2015年10月30日

業務、なのだ



またか・・と、思うほど
高齢者の暴走事故が相次ぐ。

アクセルとブレーキの踏み違いや
高速道の逆走なども
ほとんどが認知症から起因してると言われてる。

現在の道交法では75歳の免許更新から
講習予備検査と高齢者講習が実施され
記憶力や判断力が衰えている場合は専門医の診断を受け
そこで認知症と判断されると
免許の取り消しや停止の処分とするシステムはある。
けれど何度も繰り返される痛ましい事故を見る限り
その法令は全くと言っていいほど機能してないように思えるのだ。

今回の宮崎の事件も、高速道を逆走した事件も
期せずして、どちらも73歳の人間だったらしい。
どんな場合でも、そんなグレーゾーンに位置する者が
法の網にかからず、一番厄介で危険な存在だ。
つまり、危険運転の予備軍は無数に居るということで
これは途轍もなく恐ろしい社会ではないだろうか。

膝が痛くて満足に歩けない、
多少呆けてはきているがまだまだ運転くらいは出来る、
老いてしまったので買い物に行くには車が絶対に必要だ、等々
そんな理由で(危険を承知で)認めてきた社会や家族の罪もある。
多くの高齢者が車を捨ててしまうことによる販売台数の落ち込みを危惧する
自動車メーカーの思惑と、その政治献金で潤う政治家の事情もあるだろう。
規制を強めると「自動車離れ」が生じて奴らは困窮するのだから。
けれど、ここで転換していかなければ悲惨な事故は必ず起きることになる。

かく言う僕も63歳であり、若い頃に比べれば
判断力や危険の回避に少なからず衰えはあるのだろう。
しかし敢えて提言する、高齢ドライバーに意味のないステッカーを貼らせる前に
一定の年齢に達した際に改めて適正検査と路上試験を行い
新たな免許証を発行するようにしなければ社会の安全は担保できないと思うのだ。

マニュアルで重たいハンドルを切りながら運転していた頃とは違い
ATやCVT、パワステが普及してからというもの
車の運転は安易なくらいにとても簡単な事になってしまい、
実走行での運転技術もさほど必要なくなった。
これが怖い。注意力が散漫であっても、車は難なく走るのだ。

事故があったときに「業務上過失・・」と言われるように
国から免許を授かり、それを実行することが「業務」であるということを
いったいどれほどの人間が認識して車を運転しているだろう。
少なくとも高齢者と呼ばれる(旧い)方々は
誰もが教習所の机でそれを学び、熟知している筈である。
もちろん僕もその一人であり、しっかりと頭に刻み付けられている。

その業務を怠るようなことを、先人としての高齢者は絶対にしてはいけない。
社会の模範となるべく運転のマナーと技能だけは維持していかなければならないし
もしもそれが困難な状況に陥ったならば、潔く免許証を返納した方がいい。
僕はそう思いながら、今日もハンドルを握っているのだ。

悪いことは言わない。
如何なる反対論があろうとも、人命には代えられないのだから
免許証更新のあり方を見直すべき時であろう。



蛇足ながら・・

この宮崎での事件で無残に路上に転がっている車が
僕が以前乗っていたテリオス・キッドであることで
余計に悲しく、とても腹立たしく思えるのだ。
パジェロ・ミニやジムニー、そしてこのテリオス・キッドなど
軽のRV車や四駆車を高齢者は好んで乗りたがる傾向がある。
小さくて取り回しが良くて、ボディが頑丈で安心できるからだろう。

けどな、そこのジジイ!
その安全対策は乗ってるおめえじゃなくて
歩行者に向けるのが筋ってもんだぜ!!

生身の人間を6人も跳ね飛ばした挙句、
仰向けに転がった車の損傷があまりにも少ない光景を目にして
そんな怒りが込み上げるのであった。

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