2014年7月23日

またひとつ、故郷が消えて行く



数日前の早朝、旧宅の大家さんの家族から電話があり
予てから入院中のお爺様(大家)が亡くなられたとのこと。
お中元を持参して伺ったときに、もう危うい状態であることを聞いていたので
さしたる驚きも無いまま冷静に(事務的に)その知らせを受け入れた。

今の家に越すことになったのも、広大な敷地を所有するお爺様が亡くなった後の
相続税対策で土地を売却せねばならないことから始まったのであり
昨年末に家族の方からは、6月くらいを目処に転居してほしい旨のお願いがあったのだから
言葉に語弊があるかも知れないが、全てが予定通りの結果となったわけだ。

幸い僕らは年明け早々に転居先が決まり、予定を前倒しして移り住んだので
ドタバタすることもなく「この日」を迎えることができた。
準備や支度に時間を掛けられたことも、今思えば幸運だったのではないだろうか。

とは言え、11年も住んでいた場所は相応に懐かしい佇まいであり
いつ訪れても、まるで実家のように感じてしまう。
日当たりの良い縁側には、今でもお爺様とお婆様が腰掛けているようだ。
そんなこの家も、見慣れた景色も
何もかもが無くなってしまうのはやはり寂しい限りである。

丹念に手入れされた庭の立派な樹木は伐採され
裏山は鬱蒼と茂る竹薮ごと整地され
平たくした土地に公道を通して宅地化されるのだと言う。
その広さからして、分譲住宅8~10戸ぶんくらいであろうが
来年の今頃には目を疑うほどの変貌を遂げていることだろう。
悲しいかな、またひとつ「故郷」が消えて行くのだ。

この家を訪れた者たちも数多く居る。
越して来た当初に関わっていたミュージカルの公演が終わると
打ち上げの後に十数名がここで朝を迎えたり
近所の公園で催す花見の時も、庭で繰り広げられたバーベキューの時も
何かがある時は毎回およそ十数名が賑やかに集う場所だった。
今では音信不通となってしまった旧知の女性は
一人娘を伴って幾晩も寝泊りしていたし(居候とも言うが)
旬のタケノコが手に入るとそれを食しにやって来た者も居る。
最後に訪れたのは、転居直前に不要な機材を引き取りに来た二組と
髭の楽器ブローカー、湘南のJ氏だったろうか。
とにかく大勢の者たちが此処を訪れたものである。
その歴史と無数の思い出を刻んだ家が潰えてしまうのは真に残念な事だけれど
これも御時世という変わって行かざるを得ない風景の一部なのだろう。

告別式には参列できなかったが
カミさんと一緒にお通夜へ赴きお別れをしてきた。
僕が知っている南本宿は、間もなくその姿を変えてしまうのだから
いよいよその土地とも別れのときが来たということなのか。

またひとつ、故郷が消えて行く。

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