛々しく見える。
過酷な最前線へと送られる隊員諸氏には申し訳ないが、私はそれで良いのだと思う。

老兵さわゆき退役のニュースに触れ、そんなことを考えていた。

*

2013年3月8日

猫には求めてませんけど


ほんの数日前までは灯油ストーブをガンガン焚いてたというのに
それが幻だったかのように思えるほど暖かな陽気が続いています。
この人なんか、緊張感の欠片も無いくらい、毎日毎日ゴロゴロしちゃってます。
聞けば昼間はずっと寝てたらしいのですが、
私が帰宅しても目をちょっとだけ開けるだけで起き上がろうとはしません。
猫っていいなあ・・いつもそう思います。

明日は23℃まで気温が上がるんだとか。
この人、融けてしまわなきゃいいんですが(笑)

帰宅してシャワーを浴びて出て来ると、WBCの台湾戦まだ続いてました。
9回裏、牧田のファインプレー辺りから観始めましたけど
ドームに居たお客さん、今夜の試合は得した気分でしょうねぇ。
粘り勝ちしたこの1勝は大きいです。

今回の侍ジャパン、顔ぶれのせいか圧倒的な強さは感じませんけど
守備も攻撃も野暮たく地道な印象です。
これはやはり(人の良い)コージ・ヤマモトのカラーなんでしょうかね。

睨みつけるような形相で、闘志剥き出しの熱いプレーに魅せられた
そんなひと昔前の選手とは違って、現代っ子は皆やさしい顔をしています。
でも勝負事なんですから、もっとギラギラしたところを見たいもんです。
その辺がちょっと物足りない・・

あ、ミュージック・シーンもそうかも。
往年のミュージシャンはライブ・ステージで大汗かいてたもんですが
若い方たち、いつも涼しげな表情で汗もかかずに歌ってますもんねぇ。
体質が変わっちゃったのかしら?
それとも汗を流すことが格好悪いことなのかしら?

SOULを感じたいなあ。
(猫には求めてませんけど)

*

2013年3月7日

河津桜


今どき珍しいくらいに老朽化したボロ建屋の旭警察署に出向き、
その隣のこれまた朽ち果てそうな交通安全協会で500円の証紙を買い、
Keiクンのリア・ウインドーに、ようやく保管場所標章が貼られました。
今日から正式に我が家の一員となったわけです。
Keiクン、遅くなってごめんねー!

貼り終えて、陽気に誘われるように近所をぶらぶらと散策してみると
暖かな春の陽射しに包まれた大家さんの敷地は梅が満開。
そして通りを挟んだ空き地には桜が咲いておりました。


植物に博識なカミさん曰く、河津桜と言うそうで
1月から2月にかけて開花して、伊豆の辺りは今が満開の時期とか。
綺麗なピンク色をしてましたが、ピンが甘かったのが残念であります。
(おそらくiPhoneを花びらに近付けすぎたのかと・・)

そうそう、今日は休日だったものですから
起きてすぐに私の部屋の窓(戸?)を開け放ちました。
昨年の秋以来、実に四ヶ月ぶりのことです。
裏庭にもいつの間にか、春がちょっとだけ顔を覗かせてました。


竹の何本かは伐採されたらしく、公園の遊歩道が見えるくらいに隙間が出来てましたが
もう間もなく地面からにょきにょきと筍が生えて来ることでしょう。
今年もまた、旬の筍を味わう季節がやって来るのです。

THE FGを弾きながら、1時間ほど旧い歌を歌ってみました。
ブランクの割には(ちゃんと)歌えるもんですね。
けれど、どの歌も妙にコブシが回るようになったのは何故なんでしょ?
演歌のではなく民謡風のコブシ(笑)
60年の生命に宿るトラッド、なのでしょうか。

・・そろそろ歌い始めようかな。

*

2013年3月6日

車庫証明もどき


納車からおよそ二ヶ月が過ぎてしまいましたが、
明日Keiクンの「自動車保管場所届出書」を出して来ます。
いわゆる車庫証明ですが、普通車とは異なり軽の場合は納車後で構わないのです。
普通車だと納車前に必ず「申請」しなければなりませんけど
所有してからの「届出制」なので、ついうっかりと忘れる人も多いかも知れません。

