昨晩暴露したように、今や下戸ではない私、
明日の休日は六角橋界隈を飲み歩きます。
まずは先週白楽に開店した友人の店、肴が旨いと評判のようです。
夕方5時からやっているとのこと、早めに行ってみます。
お次は惜しまれながらも今週いっぱいで閉店してしまう「あの店」
こちらもニュースを耳にした方々で連夜賑わっているそうな。
夕刻から白楽周辺に出没しますので、見かけたら声を掛けてくださいね。
さてさて、収穫が遅れていた我が家の敷地内の筍、
本日ようやく今年最初の物が大家さんから届けられました。
待ちに待った旬の一品です。
少々小ぶりですが、これくらいのが一番旨いんです。
この土の付き具合もまた絶妙!期待が膨らみますね~
そして今夜は待望の筍ご飯、柔らかく香りがあって実に美味でした。
大家さんは造園業でして、筍も専用のスコップで掘り起こします。
その音がまたダイナミックでして、この時期は早朝からドッスンドッスン響き渡ります。
けれど今朝は何故か静か・・
聞くところによると、例年より量が少なく発育も良くないそうです。
本来なら今頃は敷地のあちこちにニョッキニョキ生えて来るんですから
確かにいつもの春とは違うように感じます。
我が家の筍ご飯を楽しみにしている友人たちにも振舞いたいのですが
柔らかく一番美味しい期間に行事が入ってしまっているので
せめて来月早々にはと思ってはみても、今のところ微妙な雲行きです。
うーん、困った。
*
2012年4月23日
歴史秘話「下戸時代」
信じてもらえないかも知れませんが
実は私、二十代前半くらいまでは下戸でした。
どこをどうやって今みたいに飲めるようになったのか分かりませんが
当時は酒を全く受け付けない体質だったのです。
煙草なら16の時からハイライトをスッパスパ吸ってたんですけどねぇ。
今、焼酎を飲みながらPCに向かっていて思い出したエピソードがあります。
あれは・・高校を卒業する前の晩のことでした。
銭湯へ行った帰り道、当時可愛がってくれていた地元の先輩諸氏が集う店に立ち寄り
(サウンドコーナー店主の高村氏や帯広畜産大学生だった糸川氏などの酒豪です)
こともあろうに、グラスになみなみと注がれた焼酎をクイッ!と飲んでしまったのでした。
記憶では私の送別会だったような気がするんですが、
その場の楽しい雰囲気に後押しされるように(気軽に)クイッ!と行っちゃったんです。
(生まれて初めてそのとき口にした焼酎とやら、まるで水みたいな味だったんですもん)
それからしばらく談笑した後、トイレに行こうと席を立った瞬間
プチン・・と何かが切れるように、視界が消え失せました。
気がついたのは数時間後、白々と夜が明ける頃でした。
私はお店の座敷に寝かされていたようです。
糸川氏の心配そうに見つめる顔が最初に見えてきました。
なんでも、バッタリと見事に倒れたそうです。
意識を失った私の姿にかなり動揺したらしく、糸川氏はずっと指圧を続けていたとか。
「頭打ってなくて良かったわあ~」と安堵の言葉を口にしながら
私が下戸であることを知らない彼は「湯上りやったし、寒い外から来てすぐやったし・・」等々
無様な姿の私への労いというか何というか、ずいぶん気を遣ってくれてました。
たぶん、自分が無理に飲ませた格好になったことで責任を感じてたんでしょうね。
しばらくして外が明るくなった頃、糸川氏やお店の方々にお礼を言って
まだ冬の寒さが残る3月の北海道の凍てつく路を歩き、家に戻り布団に入りました。
これが人生最初の「朝帰り」だったと思います。
その日の卒業式には出席しましたが、頭がボーッとしていたせいか
