昨夜、携帯に友人からの着信があった。
根拠は無かったけれど、たぶん何かしらの理由で淋しい思いをしているような予感がして
帰宅してから他愛もない文面でメールを送ってみた。
すぐにいつもと変わらぬ装いの文面が返って来たけれど、
いやいや、きっと何かあったに違いない。
もう一度メールを送ってみると、即座に電話が掛かって来た。
案の定、ふだんの陽気さとは懸け離れた消え入るような沈んだ声だった。
何事にも真っ正直に、人には嫌な顔をみせず力いっぱい生きている彼女を見ていると
危うさと脆さが背中合わせであることが、顔を合わせるたび心配に思ったことがある。
それが本人の生き方であるなら、安易に口を挟むこともできないし
それが幸せなのだと言われれば、返す言葉などあるわけもない。
笑顔の裏側に秘められた覚悟など、傍からは知る由も無いのだから
会うたびに世間話はするものの、敢えて掘り下げた話題になることはただの一度もありはしなかった。
話を聞いてみると、今までずいぶん無理をしてきたようだった。
人への気遣いや思いやりの強い性分がそうさせてしまったのだろう。
或いは、取り残されてしまう孤独感から必死で逃げようとしていたのか
ここ2年ほどの生き様には、胸を打たれる思いがする。
けれど私は聞き役に過ぎない。
悩める者に道を指し示したり、気の利いた言葉で癒すことさえできない。
解決策を授けるような振りをして、人の心を弄んだりしたくないからだ。
たとえ奈落の底に居たとしても、出口はきっちりと自分で見出さなければ
この先さらに複雑な迷路に迷い込んでしまうだろうし、
人を救ったり支えてあげたりすることは、善意だけで成り立つものではなく
その責任を共有するこちら側にも相当の覚悟が必要になるのだ。
軽はずみなことを言って、その結果相手がどう動くのか
私にはそれら全てを受け入れるほどの大きな器が無い。
否、それ以前に
私ごとき体たらくな人間に、そんな度量があるわけがない。
「おかげで少し元気になれた」
それでもそう言ってもらえたのは嬉しいことだ。
切羽詰って危険な状態から、ほんの少しだけでも抜け出すことができたのなら
ただそれだけでも本当に良かったと思う。
「人から嫌われてもいい、取り残されてもいい、妥協せず自分の思った通りに生きなさい」
最後に私はこれだけ言わせてもらった。
何ら解決には至らずとも、私なりの精一杯のエールだ。
それは60年近く生きてきた、私自身の結論でもある。
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