2019年6月10日

一喜荘時代 其の五


渋谷Jean Jeanで昼の部のブッキングを任されていたのが
当時の立教大学軽音楽部の面々だったことは先日書いた通り。
確かオ―ディションの日は5~6人の眼光鋭い男たちが居て
初めて顔を合わせたその日の夕方は一緒にご飯を食べに行った。
(記憶では)駅前に在った三平食堂の2階に陣取り
どのミュ―ジシャンを出演させるか熱く議論を戦わせていた。
大友さん、ツトム(後に僕のサポ―トギタ―となった男)
アントニオ、紅一点のミサト、他数名(名前は失念)
その大将であった大友さん、そしてツトムとミサトの三人が
風魔一族というバンド名で自らも活動していて
彼らの拠点である石神井での野外イベントや
地方のツア―に誘って頂いて行動を共にする機会は多かった。
気の合う仲間たちとの旅は実に楽しいものだ。

そういえば、ニッポン放送で
デモテ―プを収録した時に使っていたエピフォンのギタ―は
大友さんが欲しいと言うので1万円で譲ったんだった。
東海楽器製OEMの逆輸入品を帯広の楽器店で購入して
ペグをグロ―バ―の102に交換した(部品が高価な)代物で
たぶんツア―の旅費を僕はそれで補ったんだと思う。

彼らと付き合い始めて2年ほどが経過した頃だったろうか、
大友さんは忽然と姿を消し、風魔一族もコミュニティも
何もかもが、じきに消滅してしまった。
思えばあの当時、僕の周囲では失踪する者たちが相次いだ。
金銭的なトラブル、或いは女性関係が主な要因で
中にはプ―ルしてあった金を持ち逃げする者までいた。
70年代初頭というのは、大きな変化の狭間でもあり
この国は社会も人心も混沌としていた時代だったのだ。
そして僕は、行き場を失いつつあった。

画像は今でも(長く薄く)付き合いが続くツトムからの提供。
前述のツトムとは別人なのだが(ややこしいな)
Jean Jeanでのライブ時にはサポ―トでベ―スを弾いていた男だ。
今も健在なのが嬉しい。

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