体育館の窓から見えた薄曇りの空しか覚えていません。
苦い思い出ではありますが、酒の洗礼を受けた記念すべき出来事のお話でした。
そんな下戸時代(江戸時代じゃないよ)の逸話のある私、
今じゃ立派な飲兵衛なんですから、人間の体って不思議なもんですね。
倒れることもなく、千鳥足で家までちゃんと帰れるんですから!!(笑)
(筆者後記)
今夜の日記は、かずら元年の歴史を紐解く上で貴重な文献となったことであろう。
*
実は私、二十代前半くらいまでは下戸でした。
どこをどうやって今みたいに飲めるようになったのか分かりませんが
当時は酒を全く受け付けない体質だったのです。
煙草なら16の時からハイライトをスッパスパ吸ってたんですけどねぇ。
今、焼酎を飲みながらPCに向かっていて思い出したエピソードがあります。
あれは・・高校を卒業する前の晩のことでした。
銭湯へ行った帰り道、当時可愛がってくれていた地元の先輩諸氏が集う店に立ち寄り
(サウンドコーナー店主の高村氏や帯広畜産大学生だった糸川氏などの酒豪です)
こともあろうに、グラスになみなみと注がれた焼酎をクイッ!と飲んでしまったのでした。
記憶では私の送別会だったような気がするんですが、
その場の楽しい雰囲気に後押しされるように(気軽に)クイッ!と行っちゃったんです。
(生まれて初めてそのとき口にした焼酎とやら、まるで水みたいな味だったんですもん)
それからしばらく談笑した後、トイレに行こうと席を立った瞬間
プチン・・と何かが切れるように、視界が消え失せました。
気がついたのは数時間後、白々と夜が明ける頃でした。
私はお店の座敷に寝かされていたようです。
糸川氏の心配そうに見つめる顔が最初に見えてきました。
なんでも、バッタリと見事に倒れたそうです。
意識を失った私の姿にかなり動揺したらしく、糸川氏はずっと指圧を続けていたとか。
「頭打ってなくて良かったわあ~」と安堵の言葉を口にしながら
私が下戸であることを知らない彼は「湯上りやったし、寒い外から来てすぐやったし・・」等々
無様な姿の私への労いというか何というか、ずいぶん気を遣ってくれてました。
たぶん、自分が無理に飲ませた格好になったことで責任を感じてたんでしょうね。
しばらくして外が明るくなった頃、糸川氏やお店の方々にお礼を言って
まだ冬の寒さが残る3月の北海道の凍てつく路を歩き、家に戻り布団に入りました。
これが人生最初の「朝帰り」だったと思います。
その日の卒業式には出席しましたが、頭がボーッとしていたせいか
体育館の窓から見えた薄曇りの空しか覚えていません。
苦い思い出ではありますが、酒の洗礼を受けた記念すべき出来事のお話でした。
そんな下戸時代(江戸時代じゃないよ)の逸話のある私、
今じゃ立派な飲兵衛なんですから、人間の体って不思議なもんですね。
倒れることもなく、千鳥足で家までちゃんと帰れるんですから!!(笑)
(筆者後記)
今夜の日記は、かずら元年の歴史を紐解く上で貴重な文献となったことであろう。
*
2012年4月22日
千鳥足で
張り替えたばかりの弦は、弾いていて心地好いものですが
私の場合、数日過ぎてやや伸びてきた頃合の音が好きなんです。
例えて言うなら前の晩のカレーみたいなもんでしょうか、
ライブを一本終えた翌日の方がバランス良く鳴るような気がします。
とは言っても、それが半年以上経ってしまっては少々やり過ぎですよね。
愛用のGUILD、夜毎ちまちま弾いてる時にはさほど気になりませんでしたが
いざ本格的に弾いてみると、やはり衰えは隠せないようです(当たり前だ!)
