2013年6月9日

と或る

とある物を予約した。
何か引き合う糸のような縁を感じて。

思い過ごしかも知れない。
けど、対面してみなきゃわからないじゃないか。

入荷は未定だという。
数ヶ月待つことになりそうだ。

いいさ、気長に待ってやる。
この歳になると、焦る気持ちも全く無い。

不思議なもんで
先が長い筈の若かった時分の方が何事にも待てなかった。

何を慌てていたんだろう。
その日に答えが出なければ、この世の終わりくらいに思えたものだ。

神経擦り減らして、いつも何かと戦っていた。
若かりし頃の闘争心てやつなのか。

敢えて平穏な暮らしを嫌悪することもあった。
与えられたもの、手にしたものより
覆すことの方が人としての美徳だと考えていたこともある。

物事や現象は、そのまま受け入れちゃいけない。
疑ってかかり、否定することから始まるのだと信じていた。

それがどうだ。
今じゃ仏様もびっくりなほど、何もかも受け入れているじゃないか。

闘争心が萎えてしまうと、人は肥えるもの。
ほら、僕の下腹がそれを物語っている。

いかんいかん。
泣きたいほどの空腹感を忘れてしまっちゃいけない。
飢えてなきゃ、喜びもないものさ。

と、
とある爺さんは思うのだ。

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