仮にこれを出さない(車に保管場所標章を貼ってない)とすると、
厳密には10万円以下の罰金と記されているのですが、
実際に処罰を受けたという人の話は聞いたことがありませんので
街を走る軽自動車のおそらく半数近くは未届けなんじゃないでしょうか。
しかも人口10万人以下の地域では届け出が不要というくらい手緩い管理なのです。
つまりは「車庫証明もどき」といったところ。

私は車を乗り換える度(まめに)毎回届け出をしていたものですから
標章を貼り終えるまで、何となく「自分の車」という実感が湧かないようになってしまいました。
なので今回もきっちりと提出して参ります。
普通車は自動車保管場所証明書交付申請手数料と保管場所標章交付手数料を合わせて
2600円の証紙が必要ですが、軽は保管場所標章交付手数料の500円のみです。
この手数料の安さもまた、軽が優遇されてることの表れでしょう。
(それとも差別なのか?)

いずれにしても、警察官にリアを覗き込まれてチェックされることもありませんので
私は標章をいつもプライベートガラスの内側から(目立たぬように)貼っています。
外側から見ると辛うじて読み取れる程度ですが、いつもそうしてます。
(説明書には外側に貼るよう書かれてるんですけどね)
ちゃんと届け出して、きっちりと貼ってあるだけマシでしょ!てぇところです。

ちなみに普通車の車庫証明申請手続き、
住民基本台帳カードがあればNETでも出来るんですね。
神奈川県警のサイトを見て初めて知りました。
へえ~、便利な世の中ですこと。
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4020.htm


*

2013年3月5日

カレーうどん

先週の火曜、晩飯はカレーライスでした。
わーい!!お家で食べるカアちゃんのカレーは最高です。

その数日後、残り物のカレーが再び登場しました。
わーい!わーい!!残ったカレーは味が深まりこれまた最高です。

すると昨晩、三度(みたび)食卓にカレーが登場しました。
毎日欠かさず鍋に火を通すカアちゃんの苦労は知っていても、
さすがに週三度目ともなると新鮮味に欠けて感動が薄れてしまいます。

これじゃいけない、カレー様にも失礼だ。
聞けばまだ少々残っているとか。
そこでカアちゃんに提案しました。
明日の晩はカレーうどんにしよう!

そして今夜、リクエスト通りの濃厚な味のカレーうどんが登場しました。
わーい!わーい!わーい!!
柔らかな豚肉も新たに追加され、これは旨いじゃありませんか!
思わず二杯も食べてしまいましたとさ。げっぷ。。

週の間にカレーが四度。
最後の一滴まで食べ尽くされて、空になったお鍋も嬉しそうでした。
カレーさんも本望でしょうな、こりゃあ。

ふと、遠藤賢司の「カレーライス」を思い出し
ふふふ~ん、カレ~うど~ん~♪と、口ずさんでみたくなりました。
(くだらない発想に、我ながら愕然としてしまいましたが・・)恥


近頃は暇さえあると、このTHE FGを弾いています。
一度は手放す寸前まで行ったのですが、思い留まり手元に残していた物を調整すると
好みのタッチとトーンに生まれ変わってくれました。
弦は秋口に張り替えたのがそのまんま、すでに伸びきってますけど
この古くなってサスティーンの衰えた音が何だかとってもいいんです。
昔は新しい弦のジャリジャリした音が大好きだったんですけどね。
歳のせい、なんでしょうか?

愛器、GibsonのJ-45を触る機会がめっきり減ってしまいましたから
ちょっぴりスネているかも知れません。

*

2013年3月4日

難関をクリア


昨日、久しぶりにターンテーブルを回しました。
アンプのフォノ・イコライザーかMC用の昇圧トランス、どちらかがヘタッてるようで
時折右チャンネルがフェイドアウト、しばらくしてフェイドイン、これを数回繰り返してました。
他の入力系は問題ないので、おそらくフォノ系統のトラブルでしょうね。
数年前ハードオフにて5千円で購入したテクニクスのプリメインなんですが、
A級動作の回路を持っていてアナログ系の音がすごく良いんですよ。
ダウンしちゃうとちょっと残念だなあ・・と思いながらも、再びハードオフで物色してみましょうかね。
(ちなみに私のオーディオ機器、スピーカー以外は全てその店で買い集めた物です)
予算5千円、何かいいもの出てないかしら?


