2019年6月15日

一喜荘時代 其の十


73年の秋、僕は数寄屋橋に本店の在った某中古レコ―ド店の社員となった。
どこかで音楽とは関わっていたい、そんな女々しさからなのだろうか
振り返ると、あまりにも短絡的なその選択には我ながら呆れてしまう。
けれど毎月決まった額の給金が入ることによって
胃袋は満たされ(恥ずかしながら)体重はすぐに5Kgほど増えてしまった。

始めてみると、休日は少なかったが仕事は楽しくて仕方なく
おまけに社販だと売値の6~7割でレコ―ドが手に入るものだから
毎月アルバムを20~30枚くらいの勢いで買い漁るようになっていた。
この店のモット―はあくまで「中古品」定価より安く販売する主義だったので
名盤だろうが廃盤だろうが、初版のオリジナル盤だろうがお構いなく
高くても1000~1200円で店頭の餌箱に並べられていたせいで
いわゆるコレクタ―と呼ばれる者たちから重宝され繁盛していたのだ。
(おそらく転売すると数千から数万円の利益を生む盤もあっただろう)
廃盤レコ―ドの専門店がプレミアム価格で高額売買していても
この店だけは頑固なほど中古としての価値しか認めていなかったわけで
マニアやコレクタ―や、はたまた同業者が大勢押し寄せ
毎日毎日、どの店もごった返して大繁盛していたのだった。

僕もその恩恵に授かり、名盤貴重盤を片っ端から買い漁り
しかも社販で700~800円くらいになるという「特典」付きで
実においしい思いを堪能しながらの職場だったので
どれだけ忙しくても、苦にはならず楽しく過ごすことができたのだ。
(実際、自宅のレコ―ドラックは3年ほどで千枚を超えてしまった)
餌箱には中古盤以外にも国内メ―カ―の不良廃棄品や
(再販制度の締め付けがあったので在庫処分とは言えなかったのだ)
大量に仕入れた(やや粗悪な品質の)数枚の格安輸入盤も並べられ
バ―ズのプリフライトとリンゴ・スタ―のカントリ―アルバムが
いずれも新品500円で売られていた。むろん即買い。
中でも最も粗悪だったのはビ―トルズのリボルバ―、
ドイツ盤300円のそれはペラなジャケットで盤は反り返り
著しく音質の悪い代物だったため、ほとんど売れなかった。

我が国には再販制度があるため定価販売しか認めらていなかった時代に
半額程度で売られている山ほどのレコ―ドを目にしてしまうと
それだけで興奮するし、大いに仕事の励みにもなるってもんで
僕は毎日のように袋を抱えて一喜荘へと帰って行ったのだ。
だが、こうなってしまうと以前のように歌うことはおろか
詩を書くことも曲を書くことも日常からは遠ざかってしまい
「歌を忘れて」リスナ―の殻に納まる罪悪感は多少なりともあった。
これでいいのか?いや、これでいいんだと言い聞かせながら
定収入で裕福になった僕の日常から、いつしか歌は消えて行った。

いつの時代も金の力は恐ろしい。
いったん手にすると、主義主張はおろかポリシ―までもがどうでもよくなる。
たとえ自分で稼いだ金であっても、それまで貧しい思いをした者ほど
掌を返したように変わってしまうことにさえ気付かないくらい
その頃の僕はバブリ―な気分で浮かれていたに違いないのだ。

居心地が良かったのか、この会社には18年も勤めてしまった。

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