思えば昨年の10月、それ以来張りっぱなしでしたからねぇ。
ちなみに私は高価な弦は使ってません。
ほんの数回だけコーティング弦を使用してみましたが、肌に合わないのでやめました。
今は(昔ながらの)フォスファー・ブロンズで、おまけに超格安のDARCOです。
Woodmanという楽器店で¥367で売られている代物でして、
店頭やWEBではパッケージを替えて陳列してるのですが、
私は特別にお願いしてオリジナルの箱に入ったままの状態で購入しています。
市場にはあまり出回っていませんが、GUILDやGibsonなどとは相性が良く
音質もさることながら、その破格の安さが魅力で数年前から愛用しているのです。
(安くて良い物を見出す、これは私の生き甲斐でもありますからね!)
うーん、あれこれと前置きが長くなってしまいましたが
実は書きたい事柄のテーマは他にありまして・・
今日(密かに)新曲の歌い込みをやっていました。
自分でダメ出しを何度も繰り返しながら、かなりしつこく歌ったものですから
おかげで喉を潰してしまい、あまりの不甲斐なさに我ながら少々落ち込んでます(笑)
けど、しっかりと仕上がりましたよ。それも2曲!
寒い一日ではありましたが、確実に春らしくなっているようで
心と体が目覚めて歌い出したくなる感覚はとても気持ちがいいものです。
今年還暦を迎える私、別に大それた感慨を抱くことは決して無いのですが
なんとなく、己の節目としての歌になってしまったような気がします。
幾つになっても今まで通り、うろうろふらふら。
こんな大人が居てもいいじゃないか、みたいな感じ・・かな?
「千鳥足で」
来月のライブでご披露させて頂きます。
毎日が千鳥足。な、ワタシ!!(汗)
*
2012年4月20日
Thank you Levon !
彼が叩くスネアの音が大好きでした。
シンプルで、時にダイナミックで、
とりわけ歌との絡みは絶妙だったと思います。
レギュラーグリップのせいもあったのかも知れませんが
現在のロック・ミュージシャンに見られるマッチドグリップには無い繊細さがありました。
余計な音を一切出してなかったのは、自身が歌いながら叩いていたからなのでしょう。
歌と楽器の隙間に在る空気感、私にそれを教えてくれたのも彼でした。
レヴォン・ヘルム、
ホークスを経て、やがてザ・バンドとして大成させた立役者は
15年ほど前に喉頭癌の宣告を受け、歌うことがままならなくなったものの
ドラムとマンドリンからは離れることなく演奏を続けていました。
それが数年前に奇跡的な回復を遂げ、ライブやレコーディング活動に復帰したのですが
病魔に侵された体はやがて末期癌へと進行して
世界中のファンの祈りも虚しく、昨日帰らぬ人となってしまいました。
数え切れないほどの名曲を残し
たくさんのことを教えてくれたレヴォン、
71年の生涯でした。
70年にウッドストックのスタジオで収録された「King Harvest」
私はこの演奏が今でも好きです。
高画質・高音質版が見つかりましたので載せておきます。
時折レヴォンのスネアがスパッ!と鳴る度に
私は少年のように心躍らせるのです。
Thank you Levon !
*
シンプルで、時にダイナミックで、
とりわけ歌との絡みは絶妙だったと思います。
レギュラーグリップのせいもあったのかも知れませんが
現在のロック・ミュージシャンに見られるマッチドグリップには無い繊細さがありました。
余計な音を一切出してなかったのは、自身が歌いながら叩いていたからなのでしょう。
歌と楽器の隙間に在る空気感、私にそれを教えてくれたのも彼でした。
レヴォン・ヘルム、
ホークスを経て、やがてザ・バンドとして大成させた立役者は
15年ほど前に喉頭癌の宣告を受け、歌うことがままならなくなったものの
ドラムとマンドリンからは離れることなく演奏を続けていました。
それが数年前に奇跡的な回復を遂げ、ライブやレコーディング活動に復帰したのですが
病魔に侵された体はやがて末期癌へと進行して
世界中のファンの祈りも虚しく、昨日帰らぬ人となってしまいました。
数え切れないほどの名曲を残し
たくさんのことを教えてくれたレヴォン、
71年の生涯でした。
70年にウッドストックのスタジオで収録された「King Harvest」
私はこの演奏が今でも好きです。
高画質・高音質版が見つかりましたので載せておきます。
時折レヴォンのスネアがスパッ!と鳴る度に
私は少年のように心躍らせるのです。
Thank you Levon !
