実は数日前から(密かに)
1966年のベンチャーズ日本公演のライブ映像を楽しんでいる。
https://www.youtube.com/watch?v=QGdxrjQU5-o 10番街の殺人
https://www.youtube.com/watch?v=3bKG0p6Tv9Q ワイプ・アウト
田舎の中学生だった時分から
ずいぶんと遠ざかっていたものだが
ひょんなことから目にした当時の生の演奏に
レコード盤とは桁違いのロック・スピリッツを今になって感じたからだ。
そのライブに於けるギザギザした尖った音とビートは
今さらながら聞き惚れるほどにワイルドでストレートだったのだ。
しかもシンプルでとてもわかりやすい。
やはりバンドは四人の編成がいい。
リボルバー辺りまでのビートルズがそうであったように
個々の音が聴き取れるくらいの音の密度が心地好く思えるのは
たぶん僕だけじゃないだろう。
バンドとしての(或いは音作りの)原点がそこにあるんだと思う。
ずいぶんと遠ざかっていた・・
そう書いたのは
やがてビートルズやストーンズを筆頭に
「歌うバンド」が台頭してからというもの
いつしか僕の中でインスト・バンドを蔑むようになっていたからだ。
歌が無きゃ、だめよ。
言葉が無きゃ、だめよ。
・・みたいな(或る意味)差別に似た感覚で
その後の50年ほどを生きて来たわけである。
考えてみりゃ
ブルーズがそうであるように
小難しい言葉を並べ立てなくたって
はたまたポップスがそうであるように
曲の長さが3分ほどであったとしても
僕らの好む「音楽」は成立するのだ。
NTT回線の市内通話は3分10円、
カップ麺が出来上がるのは3分、
ウルトラマンのカラータイマーも3分。
俗世間では「3分」が物事を完結する基準なのかと思うくらい
あらゆる場面で登場する時間の枠組みなのである。
(待てる限界が3分だなんて、せっかちに考えないでね)
侮るなかれ、3分!
・・そんなことを想いながら
63歳の2015年は暮れて行くわけで
人生とは日々気付きの毎日なのであります。
それにしても・・
ノーキー・エドワーズのギタープレイは
カントリーフレイバーに満ち溢れてますな。
バック・オウエンスのバンドメンバーだったことが頷けます。
この歳にして
ようやくそんなことがわかってくるのが
浅はかな「人間」であることの証明なのです(笑)
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