2021年8月17日

怒りの呑んだくれ

実態にそぐわない成果と効果やらを書き連ねただけの原稿を、棒読みどころか読み間違いと滑舌の悪さばかりが際立つ毎回の記者会見。それを見たくはないのに見てしまうのは、この男がいつか改心してくれて、己の非を認め真正面から立ち向かう姿勢を示してくれるのではないかという、甘くて淡い消え入りそうなほどにささやかな願いからなのだ。
おそらく国民の多くは、少なからず同じような期待を抱きながら見ているのではないだろうか。しかしその期待はことごとく裏切られ、一年半もの長きに渡り失政は繰り返されている。
むろん謝罪も無ければ問いかけに応じることも無く、相変わらずニヤけた表情と核心を突かれて語気を強める物言いばかり。とっちゃん坊やの典型的な姿だ。
地球規模の感染症に直面する際どさと難しさは当然のことであり、それが未知のウィルスとなれば尚更のことだ。おそらく誰がトップに居たとしても、我が国のお粗末な政治環境では解決できない事案だろう。そんなことは皆わかってる。だからそれぞれの立場で耐え忍ぶ「国民性」だけが防波堤の役割を担っているのが現状だ。五輪開催で困難な環境にある国民に、夢と希望を与えたいなどと綺麗事を並べ立てても、要は現実逃避を誘導する何ものでもない。そう考えると、アスリートたちが戦地に送られた兵士のように思えるのが辛い。
金メダルの獲得数が、まるで大本営発表の戦勝報道のように、現実から目を逸らすための画策と同じように見えてしまうと、日の丸を背負い戦ったアスリートたちの純粋さが愛おしく思えてしまう。
今は「戦時」なのだ。その戦争責任を問われたくないがために身の保全に奔走する政府なんて言語道断だ。国民の安心と安全を守るのが使命だなんて、一体どの口が言ってるんだ。過ちを認めない国民性も受け継がれているようで、私はむしろそれが最大の恐怖なのだ。「ごめんで済むなら警察はいらない」と揶揄されても、開き直らず謝る姿勢だけは見せてほしいと思う。そんな夜の呑んだくれ。


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