2020年12月9日

偏屈な男の自分史

 

松原みきが79年にリリ―スした「真夜中のドア」

これがSpotifyバイラルチャートでトップ3、

Apple MusicのJ-Popランキングでは

なんと92か国でトップ10にランキングしているそうな。

我が国ではシティポップと形容されていた時代の

70年代後半から80年代前半にかけてのヒット曲の数々が

いつの間にやら海外で持て囃されていただなんて

勉強不足の僕は今日になって初めて知ったというお粗末。

しかしながら、それも無理はない。

僕にとっての良き時代の音楽は70年代で終わっていて

80年代から90年代にかけてのミュ―ジックシ―ンには

まったくと言っていいほど興味が無かったのだから。

そもそもシティポップなるヤワな名称が嫌だった。

国外のミュ―ジシャンでも、

元祖AORと呼ばれたボズ・スキャッグスの

「シルク・ディグリ―ズ」までが限界だった気がする。

そのレコ―ディング・セッションマンたちがTOTOとなり

世界中でどれほどヒットを重ねたのだとしても、

僕にとっては知らない曲ばかりという経緯があるため

80年代の音楽で育った世代の方々とは噛み合わないのである。


話を松原みきに戻そう。

当然のことながら「真夜中のドア」は当時のサウンドだ。

耳にタコが出来たほど、あの頃に多用されたアレンジだ。

猫も杓子も使いまわしたそのリズムや音たちを

こんな偏屈な僕でも、今それを耳にすると妙に懐かしく思える。

たぶん、「流行歌」に対する僕のアンチテ―ゼが

あの頃の流行り音楽を拒絶していたんだろうね。

それともうひとつ、

男の子は揉み上げがスパッと無くなり

女の子はおでこを隠してもっさりした髪型となった

あの時代のファッションが、どうしても好きになれなかった。

その反骨精神の意思表示?として(笑)

僕がパンチパ―マをかけていたことを知る者は居ないだろうね。

長男が生まれ、ハイハイしている傍らで

パンチパ―マの親父がテレキャスと戯れていた頃の写真、

家の何処かに潜んでいる筈だけど見つからない。

実は硬派だった(のか?)僕の自画像、

出てきたら、笑っちゃうよね。

肩から背中にかけてのロングヘア―が

耳が隠れる程度の髪型まで短くなり

それがいつしかパンチパ―マへと変貌した後

ほぼ現在のような(全体的に)短い髪型となった過程も

自分にとっては貴重な歴史なのである。

ま、それはそのまま

世界中の当時の若者の変遷を絵に描いたようなものだがね。



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