2020年10月23日

日常と非日常の狭間が面白いのだ

 

朝ドラからのNHKあさイチ。プレミアムト―クのゲストによっては、ついそのまま見入ってしまう。発する言葉のテンポがいいとなおさらだ(いつぞやはヤマザキマリさんのト―クにしてやられた)そして「長崎の鐘」のメロディが頭から消えないうちに登場した今朝のゲストは、釧路在住の作家である桜木紫乃さん。この人の存在感と吸引力は凄いパワ―だね、ぐいぐい引き込まれて行く。おまけに言葉の端々に現れる北海道特有のイントネイション、これがツボに嵌ってなのか、とても心地好く耳に届くので聞き入ってしまうわけだ(例えは悪いかもしれないが、彼女の言い様と風貌に、私の記憶にある「北海道のおばちゃん」を思い浮かべてしまった。それは特定の者を指してではなく、極めて一般的な話好きの「おばちゃん」の姿だ。こういう人、居たっけなあ・・といった案配。親戚にも少々似たイメ―ジの人が居たくらいだから、いわゆる「北海道あるある」的なものだと思う。)笑

彼女が発する日常的な言葉が、ほんの少し時間を置くと非日常との狭間に身を置かれたように感じてしまう不思議。それは歌の詞にも有りがちな日常と非日常のせめぎ合いだ。そこのテンポがいい。来月封切られる映画「ホテルロ―ヤル」この辺りから読み始めてみようかな。


2020年10月22日

愛馬

 

鶴見の仕事場まで、往復50Kmの道のりを走り続けたジムニ―くん。近頃では3~4日に一度ほど、近場のス―パ―へ買い出しに行くときくらいしかエンジンをかけることがありません。一昨年にミッションを交換したとはいえ、19万Kmという過走行車なので、へそを曲げやしないかと心配になってしまいます。ですから走行前は空気圧の点検やオイル滲みがないかなど、足回りの始業点検は疎かにできません。もちろん電装系もね。今のところ不具合はありませんけど、年明け早々には車検の更新が控えています。乗る機会は大幅に減ってしまいましたが、あちこち修理させられた腐れ縁的な相棒として、もうしばらく付き合っていこうと思っています。或る日、ちょっとした不具合を感じたとしても「この車の癖なんだ」と、許せるあたりがジムニ―の七不思議でもありまして、まるでこちらが操られているかのように堂々と走ります。馬に乗ったことはありませんけど、例えて言うなら馬と人間の関係みたいなものでしょうか。馬力とは、言い得て妙です。ジムニ―は間違いなく馬です。しかも道産子のね。


2020年10月21日

俗人の棲む世

 





















昨日の誤ったル―トを修正しつつ、自宅から2.5Kmほどの道をアップダウンしながら大池自然公園の裏口からの入園に成功しました。とは言っても、あくまで裏口。正規の入口ではないため、入った早々キャンプ場のある小高い丘を越えてようやく園内の整備された道へ出られたわけでして・・ここへ出るまでの道のりも結構険しかったのです。ふうぅ、いい運動になりましたわ。
10年ほど前に次女とカミさんと三人で訪れて以来ですが、やはり此処は変わってないですね(当たり前か)けどひとつだけ、正門を入ってすぐの右側に大きなレストハウスが在るんですが、やたら綺麗になってました。リフォ―ム?それとも建て替えたのかしら?地元で事情通の方、教えてください。

平日で人も少ないのでマスクを外して園内を散策しましたけど、この当たり前のような心地好さを久しぶりに味わうことができました。これぞ娑婆、俗人の棲む世の空気!なんと旨いことか!!この解放感、それだけでも大満足です。そして再びアップダウンの帰り道、ト―タル7Km1万歩のヘヴィな散歩となりましたが(いや、軟弱な私の感覚ではトレッキングに近い過酷さ)降り注ぐ陽の光りや吹く風が、顔いっぱいに直接当たることの快感が身に沁みました。マスクを必要としない日常が、戻って来ることを願わずにはいられません。


2020年10月20日

道を誤る

 

