考えてみたら
この国には秘密なんて何も無いような気がする。
口の軽いオッサンが、或る日ポロッと余計な事を言い
それを揉み消すのに右往左往する姿ばかり見てきたからだ。
事の重要性を客観的に推し量ることが出来ず
社会の反応や批判を受けてからようやく気付く程度の
そんなお粗末な危機管理の意識しかない者たちに
秘密保護法なんて大きなザルを与えて良いものだろうか。
どれほどの重要性があるのか
考え出すとキリが無いし面倒だから
役人は機密・極秘の判をやたらと押したがるだろう。
情報公開する手間と
それによって不利益を被るくらいなら
最初から極秘扱いにしてしまうのが得策だと
役人や政治家の多くがそう考えるのは目に見えている。
機密だとか情報管理だとか
そもそもこの国の人間にとって、それは一番不得手な分野なんだろう。
物騒な世の中とは言え、諸外国に比べると治安は良いし
テロや戦争が身近なものだと気構える者は極めて少数派だ。
所詮は薄い壁ひとつ、障子一枚の家屋で暮らしてきた民族にとって
話し声が隣近所に筒抜けになることくらいお構いなしだった。
向こう三軒両隣のコミュニティによって成り立ってきたせいもあるし
海に囲まれた島国で単一民族という背景もある。
けれどお人好しで気のいい国民性も今では
分厚い壁の頑丈な家に住み、セキュリティというアイテムを手にした途端
お互いが「個」に執着するようになってしまい、
インターネットは生の会話の機会を激減させる結果になった。
情報垂れ流しの現状があったとしても
個人情報などという響きの良い言葉を植え付けて
何事も保全されているような安心感だけを国民に与えているが
官も民も、それを徹底して極秘とする意識は相変わらず低い。
誰の利益のために、どう運用して行くのか
それがないまま厳つい言葉だけが一人歩き始めるのがこの国のようである。
実はそれが一番怖い。
大本営発表に踊らされ、検閲に戦々恐々とした
そんな歴史が繰り返されることがあってはいけないのだ。
永田町に罵声が飛び交ったその日、
何事もなかったかのように
何も変わっちゃいないかのように
夕陽はいつもと同じ辺りに落ちて行った。
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