2014年4月25日

ゲロ



若い方なら
お洒落にネット・サーフィンなどと仰るのでしょうけど
あたしみたいな歳になってしまうと
もはや徘徊以外の何物でもありませんわな。

コメント、と表されれば聞こえは良いですが
酔った勢いで、あちこちさ迷いながら
道々にゲロを吐いて行くようなものであります。

汚いですねえ~嫌ですねえ~

昨晩から未明にかけて
FBのあちこちで毒を吐いて回りました。
書いてることは(たぶん)本心からなんでしょうけど
もしも不快に思われた方がいらっしゃったなら
・・堪忍ね。

そう、陽が昇り始める頃まで起きていた僕は
またしても朝の野郎に見つかってしまいました。
きっとカラスが告げ口したに違いありません。


カーテンを開けてから布団に入ったので
眩しくて案外と早く目覚めました。
壁の前には、いつものように
笑みを浮かべた女神が立っておりました。

階下へ降りて窓の外を見てみると
洗濯物が心地好さげに風に揺れていましたが
僕の体は地球の重力に耐えるのがやっとなくらいでした。

猫におはようの挨拶をして珈琲を飲んでから
そそくさと楽器を車に積み込んで
昨日の予定通り横浜へと向ったのですが
いやあ~気持ち良かったです。
窓を全開にして走るこの季節、いいですねぇ。

楽器の方は皮算用よりちょいといい値で取引できました。
〆て諭吉2.75枚、まずまずの結果です。

季節、といえば
僕は名前の通り植物系のようであり
春先から夏にかけて、異常なくらい爪と髪の毛が伸びるのでして
冬場と比べると雑草の如く凄い勢いで伸びて行くのです。

それが厄介。
爪を切るのも面倒で仕方ありません。
なにせ手と足を合わせると20本もあるんですからね。
結構な重労働が短いスパンでやって来るのは困り者です。
動物系の名前にしときゃよかったわ。
と、後悔の念。

今、傍らのJBLはジョン・セバスチャンを奏でているのですが
密林を探検に行ってみると・・


この4枚のアルバムがセットで¥2424だそうな。
しかも輸入盤3枚以上お買い上げで10%引きの特典付き、こりゃあ得だわ。

先日の誤配事件のお詫びで平身低頭だったJPさんに気が引けて
暫くの間注文は控えておこうと思っていたんですけど
少々の金が懐に入ったからには、心を鬼にしてポチるしかありませんな。

あ、この写真、Epiphoneだ!
なんだか嬉しくなってしまいました。

さてと、
今夜は徘徊せぬよう気を引き締めて飲むとしましょう。

そうそう、
入院前の5月後半にでも、一本ライブをやりたくなりました。
某マス、ブッキングお願いできますか?

*

2014年4月24日

Donna Donna


長らく使っていなかった古い物や
或いはこれから先も使うことがなかろう物たちを
今回の引越しを機会にずいぶん処分しました。
けれどもまだ数本手放さなければ
僕の部屋の楽器置き場に収めきれません。

現在のスペースはケース8本分、
ここからあぶれた物たちは
悲しいかな売りに出されてしまうのです。
ドナドナ・・ですな。



諭吉一枚シリーズで買い手を募ったものの
最後に残ってしまったこの2本、
明日某ショップへ持ち込み、委託販売をお願いしてきます。
たぶん諭吉二枚か二枚半にはなることでしょう。


ヘッドウエイのTF-1000C
ボディはオールマホガニーでSHADOWのピエゾが付いています。
低域が太く、2006年頃のライブではよく使ってました。
先ほど手入れをしていて大いに悩んだのですが
こんな洒落た装いのもんは、僕には似合わんだろうということで。


そしてもう1本はスタッフォードのSLG-360E、
アクティブのピエゾが付いたGibsonのコピーモデルです。
期せずしてどちらも黒(笑)
これもまたJ-50やJ-45を入手するまでの間、
ライブの相棒として活躍していた時期があるのですが
前述のヘッドウエイ同様、爺には似合わんという結論に。