前夜、予めGoogle マップで調べておいたというのに、こっちの方が近いんじゃないか?という爺さんのせっかちさから道を一本間違えてしまいました。何処まで行っても目的地である大池自然公園の外周と思しき高いフェンスに阻まれ、入口の無い南側の外周道路を進むこと30分、帰りの登り坂がきつくなるので諦めることに。いやあそれにしても、高低差の激しい土地ですこと。我が家からは何処へ行くにしてもアップダウンの連続なのでして、往復1時間ほどを目安にしている毎日の散歩だって結構な運動量になるのですよ。

明日も天気が良さそうなので、今一度チャレンジしてみます。果たしてリベンジなるか・・


2020年10月19日

ちょっと悔しい

 

雨なので、本日は家に籠りっぱなし。
昨日セットアップしたオ―ラト―ンで、リトルフィ―トをリレ―再生。
しかし残念なことに、ディキシ―・チキンのみ不良盤だった模様。
まるでアナログ盤なみのジリジリノイズで始まった後、
2曲目以降は全くトレ―スできず無音状態。
ずいぶん前に5枚組¥1800くらいで売られていたインポ―ト盤ゆえ
それなりの物であろうと諦めることに。
でもなあ、3枚目までの流れがいいんだけどなあ。
・・ちょっと悔しい。

明日は天気に乗じて、大池自然公園まで歩く予定。
めざせ1万歩!


2020年10月18日

オ―ラト―ン5C再び

 

先日、FBフレンドのタイムラインがオ―ラト―ン5Cの話題で賑わっていた。わずか7インチ角のシングルレンジ・キュ―ブスピ―カ―、本国アメリカでは60年代のポップス制作現場で「ラジオモニタ―」として重宝されていたモデルだ。当時のレコ―ドセ―ルスはラジオ局が牽引していた時代なので、音質のあまり良くないカ―ラジオでもバランスよく再生できるよう、敢えてナロ―レンジのこのモニタ―で最終の音決めをしていたのである。けれども70年代に入り、家庭用のオ―ディオ機器が普及してリスナ―がHi-Fi志向になって行くと、ほとんどのスタジオから5Cが消え、代わりにYAMAHAのNS-10Mがコンソ―ルの上にニア・モニタ―として置かれるようになったのである。だが可笑しなもので、表舞台から姿を消すと同時に一部のオ―ディオマニアが夜間のモニタ―用として重宝し始めた。小音量で再生したときのバランスの良さが評判になったのだ。

私の5Cは80年代の物でオリジナルではなく、ト―マスという輸入代理店が販売していた頃の製品だ(やがてト―マスはベルデンのケ―ブルも取扱うようになり知名度が上がった)オリジナルを持っていた時期もあるが、ウレタンのサランネットがボロボロになったことと、当時は決して良い音だと思えずに手放してしまったのだ。ところがト―マスが市場に送り込んだ5Cは明らかに音が違っていて、どこをどう変更したのかレンジが広がり低域もオリジナルより遥かに伸びていた。これは使えるぞ!そう確信して現在まで手放さずに保有していた次第である。


なので今回のように、ふと思い出しては引っ張り出して聴いているのだ。相変わらず、アコ―スティック楽器やボ―カルの再現性はとてもいい。ダイヤト―ンの上にオ―ラト―ン、洒落に聞こえるかもしれないが、しばらくはこのセッティングで楽しんでみよう。
(画像内の爺さんには似合わぬ置物には目をつむってね)笑


2020年10月17日

Cold Cold World

 

ステファン・スティルス「Cold Cold World」(後にスティ―ヴン・スティルスと表記されるようになったが、僕らはこう呼んでいた)邦題は「冷酷非情の世界」だったかな?意味合いは違うけれど「Cold」に激しく反応して、季節が秋から冬に移り変わる頃合いには好んで聴いている曲だ。CBSに移籍してからの彼は、アトランティック時代の熱量には遠く及ばないにしても、隠れた名曲が幾つかあるのだよ。これもそのひとつ。

・・それにしても寒い。

私の部屋に、例年より早くデロンギが登場した。気が付けば、いつの間にか家着がほぼ冬用になっているではないか。どうやら人間も他の動物たちと同じように、暑さよりも寒さに過敏になるようだ。そろそろ冬ごもりか・・