2011年8月5日

お気に入りの1枚

一杯の珈琲から蘇った記憶を辿り、三夜続けて古い写真を公開してきたが
実は私の手元にある写真、またはそれを取り込んだデータ類は極めて少ない。
たぶん幾つかはどこかに大切に仕舞い込んであるんだろうけれど
O型人間は整理整頓が面倒だからそうするのであって
仕舞った場所を後から思い出すのがとても難儀なのである。
口癖は「とりあえず」・・何事も一時しのぎの連続なのだ。

そんな数少ない写真の中で、私が一番気に入っているのがこれだ。


幼少の頃から車が大好きだった私の(たぶん)三歳くらいの頃のスナップ。
後に写っているのは親父の知人の物で、メーカーは不明だが新車だとしても55年型以前だ。
握り飯を手に誇らしげに立つ私の姿と、フロントグリルのメッキの光沢が何とも言えない。
誰が撮影したのかも分からないが、遠近感をよく描写していて
構図としてもなかなかのものじゃないか、と思うのだ。

この頃の私は排気ガスの臭いが大好きな、一風変わった趣味を持つ子供であった。
母親と一緒に街へ出た折などに、エンジンを掛けたまま停まっている車を見つけると
すかさず後へ回り込み、マフラーに顔を近付けてその臭いを楽しんでいたのだ。
当然、母親にはひどく叱られる。「馬鹿だね!この子は!!」と。
私の歌の詞に度々登場する「排気ガス」はこの名残だ。

親父が初めて車を買ったのは65年頃だったろうか。
ライトグリーンのダットサン・ブルーバード、確かこの年式の物だったと思う。


通勤用ではあったが、盆暮れには私や家族を乗せて親戚の家まで走ったりしていた。
運転は下手くそ、おまけに注意力散漫で極めて危険な車だったので
家族の誰もが親父の運転する車には乗りたがらなかった。
ただ私だけは、排ガスの臭いとエンジンの振動に惹かれ
さほど気にせず助手席に座っていたような記憶があるが、
こんな危険な男に免許を与えた人間が信じられないと密かに思ってはいた。

晩年、母親から聞いた裏話・・

警察を定年退職した親父は、自動車試験場に嘱託として勤めていた。
もちろん免許は無いから事務員として。
ただし周囲の同僚は皆、元警察官で顔馴染みの人間が多く
教官さえそうだったのだから(そこで)免許を取るには好都合だった筈だ。
ところが、親父の運転の下手くそさには目を覆うものがあったらしく
教官が「申し訳ないが・・」「何とかしてはあげたいんだが・・」と低姿勢で前置きしながら
二度も不合格を言い渡し、三度目は不憫に思って合格させた経緯があったそうだ。

違反を揉み消したり、事故の責任を軽減させたりなどがまかり通っていた
昭和の時代の田舎町の警察官事情、旧き良き時代だったのかも知れない。


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