ただし、こやつらは(首の皮一枚で)残ることになりました。


SLG-360EのナチュラルとEko Ranger Vintage、
この灰汁の強い顔ぶれは手強いです。
己を主張して一歩も引かないですからね。
360Eナチュラルは2005年の復活祭の相棒、
Ekoはリイシューながら亡くなった哲ちゃんの形見のようなもんです。
どちらも強烈な個性を放ってますから
如何にバッタもんとは言え、この家に住みついて頂くことにしました。

さあて、ブラック2種!
明日には無くなってしまいますからね!
この期に及んで(もしも)譲って欲しいという方が居ましたら
「花子とアン」の再放送が終わる時刻までに連絡ください!!

*

2014年4月23日



そういえば
失踪?したマレーシア航空のMH370便、
その後の捜索は何か進展があったのでしょうか。
同国のナジブ首相は先月末の時点で
「同機はインド洋南部で飛行を終えた」と声明を発表したそうですが
諸説が飛び交うミステリー、消えた機体は何処へ行ってしまったのでしょう。

韓国の客船「セウォル号」の沈没事故も不可解です。
過積載と積荷のバランスが崩れたことが大きな要因ではありますが
その直前の急な進路変更はなんだったのか。
浮上して来た潜水艦との接触も囁かれていますけど
事の真相は未だに謎のままなのです。

空と海の違いはありますが
ふたつの事故はどこかで繋がっている気がしてなりません。

もしや・・



*

2014年4月22日

ホルモン



小顔で美人なんだけど
お腹たぷたぷしてます。

人間にも居ますよね、
こんな人。

うちの猫も
まさにそれ。

けど可愛いから
醜い部分は気になりません。

人間にもありますよね、
そんなこと。

愛は盲目
アバタも笑窪

言い得て妙であります。

たぶん、
好きだという己の感情を否定しかねない
そんな駄目なところを目にしないように
脳がコントロールしているのでしょう。
仮に見てしまったとしても
イメージが優先して瞬時に修正しているのかも知れません。

脳の働きは複雑ですけど
心が支配していることは間違いありません。
幸せホルモンと呼ばれるオキシトシン、
これが脳内で分泌されると
愛情や絆が深まるのだと言われています。

しかもこれ、
歳を取っても分泌されるんですってね。

はい、
枯れないよう心掛けます。

*

2014年4月21日

Ramblin' Boy



実はこの家に越してから
まともにギターを弾いたことがなかったのです。
だって、あまりにも静か過ぎる環境なので
ちょっとどころか、かなり躊躇っていたのですよ。

けれど、春になると虫が騒ぐ。
そろそろ二ヶ月になることだし
徐々に周辺住民を慣れさせて行くべき時なのでは・・

おもむろにGodinを取り出し、
ネック調整その他のメンテを施して
少~しばかり歌ってみましたわ。

きゃあ、新鮮!
のっけから134号線も水曜日も
オリジナルとは違う刻みで始まりました。
自分の曲でも暫く間を置くと
まったく異なる解釈が湧き上がって来るものなんです。
これが実に楽しくさせてくれる。
嬉しいですね~

嬉しいと言えば、
遥か東京の外れから(ほぼ埼玉だわな)
電車に2時間も揺られてやって来た者がおりました。

以前から駅前の焼き鳥屋で飲む約束をしていた者二名、
時刻通りに我が町まで辿り着き
楽しき時間を過ごすことができました。


ガンダーラへ向う途中の
三蔵法師さまと警護の悟空です。
沙悟浄と猪八戒はお家で留守番してるようですが、
果たしてこやつの警護で大丈夫なのでしょうか。

終電までちょいと時間があったので
店を出てから我が家へ寄ってもらい
有り合せのおかずで晩ご飯を食べて頂き
(ついでに)慌しく2階へ上がり、1曲だけセッション。
いやあキミら、遠路遥々ご苦労さんでした。

これから先、良い旅を!