*
2012年4月19日
灯りがまたひとつ・・
夜毎ミュージシャンが集う小さな小さな飲み屋、
六角橋の焙り家が今月で閉店するそうです。
つい先ほど、mixiへの店主の書き込みで知り
あまりにも急な話に驚いています。
私は自分のライブが終わった後、
日付が変わる頃にお邪魔しては
明け方近くまで居座ってしまうことが何度かありましたが
店主の溝さんや奥方キャンディーにも良くして頂き、
とても楽しめる貴重な空間でありました。
近頃はライブから遠ざかっていたせいで
昨年の夏以降は足を運んでいませんでしたが
いざ閉店という二文字を目にしてしまうと
とても残念な気がして仕方ありません。
たくさんの人間たちと知り合いました。
たくさんのことを語り合いました。
一度だけ(あの狭い店で)ライブも演らせて頂きました。
私なりの思い出が、旧い椅子とカウンターに刻まれているのですから
とてもとても残念で、淋しくなってしまいそうです。
29日までは営業しているそうなので
来週中には一度顔を出したいと思っています。
或る意味、私にとっては・・
「音楽の殿堂」とも言える店でした。
またひとつ、灯りが消えるわけです。
淋しい。
*
2012年4月18日
こんな昼下がりに
少しずつですが
穏やかな、いい陽気になってきました。
開け放った窓の向こうには
遅れてやって来た春の匂いがしています。
毎年、こんな昼下がりに
ポチッとスイッチが入ります。
気負うこともなく、ポチッとONになるのですが
これが実に自然で、とても嬉しくなる瞬間なのです。
ああ、今年も春が来たんだな。
待っていたのは春だけじゃなくって
ミュージシャンとしての心と体が目覚めるその時。
どうやら、長い眠りからようやく覚めることができたようです。
例えて言うなら
或る日突然地面から顔を出す、筍みたいなものでしょうか。
むくむくと、体の中から力強く伸びてきます。
今日は色々なアイディアが浮かびました。
おかげで今まで歌う機会の無かった数曲が日の目を見られそうです。
結果的には「焼き直し」といった作業になってしまいましたが
ちょっとだけ今までの拘りを捨てて、
今の自分が気持ち良くなれる表現方法にしてみようかと思います。
来月のライブが楽しみになってきました。
*
2012年4月16日
私の青空
あれから7年が過ぎました。
悪戯っぽい笑みを浮かべながら
まだ何処かで歌っているような気がしてなりません。
後で知ったことですが、
亡くなる直前に病院でカトリックの洗礼を受け
洗礼名パウロとして旅立って行ったそうです。
高田渡、享年56歳。
葬儀はカトリック吉祥寺教会で執り行われました。
たぶん、
天国へ行ってもお酒はやめてないでしょう。
それどころか、
仲間たちが何人も天に召されましたから
今頃は楽しく飲んでいるに違いありません。
晴れた午後に
空の上から歌が聴こえて来そうです。
高田渡「私の青空」
*
悪戯っぽい笑みを浮かべながら
まだ何処かで歌っているような気がしてなりません。
後で知ったことですが、
亡くなる直前に病院でカトリックの洗礼を受け
洗礼名パウロとして旅立って行ったそうです。
高田渡、享年56歳。
葬儀はカトリック吉祥寺教会で執り行われました。
たぶん、
天国へ行ってもお酒はやめてないでしょう。
それどころか、
仲間たちが何人も天に召されましたから
今頃は楽しく飲んでいるに違いありません。
晴れた午後に
空の上から歌が聴こえて来そうです。
高田渡「私の青空」
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