私が家から20Kmほど離れた仕事場へ車で15号線を走る時間帯、
正月は東神奈川の辺りでこれが見事に駅伝の復路と重なります。
なのでひとたびタイミングを誤ると、しばしの間通行止めとなり身動きが取れなくなるのでして
毎年この日だけはトップランナーとの競争と相成るのですが・・
今年もまた私の勝ち。
通行を遮断するために交通規制の警察官が無線機を握り締めているのを横目に
トップがやって来る10分ほど前に15号線に乗ることができました。
毎年恒例となった、沿道の小旗を手にした群衆の前を走り抜けるのは快感でもあります。
5年ほど前、一度だけトップが通過した後に15号線へ辿り着いたことがあります。
その時も信号機の無い神奈川警察署近くの路地から入ろうと目論んでいたのですが、
夥しい数の群衆が行く手を阻み、15号線を目の前にしながら諦めかけたその時
一人の初老の警察官が車一台分の隙間を作って通してもらえたのです。
いいのかしら?と思いながら国道に出てみると・・
がらあ~んとした片側4車線の広い道に他の車両は無く
沿道には手にした小旗を振る市民が幾重にも重なり
遥か彼方まで信号機は全て青、の世界が広がっています。
これはちょっとばかり恥ずかしい。
アクセルを踏むのも遠慮がちになってしまいました。
おまけに、しばらく走って行くと・・
あろうことか、生麦の手前でトップランナーに追いついてしまったのです。
前後は白バイ、脇には中継車と伴走車、沿道は千切れんばかりに振られる小旗。
民間?の車は私一台だけの世界、これを追い越して行くのは度胸が要ります。
あわわわと焦りながらも、辛うじて追い抜く前に生麦で右折することに成功。
無事に産業道路へと逃れることができましたが、
あまりにもリアルなこの体験は、今でも忘れることができません。
現実離れしている光景は夢と紙一重なのですから。
数日が経過してから思いました。
リアルな物事ほど、それがまがい品のように感じてしまうのだと。
あの日の光景を思い起こすと・・
何だか全体が嘘っぽい。
中継車は、実はロケ隊の撮影車。
白バイは偽者、沿道の市民はエキストラ。
はて?ランナーを務めた役者さんは誰だっけなあ?・・みたいな。
ドラマの撮影現場を見ていたような感覚なのです。
TVの映像に慣れてしまい、現実と仮想の区別がつかなくなってしまったのだとしたら
それは怖いことですよね。
思えば3.11の当日、夕方のTVに映し出された被災地の光景も
すぐには現実の事と受け入れられなかったものです。
そう、まるでCGによって創り出されたようなミニチュアの世界。
嘘だろ、嘘だよな、嘘にきまってる。
けれどそれは、紛れもない事実だったのです。
車の硝子のフレーム越しに見る世界は
どこかTVの映像と似て、嘘っぽく感じるものなのです。
リアルな体験は、地面に立って空気ごと間近で感じ取らないと駄目ですね。
・・という結論。
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