2019年6月18日

福生ストラット


月内退去を宣告された東嶺町の家、
ここには京都の友人である岸本哲夫妻が訪れたり
大瀧さんの古い友人である千葉信行が連泊したり
(この男は布谷文夫の「冷たい女」の作者でもある)
家が広くなったおかげで様々な人間がやって来た。

或る日、その信行さんと岸本哲の奥さんの弟(マロ)が訪れ
福生の大瀧さんの家に皆で遊びに行こうということになり
TENKOを加え四人で電車を乗り継ぎ福生へと向かう。
あの名盤、ナイアガラ・ム―ンを生み出した
憧れの福生45スタジオをこの目で拝めるなんて
それより何より、師匠と仰ぐ大瀧さんに会えるなんて
興奮せずにはいられないほどのワクワク感で夕暮れの福生駅に降り立った。

当時の大瀧さんは米軍ハウスを二棟借りていて
一軒は家族と過ごす自宅、そしてもう一軒がプライベ―トスタジオだった。
まずは夕食を終えた頃の自宅へ伺いご挨拶。
テレビでナイタ―観戦していた大瀧さんはいきなり
「故意落球!故意落球だよ!きったねえなあ、審判よく見ろよ~」と怒る。
その声、その響き、アルバムで聴く声質と全く同じことにまず感動。
(試合は後楽園の大洋ホエ―ルズ戦だったと思う)
声が同じ・・当たり前かもしれないが
生で耳にする御大の声は、ファンにとっては神そのものなのだ。

お茶を呑みながら暫く歓談した後、隣のスタジオに場所を移す。
アルバムを収録した際の機材は何も残っておらず
伽藍としたレコ―ディングブ―スにはアップライトの古いピアノと
愛用のリッケンバッカ―だけがひっそりと置かれていた。
いやもう、それだけでも十分すぎるほど
贅沢な時間を過ごしている僕の有頂天な顔は想像できるだろう。

おもむろに「ブラックジャックやろう!」大瀧さんが言う。
そして朝まで、賑やかに僕らはカ―ドと戯れた。
それはあの名曲「楽しい夜更かし」そのままの光景であり
福生45スタジオの片隅で、それに興じているのは至福の時間だった。
夜明け頃、腹が減ったので全員で駅前の定食屋へと向かう。
大瀧さんと福生で食す生姜焼き定食、旨いに決まっているではないか。
これ以上ない幸福感のまま、僕らは福生を後にした。
頭の中では「福生ストラット」がリフレインして止むことなし。
Keep on strut !

それ以降、大瀧さんとは何度か会う機会も生まれたのだが
その大瀧さんを始め、岸本哲、布谷文夫と
関わっていた者たち皆が、次々と他界してしまったことが悲しい。


0 件のコメント:

コメントを投稿