2013年5月16日
クソジジイと呼ばれるその日まで
三十数年間、人前で歌うことをやめてしまっていた私。
子供たちも大きくなり、やがて長男が家庭を持った頃に
その封印を解き再び歌い始めたのが8年前のこと。
バック・バンドにコーラス隊まで、総勢10名ほどを従えて
1時間半ほどのステージを歌いきったその夜のことは今でも忘れられない。
70年代から時空を超えて、かずら元年が息を吹き返した記念すべき夜だからだ。
あれから行く先々で、いろんな人間と出会った。
いい奴ばかりに囲まれ、私は幸せ者だと思えることが嬉しくて
演奏を終えた後、皆と遅くまでよく飲んだものだった。
仮に誰かが毒を吐くことがあっても、それは直向さゆえのこと。
言い得て妙な言葉が飛び交う中で飲むのはとても楽しいことで
その居心地の良さに、ついいつも深酒となってしまうのだ。
その数多くの友人たちの中でも、ひときわ毒を盛大に吐く男が居た。
いわゆる「ボロクソに言う」てぇやつ。
魂やポリシーを感じさせないような音楽に対しては容赦の無い言い方をするのだが
これを聞いていると、そうそう!と相槌を打つことが多く、実に楽しくさせてくれる。
(いや、ならばそれを毒と呼ぶのは語弊があるかも知れないな)
その熱き男の口から飛び出す言葉は、いつも正論なのだから。
今日はその男の誕生日であることをSNSで見掛け
夜になってからお祝いのメールを送るとすぐに返信があった。
どうやら50の大台に到達したらしい。
50年といえば半世紀、歴史に名を残すことは無いにしても
その人間の一生に於ける偉大な航跡だ。
とても素敵なことには違いない。つい、おめでとうを連発してしまった。
たぶん彼なら、これから先も変わらずに
死ぬまで(妙薬となる)毒を吐き続けてくれるだろう。
私は60を過ぎてしまったが、この調子で行けば
10年20年後には素晴らしき「クソジジイ」が世の中に溢れていそうで
それを考えると何だかやたらに楽しく思えてくる。
毒と薬は紙一重、毒には毒をもって制すとも言われる。
世の中には絶対に毒も必要なのだ。
毒にも薬にもならないような、そんな人間にだけはなりたくない。
鈴木クン、
クソジジイ!と呼ばれるなら
それは僕らにとって最高の勲章だよね!!
お互い「物言うジジイ」になろうじゃないか。ねっ(笑)
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