三月のこの時期に各地で初夏の気温とは、
これを異常と呼ばずして何と言おう。
けれどあまり騒ぎ立ててる節は見受けられない。
やれやれ・・と、溜息をつきながら
皆が黙って受け入れている、そんな感じ。
2年前、あれほどの自然の驚異と脅威を目の当たりにしたせいなんだろうか。
人々は、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているのかも知れない。
或いは己の力じゃどうにもならないことには無関心を装い
軽はずみに口を挟むことを躊躇しているのか。
「諦め」と言えば聞こえはいいが、異常な物事が当たり前のように受け取られ
さほどの関心を抱くことも無いのだとしたなら、それほど怖いことはない。
昨夜の福島第一の停電だって、
あってはいけないことが起きてしまったというのに
メディアの厳しい追求も無く、国民も以前ほど敏感には反応しなかった。
これから先、50年100年といった
気が遠くなるほどの時間を掛けなければ廃炉の作業は終息しないのだが
家を追われ、土地を追われた者以外にとっては、
過去の事件としか捉えることが出来ず、おまけに記憶から消えかかっているかのようだ。
それは世界各地で勃発する戦争にも似ている。
当事者でなければ、その痛みも苦しみもわかりゃしないし
海の向こうで今もなお続いていることなど知る由も無いのだから。
けれど福島はすぐそこだ。
日本で起きた深刻な大災害だ。
孫の代まで終わることのないその事故対応の
過程を検証することだけは忘れないようにしなくっちゃ。
決して無関心では居られないし、ああそうですかと受け入れることも出来やしない。
何がどうして、どうなって行くのか、誰が何をどうしようとしているのか
僕らは生きてる限りアンチテーゼの目を向け、耳を澄ましていようじゃないか。
どうです僕は大地のように
関わるすべてを受け入れるふり
だんだん馬鹿になって行くのです
細野晴臣「ありがとう」
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