2013年11月10日
この世で一番怖いもの
前触れも無く、地響きを伴って突然襲って来る
地震てやつは自然災害の中で一番手強い相手だろう。
今朝の揺れにもかなり動揺した。
けれど呑気な人間にも動物的な本能が幾分残っているようで
強い揺れを感じながらも「ああ、これは大事には至らないな」みたいな
曖昧ながらもその先の予測が辛うじて出来るから不思議だ。
なので就寝中だった今朝は飛び起きることもなかった。
3.11の時は、ただならぬ気配に傍にあったギターを抱えベッドの上に避難した直後に
座っていた場所に棚からJBLのモニタースピーカーが降って来た。
逃げてなければ打撲か骨折、またはギターのボディが割れていただろう。
自然の営みの中の急な変化を感じられなくなった人間でさえも
その程度のことは出来るんだなあと、当時は感心したものだ。
私の故郷、帯広。
ここは過去に何度も大きな地震に見舞われている。
十勝沖地震と呼ばれ、古くから大地震が幾度も起きている場所だ。
1952年、私がまだ母の胎内に居るときにマグニチュード8.2の大地震があり
1968年、高校1年のときにマグニチュード7.9を実体験した。
午前の授業中に木造校舎が不気味な音を立てながら激しく揺れ始め
1階の教室に居た我々は一目散に窓から校庭へと逃げたのだが
よじ登った窓枠が大きく揺れて誰もが地面に転げ落ちた光景を今でも覚えている。
校舎が崩れることはなかったものの、家に帰ってみると分厚い漆喰の壁が剥がれ落ち
壁のあちこちに亀裂が入っていたのにも驚かされた。
そして何度も来る余震、夜には空が明るく輝く発光現象もあり
まるでこの世の終わりを告げられているような恐怖から、眠れないまま朝を迎えた。
あの日のことを、今でもよく覚えている。
トラウマなのか、それ以来僅かな揺れにも敏感になってしまったようだ。
本震の前に来るP波という微弱な振動を察知する者は案外と多い。
寝ているときの私もそうだが、友人知人にも数多く居る。
ただし動物的感覚のそれであっても本震直前の1~2秒にしか過ぎないのだ。
その極めて僅かな時間の前触れを感じ取ったとしても
防衛手段の役に立たないところが地震の怖さなんだろうな。
敏感な野生動物たちとて、逃げ出すことは出来ても助かる保証は無いわけで
地上には逃げ場が無いという共通点だけが虚しく浮き彫りになる。
やはり地震は怖いものだ。
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