2013年1月22日

ふゆ


冬になると聴きたくなる一枚です。

私の部屋に在るアルバムの殆どは
どれも冬の匂いがぷんぷんする物ばかり。
それがいったい何故なのか
未だに解らないままなのです。

私の歌も、そう。
冬の情景ばかりなのは
北の国で生まれ育ったからなのでしょうか。

思えば
演歌もそうですね。

日本人の性、なのかも知れません。


*

2013年1月21日

ワカサギ


通り魔的な犯罪を犯す狂った奴も中には居る。
けれど頭がおかしいからと罪に問われることもなく
やがてメディアは報じることも無くなり、いつか人々の記憶から消えて行く。
学校で銃を乱射したり、武装した集団に突然襲われるような国とは違い
民間人が武器を持たない国は、やはり平和なのだとつくづく思ってしまう。

今朝、仕事場へ向うため車のエンジンを掛けてふと見ると
屋根から右のリアにかけてべっちょりと鳥の糞がかけられていた。
テロリストによる空爆だ。
くっそー!と、行き場の無い怒りを押し殺しながら
車載のウエットティッシュで念入りに拭き取る。
冬の青空の下、我が家に於けるテロ行為とは、さしづめこんな程度だ。
次にやられたらスペンサー銃で撃ち殺してやる!と、息巻いてみても
現実的ではないその発想は、鳥たちとの戦争にまで至ることはない。

・・平和だ。

夜の食卓に、こんがり揚げたワカサギのフライがあった。
何も付けず、そのままむしゃむしゃと喰う。
芋焼酎を飲みながら、むしゃむしゃむしゃむしゃと喰う。
あまりに旨いので幸せな気分になった。

骨と一緒に、平和な日常を噛み締めながら
大量殺戮を伝えるニュースを平然と見ている私もまた
すでに狂っているのかも知れないが。

むしゃむしゃむしゃむしゃ
むしゃむしゃむしゃむしゃと
ワカサギを喰らう。

*

2013年1月20日

カスバの女


またしても雪だるまのマークが出てしまいました。
見た目は可愛らしいし、犬も子供も大喜びするんですけど
私ら渡世人にとっては、あまり嬉しくないことであります。

南岸低気圧、これが発達しながら八丈島の下を通って行くと
寒気を引き込んで関東の沿岸部に雪を降らせるらしいですね。
上を通って行った時は内陸部だけで、海側の土地には降らないようです。
14日の大雪は急速に発達した低気圧が八丈島の下を通過したことが原因とか。
明日の夜はどうなるんでしょうね。
夏タイヤのままでチェーンも持たないドライバーが多い土地柄ですから
平年よりも気温の低い冬だとは言っても、やたらと降ってほしくないものです。
もちろん?私の車も、冬の装備は何ひとつありませんもの。



ここは地の果てアルジェリア・・



遠い異国の地で起こった事の、真実が語られることは無いのかも知れません。
「カスバの女」幼い頃に聴いた、私の好きな歌をちあきなおみが歌っています。
友人のミュージシャン、遠藤コージ君もライブで歌っていたのを思い出しました。


*

2013年1月19日

地球の裏側で


人質という極めて卑劣な手段を講じる武装勢力。
要求を一切受け入れず武力で制圧する国防という名の軍隊。
その狭間で犠牲になるのは夥しい数の民間人だ。

救出作戦と称してはいるものの、
準備期間も無く唐突とも思える攻撃には
人命優先などという考えはハナから無かったことが窺える。

国際的に非難を浴びるであろうアルジェリア政府が
いったいどんな弁明をするのか
当事国の宰相の記者会見を待つとしよう。

安否を気遣うご家族の心情を思うと
言葉にならない。

*

2013年1月18日

Hobo


雪かき事件以来、とんだ長期休暇となってしまいました。
苦情と問い合わせに翻弄された仕事場の皆さま、お役に立てず申し訳ありませんでした。
明日から、はい、明日から平常通り出勤致しますゆえ、どうかお許しください。

独り言の前置きはさて置き、今日はリハビリを兼ねて車で外出。
入れ替えた車のマスターキーを作ってもらうためディーラーまで足を運びました。
なんと、無いと言われてたキーレスの受信機が付いているのが分かったのです。

平成11年といえば私が以前乗っていたジムニーと同じ年式。
メーターやステアリングも全く同じ仕様の物でしたから「おや?」と思いルームミラーを見ると
ちゃんと赤外線のセンサーが取り付けられてるじゃありませんか。
14年間あちこち転々としている間にオリジナルの鍵が無くなってしまったのか
私が受け取ったのは2本とも合鍵屋で作られたペナペナの鍵でした。
けれど平成11年、いや絶対付いてる筈だからと調べてみると、やはり有ったのです。
そこでディーラーへ赴き、マスター登録して新たに作って頂いたわけ。
初期の赤外線方式なので、受信距離は1メートル足らずとお粗末ではありますが
やはりこれは有った方が便利に決まってますからね!
(1メートルなのでドアのすぐ傍で押さなきゃならないんですけど・・)笑
真新しい鍵を付けた真紅のKeiで、明日は颯爽と仕事場へ向うのです。

ぼおーっと過ごしていた療養中にも、ひとつだけ収穫がありました。
昨日ご紹介したTHE FG、これを弾いてるうちに歌が出来上がったんです。
酔った勢いで小躍りしながら深夜にFacebookに載せてしまいましたが
そのときは(途中経過の)二番まで、今日になってから三番を書き足しました。
とある方のつぶやきにインスパイアされて書いた三番目の歌詞、
だからというわけじゃないんですけど、タイトルが「Hobo」に替わっています。
ライブを再開する春には、この新曲を引っ提げて行きますからね!お楽しみに!!



