2011年8月9日

一年に一度だけ


プルトニウム原爆ファットマンは、このB-29(ボックスカー)によって長崎に投下された。
本来の目標だった小倉上空で三度に渡るトライに失敗した後
機首を西へと向け、第2目標の長崎上空に到達すると
広島の1.5倍といわれる破壊力を持つ原子爆弾を高度500mで炸裂させた。
圧倒的な力を見せつけて戦意を喪失させる、いかにもアメリカ的なやり口だが
一瞬にして街を廃墟と化してしまうその残虐さは非難されて当然のものだろう。

東京大空襲にも使われた焼夷弾やベトナム戦争におけるナパーム弾、
さらには青酸カリの千倍・サリンの2倍とも言われるダイオキシンをばら撒く枯葉爆弾など
非人道的とも言える大量破壊・大量殺戮の兵器を用い続けてきたのが
強大な軍事力と工業力を誇る巨大国家アメリカなのだ。
長い悪夢のような戦争を終結させるきっかけとはなったものの、
2発の原子爆弾を地上に落とした罪が免れるものではないことを忘れて欲しくない。

土地柄にも音楽にも、いつもアメリカには憧れを抱いてしまう。
何もかも受け入れてしまう、あの大陸的な大らかさにだって心惹かれる。
海を隔てて、現代の私たちは友好的にお互いを捉えている。(筈だ)
けれども地球上には、今なお数万発の核兵器が出番を待っている。
抑止力という名の下に不気味なバランスを保ちながら廃絶されていない恐怖を
私たちは決して忘れてはいけないと思うのだ。

一年に一度だけでもいい、思い起こしてみよう。
ヒロシマとナガサキの歴史は、そのためにある。




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