マチュピチュ村の村長として
その地を観光名所とすることに貢献したのが
野内与吉さんという日本人であったことを初めて知りました。
1939年から1941年にかけての3年間は地域の最高責任者である行政官。
(この当時はまだ村になっていなかった)
そして1948年にはペルー政府から村長を任命されたそうです。
東京大学総合研究博物館の文献を紐解くと
1917年、24歳のときに契約移民としてペルーに渡ってからの功績が記されています。
国鉄の工事に関わったり、水路の普及とそれに伴う水力発電、
1935年にはホテル・ノウチを建設して村の発展に尽力したとのこと。
土地の開拓中に温泉まで掘り当て、貧しかった村の暮らしを豊かにしたことで
その名は今でも語り継がれ、村の歴史に刻まれているのです。
そんな経緯から、
野内さんの出身地である福島県大玉村とマチュピチュ村の間で
友好都市協定に調印されたことが今日報じられました。
世界各地の自治体から申し込みが殺到するほどの地でありながら
我が国の小さな村を友好都市に選んだ背景には
野内さんへの感謝の気持ちを忘れていないペルー国民の心情があるのでしょう。
その昔、こんな素晴らしい方が居たことを
僕は日本の国民の一人として誇らしく思います。
「天空の城ラピュタ」のモデルとなった地の開拓に奔走したのが
百年前ペルーに渡った日本人であったことを
多くの子供たちにも知ってもらいたいものです。
文科省のお役人さん、教科書に載せましょうよ。
・・などと言いながら
すでにご存知であった方々から
今になって知り得た僕の知識の薄弱さを責められることが
ちょっとだけ心配でもあるのです。
*
0 件のコメント:
コメントを投稿