真新しいホイールカバーを装着したKeiクンは、今日が初めての出勤日。
こうして見ると「いかにも軽」って感じで、華奢な印象に変わってしまったような気がします。
(うーん、鉄チン剥き出しのワイルドな足回りの方が良かったかなあ・・)

私の仕事場までの道、何箇所か舗装が凸凹の場所があるんですが
幸いなことに1050円のホイールカバーは激しい衝撃にもビクともしませんでした。
最大の難所は鶴見線の安善駅踏切、線路内の舗装は穴ぼこだらけで
4本ある線路を渡りきるまでガッタンゴットン凄まじい揺れ方をしますので
ひとまずここをクリアできたことは大きな安心材料です。
帰路の難所は15号線から1号線へ出るための入江橋交差点の右折レーン。
ここも数年間穴ぼこ放置状態で迷惑してたんですけど、
何と!この土日の間に綺麗に塗り返してありました。(意表を突かれちょっとびっくり)
そして最後の難関が環状2号線から保土ヶ谷バイパス下り線に繋がる右折レーン。
ここを曲がり切ったとば口の辺りが、いつまで経ってもデッコボコのままなのです。
さすがにそこはいつものままでしたが、一体いつになったら平らになるのかしらねぇ。
ここで疑問、何処も右折箇所の傷みが激しいのは何故なんでしょ?

ともあれ(有数の)悪路を走破しても外れない確信が得られたのは何よりでした。
いやはや、恐るべし1050円!(笑)

*

2013年3月3日

オホーツクの悲劇

北国の冬は厳しいものです。
吹きすさぶ風と雪は、悪魔と呼びたくなるくらい凶暴に見えます。
桃の節句を祝う今日、痛ましい事故が起きてしまいました。

http://mainichi.jp/select/news/20130304k0000m040073000c.html

北海道オホーツク海沿岸の小さな町、湧別町での出来事は悲惨でした。
あと50m進めば民家が在ったというのに
それをさせないのが、荒れ狂い牙を剥く自然の脅威なのでしょう。
極限状態で一人娘をかばうように抱き抱え、北風を一身に受けながら守り抜いた
その父親の姿には頭が下がり、そして目頭が熱くなります。

地元の方々でさえ未だ経験したことのないような今回の冬の嵐。
台風並みに発達した低気圧は、容赦なく人間の暮らしに襲い掛かりました。
それは人類が築き上げた文明を嘲笑うかのように・・

色褪せた一枚の古い写真を今でも覚えています。
私が幼少の頃、家に有ったもので昭和初期のものかと思いますが
軒下から地面まで届く太い氷柱(ツララ)が写っていました。
当時の北海道の冬は、今とは比べ物にならないほど険しく厳しいものだったことが窺えます。
やがて家が増え、人が増え、文明の発達と共に氷柱も小さくなって行き、
車が普及すると人々は雪道を何処へでも行くことが出来るようになりました。
その便利さが、冬の恐ろしさを忘れさせてしまったような気がしてならないのです。

私の実家の前の道はバス通りで、今では綺麗に舗装されて広くなっていますが
昭和の30年代は周囲の家も数えるほどしか無い畑の中を通る砂利道でした。
平坦な土地でしたから、ひとたび吹雪になると吹き溜まりがすぐに出来てしまい
その路線バスが動けなくなって運転手が私の家に電話を借りに来ることが度々ありました。
父親と一緒にスコップを持って、大きなタイヤの周りの雪を掻いたことも記憶しています。
なんたって、他に民家は無かった時代ですからね。

北海道に限らず、北国で暮らす皆さま
どうか車の力を過信せずに、嵐の日は外出を控えるようにしてください。
命を落とされたお父様と、一人ぼっちになってしまった娘さんが不憫でなりません。

