2019年5月26日
オ―トチェンジャ―
米国盤の2枚組のアルバムは、1面の裏が3面、2面の裏が4面となっていて、3枚組だと3面の裏が6面、という具合に作られている。これは当時の米国のプレ―ヤ―のほとんどがオ―トチェンジャ―システムだったからだ。その仕組みは、センタ―スピンドルに最初から複数枚のディスクをセットして、それを順番に落として行き、落ち切ると今度はそれを重ねたまま逆さまにセットして裏側を再生するという、丁寧すぎるくらいにレコ―ド盤を扱う我が国の国民性からすると、あまりにも荒っぽく感じてしまうほどの構造だった。傷が付かないよう、指紋が付いたりしないようにと、腫れ物に触るように慎重に手に取っていた我が国の風習とは大きな違いだ。
それは音作りにも同じことが言え、アメリカではラジオ(カ―ラジオ)や安価なステレオ装置でも最良の音が聴こえるように製作されている。日本と明らかに違うのはカッティングレベルで、アメリカ盤は音圧があるのに比べ、日本盤となると均一で端正でおとなしく聴こえるほど音圧は低い。聴感上の周波数帯域もアメリカ盤は良い意味でのドンシャリ感が強い。あの広大な土地でヒット曲を生み出すのは大変なことだ。車の中であれ家の中であれ、聴く者にガツ―ン!と感じさせなきゃだめだってことを、でっかい国の製作者は思っていたに違いない。とにかく当たれば稼ぎはデカい。音楽産業は一種のギャンブルでもある。ゆえにレコ―ド盤は消耗品、聴く側にとっても細やかに扱う必要は無くなるわけだ。我が国の場合は、その販売価格ゆえ(再販制度で定価販売のみだった)高価な趣向品として大切に扱わざるを得なかったのと、70年代から80年代にかけてのオ―ディオブ―ムや(機材までもが高級趣向)広帯域で盤面の品質管理を重視したプレス工程などによって
肝心の音そのものが、端正でつまらないものになってしまったのである。音を楽しみたい僕は、もちろんアメリカ盤を好んで聴いた。
ちなみにレコ―ド盤の大敵は静電気、あのパチパチ音だ。日本盤の(緻密に刻まれた美しいほどの)細い音溝はノイズに弱い。カッティングレベルが低いのでノイズに負けてしまうのだ。なのに(盤面に擦り傷が生じないようにと)内袋は柔らかなポリ製だ。何度か出し入れするうちに、静電気が生じてしまうような素材を使うところに矛盾がある。それに引き換え、アメリカ盤は潔いほど硬めの紙で作られている。むろん静電気は起こりにくい。そこへ無造作に出し入れする国民性なのだから、音溝も盤面も、まずは丈夫でなきゃだめなのだ。アメリカ盤の音溝が太くて深いのは、そんな必然性があったからで、少々手荒に扱ったとしても、耐久性は十分だ。おまけに指紋も付きにくい(仮に付いたとしても目立たないような)盤面だった。雑に扱われることを前提に作られていたのだからね。
そんな厳ついアメリカ盤であっても、日本人は(まるで作法のように)丁寧に扱う。裏表をひっくり返すことだって面倒とは思わない。むろん僕もそうである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