2012年7月1日
7月1日午後9時
雨が降り出す前に、近所の酒屋へ買い物に出掛けました。
特売のフォアローゼスが有ったので、焼酎を買わずこれにして
今夜はしみじみと家飲みです。バーボンを飲むのは久しぶり。
再起動に関わった関電の職員の方々。
守るべきは会社か家族か国民か、
内情を知り得てる皆さんのことですから
ずいぶんと葛藤もあったことでしょう。
それでもボタンは押されました。
現状でそれが如何に危険な賭けだったかは
おそらく現場の皆さんが一番よく分かっていることだと思います。
いったい何を持って安全だと言い切れるのか
長年携わってきた方々であれば、その根拠の無さに唖然としていることでしょう。
けれども、やがて朝には臨界を迎えます。
デモを規制する立場の機動隊員の皆さんの心情も複雑だった筈です。
本来であれば「国家権力」の盾として、反社会的な群衆を排除するのがその任務ですが
目の前に立っているのは、一般市民ばかりなのですから。
右だ左だのイデオロギーではなく、普通の暮らしを営む一般市民が
人として当たり前のことを言っているだけでは「敵」に成り得ません。
ましてや、己の家族のこと、この国の未来のことを思えば
制服を脱ぎ捨て、デモに加わりたくなる衝動に駆られた者もいたかも知れません。
私は、そう思いたいです。
この狭い国土に原発が五十数基、異常な数です。
本当に電力は足りてないんですか?
巨額の補助金は何処に流れているんですか?
地域復興、雇用拡大、などと声高に叫ぶ人もいますが
それは戦争が軍需産業を発展させ、一部に好景気をもたらす構造と同じです。
もう一度、考えてみましょうよ。
この国が世界に向けて成すべきことを。
後世に残すものは、テクノロジーだけですか?
亜細亜の列強としての地位と優越感ですか?
私は、そう思うのです。
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