2013年1月16日

由来


突然ですが、私の本名は田守といいます。
日頃は「かずら」としか聞いたことのない皆さんの中にも、
Facebookのローマ字表記を見て気が付かれた方も居るかと思います。
片仮名で目にしたり耳で聞いたりすると、著名な芸人と同じ響きになってしまうので
日頃は公にすることはまずありません。

遡ること45年ほど前、
高校2年の時にライトミュージック・コンテスト(後のポプコン)に出場するにあたり
本名のままだと学校に知られてマズイことになるので、姉に相談してみました。
すると彼女、「万葉集に登場する日陰葛(ひかげのかずら)なんてどう?」と申し、
その当時ろくに学校へも行かずアウトローを気取っていたハナタレ小僧は、
言い得て妙とばかりにその名前で歌い始めたのでありました。
以後、友人知人を筆頭に周囲の全ての者たちは、略して「かずら」と呼ぶようになったのです。
(売れないミュージシャンそのものみたいなので、自ら「日陰」を外したという説もあり)
70年代初頭までの私は写真のような風貌で、その名前で歌っていました。

その後23歳で結婚する直前に(それまでのツバメ状態を脱却するため)
歌うことを辞めてサラリーマンになった以降も、旧い友人たちは皆が「かずら」と呼んでいましたが
私自身としては本名での生活が続いていたので、ずっと封印しておりました。
やがて長男が中学に上がった頃、妹二人が参加していた子供ミュージカルに
彼も加わることになり、女房も私も父兄としてそのグループに関わるようになりました。
今年で三十代半ばとなるその長男は希夢(きむ)といいますので、
女房は「きむおば」私は「きむおじ」と、仲間たちからはそう呼ばれていました。
(10年ほど関わっていたせいか、その当時の方々は今でも「きむおじ」と呼びます)
習慣、なんでしょうね。何度言っても「かずら」とは呼んでくれないのです(笑)

そして2005年1月15日、三十数年ぶりに再びステージで歌うことが決まった時に
それまで封印していた「かずら」の名前を復活させることになったのです。
(云わば、昔の名前で出ています的なプロモも兼ねてね)
それは結婚30周年のイベントとしての一夜限りの企画だったんですが、
大盛況だったことに加え、もっと歌っていたいなあと思う気持ちが込み上げて
そのまま今に至るまで(現在は休業中ですが)続いているわけなのです。
その1月15日のライブ翌日に、Blogで「これは、かずら元年である」と宣言したことから
以来私は「かずら元年」の名前で活動するようになったのです。
(なぜ元年なのー?と、不思議に思われる方はこれで納得されましたよね)

余談になりますけど、数字を覚えるのが苦手な私が
結婚記念日と何周年になるかを正確に言えるのは、このライブがあったおかげなんです。
2005年に30周年、これさえ覚えていればいいんですからね!


今日、一日遅れでいつものワインを買って来ました。
毎年の慣わし、女房と二人だけで乾杯する、それだけの質素な祝いです。
料理もプレゼントも何もありませんけど、お互いが健康であること
それが一番なのだと(勝手に)思うようにしています。
ワインのラベルが、この家で一緒に暮らしていた今は亡きボーダーコリーの顔に
とてもよく似ているので毎回これを買ってしまうのですが、
一人減り、二人減り、一匹減り、二匹減り・・
賑やかだったこの家も、ずいぶんと殺風景になってしまったものです。

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