それにしても、
夏には沖縄近海で頻繁に台風が発生するようになり
冬には北日本の低気圧が台風並みに発達したり
地球の自然環境が狂い始めているのが気にかかります。

*

2013年3月2日

千円ちょっとのお洒落を楽しむ


冷たい風は吹いていたものの、お天道様の陽射しはありがたいもんです。
ちょっとだけ春の訪れを感じさせる陽気の中で、ホイールカバーを取り付けてみました。
スポークの間から覗く黒い鉄チンが貧乏臭いとは思うのですが、
なんたって安いアルミホイールの1/20以下の値段なんですから我慢しましょうね。

先日天国で購入した4枚セット¥1050の超格安ホイールカバー。
粗悪品でも諦めがつく値段だからと自分に言い聞かせながら箱を開け
駄目元で1枚目を嵌め込んでみると、なんと!ぴっちりぱっちり取り付いて
ガタや隙間が無いどころか、簡単には外れそうにないほどしっかり嵌ってしまいました。
商品レビューには酷評もあったのですが、スズキのホイールにはぴったりのようで
スコーン!と気持ちいいくらいに爪が噛んでくれました。これは嬉しい誤算です。
購入当初、シルバーに朱色の縁取りはちょっと派手かなと心配でしたけど
足元のアクセントとしては、ちょうどいい感じに収まってくれたのでホッと一安心。
下品じゃないですよね?これ。


こんな玩具みたいな代物に、FBで何人かの方が「いいね!」してくれましたので
それを励みにして颯爽と街中を走り抜けたいと思っております。
(肝心の車が再び故障しない限りはね)笑

ただ、この商品が届いたときはびっくりしました。
テーピングもされてなくて、棚から出してきたままの箱に伝票を貼っただけだったんですもの。
中身が足りない!なんてことにならないんですかね?
不要なクレームを避けるためには、宅配業者に渡す際の鉄則だと思うのですが・・


左がその箱、ちゃんと届いて商品にも問題が無かったからいいんですけど
業者さん!せめてテープくらいは貼りましょうね!!

*

2013年3月1日

ノーバート・プットナムが好きなんです


今日から三月です。
夜は土砂降りの雨にやられましたけど、
束の間の春の陽気は嬉しいもんですね。
昼に春一番が吹き、深夜になっても外気温が10℃を下回らないなんて
いったい何ヶ月ぶりのことでしょう、体が急に元気になりました。

このくらいの気温になると、何かしたくてムズムズしてくるんですが
それは地球上の動植物の特性なのかも知れません。
今夜は久しぶりに「音楽を聴こう」という気になりまして
棚から取り出したのはJ.J.CALE、ナチュラリーとリアリーが1枚に収まったCDです。
彼のアルバムの中では、今も昔もその2枚が一番好きなので
両方をいっぺんに聴くことが出来るという、私にとっては重宝なカップリングなのであります。

実をいうとこの1stと2ndが好きなのは、バックとJ.Jの絡みが最高だからなのでして
古巣であるナッシュビルの面々を従えた彼の歌がとってもいいんです。
とりわけベースのノーバート・プットナムは私が大好きなミュージシャンでもあり
「Everything Will Be Alright」のフレーズなんて何度聴いてもゾクゾクしてしまいます。
さすがエリアコード615!ですね。
ちなみに72年にナッシュビルでレコーディングされたエリック・アンダースンの名盤
「ブルー・リヴァー」のプロデュースを手掛けたのもノーバート・プットナムでした。
当然ベースも当人なので、私の中では「ナチュラリー」~「リアリー」~
そして「ブルー・リヴァー」までが同じ時代の中で全て繋がってしまってるんですよね。
ナッシュビルの空気感、たまらない魅力です。

そして今になって気付きました。
J.Jのカップリング・アルバムのライナー、増渕さんが書いてたんだ!
「ブルー・リヴァー」の(明言)ライナーを記した小倉エージ氏を含め、
お二方とも今ではFacebookで繋がっているという不思議な縁を想いつつ
温かな夜は更けて行くのでありました。

縁は異なものです(男同士ですが)笑

*