2012年11月12日

楽しい夜更かし


ご意見は様々あるかも知れませんが、ソロとしての大瀧さんのアルバムの中では「ナイアガラ・ムーン」が最高傑作であると私は今でも確信しています。はっぴいえんどの流れを汲んだベルウッドのアルバムも勿論好きではあるのですが、リズムを重視した音作りに徹したこの遊び心満点なアルバムこそ、その後のナイアガラ・レコードのスタイルを確立して行く上で大きな礎となった筈なんですから。26年前に(当時の大瀧さんのお抱え運転手だった)京都の故・岸本哲クンから頂戴したこのサンプル・アルバム、今聴いても実に楽しい!

このアルバムがリリースされた後、エレック・レコードが傾いてしまった為にレーベルはコロンビア・レコードに移籍することになったのですが(その後再度CBSに移籍)まだこの当時はアナログ全盛の時代、私が所有していたのは全てLP盤でCBS移籍発のアルバム「A LONG VACATION」まではシングル盤を含め全タイトルが手元に有ったと思います。(有った、と過去形なのは金に困った時期に全部売り払ってしまったからなのでして・・情けない)
けれどこのアルバムだけは手放すことが出来なかったのです。「ナイアガラ音頭」のDJコピー盤に7万円もの値が付いたり、布谷文夫さんのアルバム(ポリドールからリリースされたが全く売れずすぐに廃盤になった代物)が1万円で売れたり、ナイアガラやURC絡みだけでも総額数十万円にはなったおかげで家族を守ることが出来たという逸話があったとしても、これだけは持っていたかったのでした。

レコード番号NAL-0002、しぶとく持っていたご褒美なんでしょうか。エレック~コロンビア~CBSと移籍する度にジャケットの裏写真が変更され、今は全く別の画像が使われているようです。私が所有しているオリジナル盤はこんな感じなんですが、これぞ大瀧ハウスと呼べる世界がそこには在るのです。


ね、素敵でしょ!この写真。レコードに囲まれ畳に寝そべる無国籍状態の師の姿に感動したものです。まさに、さよならアメリカ さよならニッポン。この空間からナイアガラ・レコードが誕生したという歴史的な一枚なんですから、これはこの先も絶対に手放すわけには行きません。哲ちゃん(岸本クン)の形見とも言えますしね。いやあ、それにしてもいい写真だあ~

前述のレコード番号についてですが、NAL-0001はシュガー・ベイブだったんです。それも売り払ってしまいましたけどね。でも後悔はしてません。オリジナル盤のほとんどを手放してしまったのは残念ですが、今こうして家族の皆が平和に暮らしていられるんですからね。売られて行ったレコード盤たちも本望だろうと都合良く考えることにしています(笑)

ああ、何年ぶりでしょ。このアルバムに針を落としたのは。いや、それ以前に空気に触れさせたのが一体いつ以来になることやら。幸いなことにジャケットも盤面もカビていませんでした。国内盤のコーティングされた厚い素材のジャケットは、やはりこの国の風土に適合したものなんですね。恐れ入りました!

アナログ三昧な今日この頃、懐かしい音に触れさせてくれたのもやはりDENONのおかげなんでしょうか。こうして聴いていると、福生の大瀧さんのお宅にお邪魔して朝までブラックジャックを楽しんだ思い出が蘇って来ます。ナイアガラ・ムーンをレコーディングした後、伽藍とした45スタジオに唯一置いてあったリッケンバッカーは今でも記憶に残っています。そんな「楽しい夜更かし」については以前の日記をご覧になって頂ければと思います。

ちなみに先日レコファンで百円にて購入(買戻し)した「EACH TIME」の内袋、これはたまりませんね!




2 件のコメント:

  1. 岸本さんと仕事をさせてもらったことがあります。
    岸本さんは、所属した組織の自慢話をしない方でした。
    唯一、「ナイヤガラ・レコード」の名を口にする時、
    岸本さんはとても誇らしげでした。
    葬儀の終わりに、岸本さんの娘さんが、一枚の紙切れを手に、挨拶をしました。

    「みなさんに、父、岸本哲から最後の言葉です........

    『よぉろしくぅっ!♪』

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  2. 近藤さん初めまして!
    哲ちゃんのことでコメント頂いてとても嬉しいです。
    彼は僕が初めて会った20代の頃から何一つ変わらない男でした。
    美学とポリシー、そしてその生き方、どれも軸がずれることなく
    そのまま最期の瞬間まで貫いたのは見事としか言いようがありません。
    生前の彼のこと、葬儀の様子、お知らせ頂いてありがとうございました。

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