「Hobo」

北風が冷たい夜は
君が恋しくなって
記憶の糸 手繰り寄せる
あの日あの時のこと

流離い人よ
夢見る一夜の旅路

薬鑵に一杯お湯を沸かし
熱いお茶を飲んでる
曇った硝子窓の向こう
冬が座り込んでる

彷徨い人よ
悩める一夜の孤独

凍えた指で握り締めてる
その大切な物は何?
たくさんの荷物背負い込んでる
けど本当に必要な物は何?

尋ね人よ
迷える一夜のHobo

Shalala 僕は
Shalala 君と
Shalala 喜望峰を目指すHobo



Lyric & Music by Kazura

*

2013年1月17日

鈍(ナマ)る


数年間、友人にレンタルしていたTHE FG、
手元に戻ってから傷んだあちこちをリペアしたり部品交換などしたものの
気に障る箇所が幾つもあって、磨きを入れてから仕舞い込んでおりました。
相性が悪いのか、私にはどうにも馴染んでくれなかったんです。
つい先日も、久々にその友人と顔を合わせた折、このギターの話が出たので
ロニー&ロケットメンの(毒舌)鈴木クンの口癖みたいに
「あれはクソだ!」と、酔った勢いで何度か言ってしまった覚えがあります。

腰痛で自宅療養中とは言え、上半身だけは暇だったので
思い出したようにこれを取り出して1年ぶりくらいに弾いてみると
あら不思議、ザクザクした音の感触がとても心地好いではありませんか。
しばらく鳴らしているうちに、曲がひとつ出来る前の入口辺りの所まで行ってしまいました。
ちょっとした快感です。

理由はすぐにわかりました。
張り替えた弦が伸びてしまい、音がナマッていたのです。
このギター、いつもメインで使用しているGibsonのJ-45と同じように
ちょっと古くなったくらいの弦の方がバランス良く鳴るみたいですね。
低音弦のサスティーンが少ないところもいい感じに聴こえます。

すっかり気を良くした私、
しばらくの間、身体に一番近い場所に置いておくことにしました。
歌い出すきっかけになるかも知れません。

*

2013年1月16日

由来


突然ですが、私の本名は田守といいます。
日頃は「かずら」としか聞いたことのない皆さんの中にも、
Facebookのローマ字表記を見て気が付かれた方も居るかと思います。
片仮名で目にしたり耳で聞いたりすると、著名な芸人と同じ響きになってしまうので
日頃は公にすることはまずありません。

遡ること45年ほど前、
高校2年の時にライトミュージック・コンテスト(後のポプコン)に出場するにあたり
本名のままだと学校に知られてマズイことになるので、姉に相談してみました。
すると彼女、「万葉集に登場する日陰葛(ひかげのかずら)なんてどう?」と申し、
その当時ろくに学校へも行かずアウトローを気取っていたハナタレ小僧は、
言い得て妙とばかりにその名前で歌い始めたのでありました。
以後、友人知人を筆頭に周囲の全ての者たちは、略して「かずら」と呼ぶようになったのです。
(売れないミュージシャンそのものみたいなので、自ら「日陰」を外したという説もあり)
70年代初頭までの私は写真のような風貌で、その名前で歌っていました。

その後23歳で結婚する直前に(それまでのツバメ状態を脱却するため)
歌うことを辞めてサラリーマンになった以降も、旧い友人たちは皆が「かずら」と呼んでいましたが
私自身としては本名での生活が続いていたので、ずっと封印しておりました。
やがて長男が中学に上がった頃、妹二人が参加していた子供ミュージカルに
彼も加わることになり、女房も私も父兄としてそのグループに関わるようになりました。
今年で三十代半ばとなるその長男は希夢(きむ)といいますので、
女房は「きむおば」私は「きむおじ」と、仲間たちからはそう呼ばれていました。
(10年ほど関わっていたせいか、その当時の方々は今でも「きむおじ」と呼びます)
習慣、なんでしょうね。何度言っても「かずら」とは呼んでくれないのです(笑)

そして2005年1月15日、三十数年ぶりに再びステージで歌うことが決まった時に
それまで封印していた「かずら」の名前を復活させることになったのです。
(云わば、昔の名前で出ています的なプロモも兼ねてね)
それは結婚30周年のイベントとしての一夜限りの企画だったんですが、
大盛況だったことに加え、もっと歌っていたいなあと思う気持ちが込み上げて
そのまま今に至るまで(現在は休業中ですが)続いているわけなのです。
その1月15日のライブ翌日に、Blogで「これは、かずら元年である」と宣言したことから
以来私は「かずら元年」の名前で活動するようになったのです。
(なぜ元年なのー?と、不思議に思われる方はこれで納得されましたよね)

余談になりますけど、数字を覚えるのが苦手な私が
結婚記念日と何周年になるかを正確に言えるのは、このライブがあったおかげなんです。
2005年に30周年、これさえ覚えていればいいんですからね!


今日、一日遅れでいつものワインを買って来ました。
毎年の慣わし、女房と二人だけで乾杯する、それだけの質素な祝いです。
料理もプレゼントも何もありませんけど、お互いが健康であること
それが一番なのだと(勝手に)思うようにしています。
ワインのラベルが、この家で一緒に暮らしていた今は亡きボーダーコリーの顔に
とてもよく似ているので毎回これを買ってしまうのですが、
一人減り、二人減り、一匹減り、二匹減り・・
賑やかだったこの家も、ずいぶんと殺風景になってしまったものです。

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