*

2014年4月20日

道化師



この古い写真を見た或る方が
50年代初頭に車のある裕福な家庭で育ったお坊ちゃまなのだと
僕の生い立ちを勘違いしてしまったそうな。
いやいや、しがない公務員だった親父が車など持てる筈もなく
これは知人の物であり、その前でお握りを手にした僕が写っているだけなのだ。
お気に入りの写真なので、WEBで公開してしまったが
まさかそんな風に解釈されていたとは露知らず・・(笑)


幼い頃の僕は、いつも笑っていたらしい。
おまけに、やかましいほどにはしゃぐので
神妙な席には連れて行ってもらえなかったそうだ。
そう言えば、一番上の姉の結婚式のときも家に残され
一緒に留守番をしていた婆さんと猫のお産で右往左往した記憶がある。
あのときは5匹生まれた。それを目を丸くしながら見ていた。
もちろん大はしゃぎで。


複雑で、様々な問題を抱えた陰湿な家庭だったせいだろうか。
僕はその重苦しさを払拭しようとしていたのかも知れない。
陽気に振舞えば皆が笑う、そんな単純なことではないだろうに
僕は何処へ行っても道化師の如く明るく努めていたようだ。

けれどやがて思春期を迎えた頃、
僕は家ではまったく笑わなくなった。
すぐ上の姉が家を出て以来、あの息が詰まりそうな場所に
親父とお袋と僕の三人だけが暮らしていたのだから。

実は当時の田舎のことを思い出すと
今でも心が塞がれるような暗さを感じてしまう。
それは途轍もなく重く圧し掛かって来るようで
ときには頭が痛くなるほどだ。

昨晩ご紹介した自叙伝なるもの。
これが何故中途半端にずっと未完のままでいるのか
どうやらそのわけは、これが原因のようである。
思い出そうとすると鬱になってしまうのだ。

道化師でいられた時期はとても短い。
無邪気な子供でいられた時間もあまりに短い。
憂鬱な時を過ごした思い出は
消えろ!消えろー!と、
脳味噌に訴えかけているのだろう。

その鬩ぎ合い(せめぎあい)が
肉体と魂を疲弊させ、心を閉ざしてしまうような
そんな因果関係がきっとある。

ここ数日、僕はとても疲れてしまった。
明日の夜に友人と飲み交わす酒が
何よりの癒しになりそうだ。

僕は、現在(いま)の事しか語りたくない。
道化師は今日を生きているのだ。

*

2014年4月19日

生い立ち



一昨日、同郷の方々と飲んでいたせいでしょうか。
田舎のこと、遠い昔のこと、
あれこれ思い浮かべてしまうようになってしまいました。

記憶が曖昧な時期もあったので
10年ほど前に書き記した文献?を読み直してみましたが
若い時分、特に十代の頃は何事にも攻撃的だったようです。

恥ずかしながら、書き始めたときは自叙伝のつもりでした。
自分の寿命は50歳なんだと、小さい頃から何故か確信していた節があり
その歳が近付いた或る日、一気に書き綴った記憶があります(笑)

けれどこれは完結してません。
と言うよりほんの序章、その後の事が一切書かれてないのです。
果たして幾つまで生きられるのかわかりませんが
死ぬまでにはその続きとやらを書いてみたいものです。

当Blogのサイドバーにも当初からリンクを貼ってありましたけど
お時間のある日にでもご覧になってください。

kazura in his own write

拙い文章で恐縮ですが、
こんな風景が残っていた時代を生きた家族と
その息苦しい家庭の中で屈折して行った自分を描いたつもりです。


この写真、親父が珍しく上機嫌でポーズを決めているところを見ると
新築した我が家をバックに、誇らしげに息巻いていた頃だと思います。
幼い僕は嬉しそうに親父のポーズを真似てます。

今思えば、家族の皆が一番幸せな時期だったような気がします。
この頃を境に、親父もまた苦悩の挙句に屈折して行き
会話が無いまま僕と彼の溝は深まったのかも知れません。

膝を交えて語らうことが、一度も無いまま逝ってしまった親父ですから
今さら確かめる術は無いのです。

*