2014年1月1日

扉の向こう側



物言わず
静かに去り行く筈だった2013年は
大晦日の朝に衝撃的なニュースを残し
呆然と佇む僕の目の前で
慌しくその扉を閉ざしてしまいました。
それはまるで
過去という時間に囚われるなと言わんばかりに。

でも、大瀧さん
あなたが居なければ
僕は歌っていなかったと思います。

ゆでめんと風街は
僕を目覚めさせた原点とも言える音に溢れ
その後のベルウッド盤にもインスパイアされたものです。

ナイアガラムーンをリリースした頃だったでしょうか、
福生のお宅を女房と友人で訪ね
母屋で晩ご飯をご馳走になってから
伽藍とした45スタジオに移り
朝までブラックジャックに戯れましたよね。
まさに、楽しい夜更かしでした。

朝がすっかり明けてから
皆で近くの定食屋に行き、生姜焼きを頬張った思い出が
今でも鮮烈に蘇ります。
けれど、あなたの言う通り
その大切な思い出の記憶はいつもモノクロームで
朝の眩しい光に目を細めたような映像でしかありません。

その後数回お会いしてますが、覚えてますか?
某百貨店で催されたニッポン放送の機材放出セールで
1インチのモノラル・オープンデッキを衝動買いした時も
哲ちゃん(故・岸本哲)と一緒に傍で笑って見てましたよ。

ナイアガラレコードを立ち上げてから
エレック、コロムビア、CBSソニーと渡り歩くうち
やがてロング・バケーションの大ヒットで
あなたは音楽界で著名な人物となりました。
でもね、NHKの夜のニュースで
時間を割いてあなたの訃報を伝える光景を見ていると
何だか不思議な感覚に陥ったのも事実です。

70年代初頭、はっぴいえんどは玄人受けはしていたものの
世間はあくまで亜流としか捉えてなかったんですからね。
ゆでめんも風街も、果てはナイアガラ・ムーンも
僕(ら)の密かな宝物だったんですもの。
それが大きく報道される現代が、不思議に思えてしまうんです。

哲ちゃんとはもう会いましたか?
布谷さん、元気にしてますか?

僕もいつかそちらへ行くんでしょうから
その折には僕の歌も聴いてくださいね。
哲ちゃん、それまで御大のお相手よろしく!



そんな年の初めです。
パッカーンと開いた新年の扉の向こう側が
空虚に思えるのは僕だけなのかも知れません。
けれど、
僕にとっては激動の年になりそうな予感がしています。
残った者として、動き始めなきゃ。

でも、
今夜だけは勘弁してください。
街角で一人、ぽつんとさせてください。

http://youtu.be/33jJd0G3QSA

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