2014年3月15日

吐露の遺跡



この老舗レコード店の40数年の歴史の中で
僕は後半の20年ほどの間ここに在籍していました。
ネットの情報では2001年に破産したとありますから
私事で退職したわずか数年後の終焉だったようです。
苦楽を共にした多くの仲間たちがその後の人生をどう過ごしているのか
退職後の付き合いは一切無かったので知る由もありませんが
こうして公の場で書き記しているのですから
或る日突然、旧知の者から便りが届くかも知れません。

昨晩、その内の一人とネット上で巡り会う機会があったせいで
あれこれ昔のことを思い出してしまいました。
一番忙しかった時期は年間休日がわずか40日ほどだった年もあり、
本業のレコードの他、オーディオ製品や楽器の買取で全国を駆け回ってました。
僕は1974年頃に募集の張り紙を見て入社したのですが
当時の先代社長は頑固なほどに商売人だったこともあり
先輩諸氏には創設当初からの丁稚奉公を経て一生を捧げたような人も居たのです。
その方々はいったいどうなったのか、気になって仕方ありません。

典型的な親族会社だったせいで大きなお家騒動もありました。
次期社長ではと目されていた専務取締役が突然解雇され、
長女の亭主が若くして(僕と同世代)二代目に就任したおかげで
古株の社員が何人も首を切られ組織全体が若返ったのは僕にとって幸いでしたが
今思えばその光景は共産圏諸国の容赦ない「粛清」のように映ります。

その後店のロゴは変わり、レコード・ショップはサウンド・マーケットに表記を変えました。
輸入盤の仕入れで付き合いのあったバイヤーからシュアー製品の売込みがあり
当時は高値だったV15TypeⅢというカートリッジやダイナミック・マイクを
業界の常識を破る価格で販売して大当たりしたことも良き思い出です。
たぶんオーディオ製品に於いての並行輸入販売というのは
業界に柵の無かったこの会社だからこそ出来たことだと思いますし
その中で自由に活動させて頂けたことは大変ありがたく感じています。

歌うことを辞め、喰うための糧を求めて路頭に迷っていた次期に
その会社にお世話になってからの20年ほどは
金銭的にも精神的にも、或いは楽しく生きるためにも
僕のその後の人生に大いに貢献したのではと思っています。

ただ、そこでの仕事は毎日が忙し過ぎました。
家族、とりわけ子供が成長して行く過程にも一緒に過ごす時間が無く
接点があまりにも少なかったことを後悔して
長男が中学生になった頃、僕はその会社を後にしたのです。

一昨年の今頃の時期、たまたまBlogに同じようなことを書いてました。
http://kazura1952.blogspot.jp/2012/03/blue-note.html

滅多に書かぬ、かずら元年の過去。
吐露ついでにリンクしておきます。

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