2011年8月7日

職人の技に憧れる


家で旨いコーヒーを淹れるためには、どうしてもこいつが必要だった。
ドリップするには、細い口先からチョロチョロとお湯を注がなければね。

(当家御用達)KYの西友とは言え、さすがにこいつは高価な代物で
おまけに売り場にはこれ1種類しか置いてなかったのだが
エイヤ!とばかり覚悟を決めて買っちまったさ、とほほの2470円。
けど、NET検索で下調べした額よりは遥かに安かったので納得の出費。

それにしても、
このカーブさせた細い口先・・芸術ですな。
まさに職人技の仕上げに、しばらく見とれていたくらいですわ。
この造作なら値が高いのも頷けるってぇもんだ。

ただ、あまりの美しさに
火に掛けるのが勿体無く思えてしまう。
この光沢が失われて行くのも残酷な気がする。
そんなわけで、未だ箱から出してないのだ。

道具って、使い古して貫禄がついたのもいいもんだけど
手垢の付いてないのも、またいいもんだよなあ。
手入れが行き届かず、中途半端に古くなった物が一番みすぼらしく感じてしまう。
これからは後片付けにも手間隙かけなければな、うん。

箱から出してないと言えば・・


20年くらい前に買ったタミヤのM4A3シャーマンの1/35モデル、
いつか組み立てるのだと思いつつ、そのままずっと仕舞われたままの絶版物。
私は数ある戦車の中で、ずんぐりむっくりのシャーマンが今でも好きだ。
昨日も書いたが、兵器としてではなく車を見るのと同じ感覚の「モノ」としての美しさと
鉄の塊とは言え、どこか温かみを覚えるような人間臭さが感じ取れるからであって
決して尊い人命を奪う戦争を賛美するものじゃないんだよ。
言い訳がましいかも知れないが、私の時代の少年たちは皆、戦車が好きだった。

私の田舎、帯広には陸上自衛隊第五旅団の駐屯地があって
60年代中頃まではこのM4A3が配備されていたのだが(米軍払い下げとしてね)
現在は禁止されている公道走行(しかも真昼間の国道)してる姿を見たことがある。
中学生くらいの頃かな、授業中の窓から国道に目をやると数台が突っ走って行った(笑)
その駐屯地に市民を招いて、年に一度「自衛隊祭り」が催されたりもしていて
間近でM4A3を見たり触ったりも幼少の頃はしていた記憶がある。

この戦車、私にとっては平和部隊の要。
初代(悪役)ゴジラと相対したのは、陸上ではこのM4A3だったのだ。
自衛隊祭りの光景で今でも鮮烈に覚えているのは、
高さ3メートルほどの巨大なゴジラの張りぼてが、口にF86Fセイバーを銜え
獰猛なギョロついた眼で立ちはだかっていた姿。こいつは悪者だと実感したものだ。

F86Fセイバーも、ずんぐりむっくりで私好みのジェット戦闘機。
なんたってプロペラを外しただけのようなフロントマスクが意地らしかったのだが、
悪役ゴジラに立ち向かったモノたち全てが私には正義の使者と映った、そんな時代の思い出。
戦争体験も無く、平和な時代をのほほんと育った人間だからこんなことが言えるんだろう。
この「兵器」によって家を焼かれ家族を失った方々には大変申し訳なく思ってしまう。
けれど道具や車、或いは機械類全般をただ単に好奇の目で見ていただけであり
職人が作り出すモノへの憧れと言えば分かりやすいかも知れない。
私の生きた時代には、そんな少年たちがとても多く居たのも「戦後」だったからなのだろうし
戦車や戦闘機のことを語る時、複雑な罪悪感が沸き起こるのも事実なのだ。


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