2014年2月17日
帰って来た女
関西方面からの帰り道、運悪く大雪に行く手を阻まれ
2泊6日の長き旅からようやく帰浜した友人の道中記が、不謹慎ながらとても面白かった。
もしも僕がその状況に遭遇したとしたなら、とても平常心など保てなかったことだろう。
苦痛や不安を笑いに変える彼女の行動と文章を見ていると
こんな人間ばかりなら、おそらくこの世に争い事など起きないのだろうと思う。
気が遠くなるほど長い時間を、一人車中で過ごした陰には
他人には吐露できない悶々とした心情を抱え込み、泣きたくなる瞬間もあったに違いない。
それを決して表に出さないまま、いつもの陽気な口調で戻って来た彼女。
もはや天晴れとしか言いようがない。
今頃は慣れ親しんだベッドに潜り、安堵感いっぱいで寝ているだろう。
ゴールインおめでとう。
君は大雪に見舞われた僕らの憂鬱を振り払ってくれた。
ネットの繋がりがずっと自分を励ましてくれていたと君は言うが
いやいや救われた気分になったのは、むしろ僕らの方だ。
どんなに悲惨な災害時にも、その現場には心温まるいい話があるものだ。
逆にその光景をぬくぬくとした家の中で見ているだけの者は
己に降りかかる災いなど何ひとつ無い筈なのに、無尽蔵に買占めや買い溜めに走り回る。
3.11がそのいい例だった。
分け合う、譲り合う、負担を背負うという意識が希薄な都会人たちは
我先にと不足し始めた飲料や食料、燃料を買い漁っていたのだ。
それも不必要なくらい大量に。
これは決して危機意識ではない、単に贅沢なだけだ。
腹いっぱい喰いたいという欲、それだけだ。
今日もスーパーのレジにはカートをいっぱいにした主婦たちが並んでいた。
あんたら、どれだけ喰うんだい。これから冬眠でもするつもりなのかい!
パンはほぼ売り切れ、冷凍食品の棚も隙間が目立っていた。
水曜の天候が怪しくなってきたせいもあるのかも知れないが
何もそこまで買い漁らなくたっていいじゃないかと僕は思うのだが・・
そのおぞましいほどの光景を見ていると
都会っていうのは、苦労を嫌う者たちが棲み付いているのだなと改めて思ってしまう。
こんなに便利で、豊富な物資がいつでも手に入ることに慣れすぎてしまっているのだ。
もしも首都圏で壊滅的な大きな災害に見舞われたとしたなら
その惨状よりも、その後のことの方が不安でならない。
生き延びた者たちの貪欲さが凶悪なほど排他的になる事態が恐ろしい。
神様どうかお願いだ。
堕落した僕らにそんな試練を与えぬようにしておくれ。
殺し合いになっちまう。
*
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