2012年7月9日

憤る(悔しくてやりきれない)


私は今年で還暦を迎える。
数年前に大きな事故に遭ったせいで自律神経をやられ
その後様々な病気を発症しては手術や入院を繰り返した。


事故の後遺症で半年ほどの間、右腕が満足に動かなかったり
急性網膜壊死という奇怪な病気にかかって二度に渡る眼球手術を受け
未だに右眼で見る世界は視野がぼやけ歪んではいるけれど、
どっこいそれでも生きている。
日常生活に支障なく生きていられるだけじゃなく
酒も煙草も、車の運転も、おまけに歌うことだって
以前と変わらない姿で日々を過ごしている。
この世の、如何ほどの役に立っているのかも分からない(クソ)ジジイは
災いや試練を受け入れながら、60年もしぶとく生き長らえているのだ。


旧い友人の何人かは先に逝ってしまった。
愉快な人生を謳歌するように、足早に逝ってしまった。
それは思い出や時代を共有する身にとって、とても辛いことではあっても
何故か同世代の彼らの死は、悲しみとは裏腹に笑って見送ることができるものだ。
ありがとう、楽しかったよ。
そんな言葉を掛けられる、ある意味「気安さ」が残された者の側にはある。


けれど若い人の訃報は別だ。
私の半分ほどしか生きられずに逝ってしまう者に
その無念さを思うと言葉が無いばかりか、後ろめたさまでもが付き纏う。


今夜、旧い友人でもあった女性が亡くなったという知らせを受けた。
初めて会ったのは十数年ほど前、まだ彼女が小学生の頃だろう。
以前私が携わっていた子供ミュージカルを通して知り合い
ある時期までは家族ぐるみでお付き合いしていた何軒かの一家の長女だ。
少年のように活発で、可愛らしい子だった。
そんな彼女は早い時期に結婚して子供を授かり
今から10年ほど前の最終公演の頃に子供連れで遊びに来たりしていたものだが
あまりにも唐突に早すぎるその死を知らされると、
何故!?という悔しさに満ちた思いしか込み上げて来ない。


30歳・・
文香(あやか)、早すぎるじゃないか。
何杯も酒を飲みながら私の心に込み上げてくるのは

怒りに似た悔しさだけだ。



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