2014年4月23日



そういえば
失踪?したマレーシア航空のMH370便、
その後の捜索は何か進展があったのでしょうか。
同国のナジブ首相は先月末の時点で
「同機はインド洋南部で飛行を終えた」と声明を発表したそうですが
諸説が飛び交うミステリー、消えた機体は何処へ行ってしまったのでしょう。

韓国の客船「セウォル号」の沈没事故も不可解です。
過積載と積荷のバランスが崩れたことが大きな要因ではありますが
その直前の急な進路変更はなんだったのか。
浮上して来た潜水艦との接触も囁かれていますけど
事の真相は未だに謎のままなのです。

空と海の違いはありますが
ふたつの事故はどこかで繋がっている気がしてなりません。

もしや・・



*

2014年4月22日

ホルモン



小顔で美人なんだけど
お腹たぷたぷしてます。

人間にも居ますよね、
こんな人。

うちの猫も
まさにそれ。

けど可愛いから
醜い部分は気になりません。

人間にもありますよね、
そんなこと。

愛は盲目
アバタも笑窪

言い得て妙であります。

たぶん、
好きだという己の感情を否定しかねない
そんな駄目なところを目にしないように
脳がコントロールしているのでしょう。
仮に見てしまったとしても
イメージが優先して瞬時に修正しているのかも知れません。

脳の働きは複雑ですけど
心が支配していることは間違いありません。
幸せホルモンと呼ばれるオキシトシン、
これが脳内で分泌されると
愛情や絆が深まるのだと言われています。

しかもこれ、
歳を取っても分泌されるんですってね。

はい、
枯れないよう心掛けます。

*

2014年4月21日

Ramblin' Boy



実はこの家に越してから
まともにギターを弾いたことがなかったのです。
だって、あまりにも静か過ぎる環境なので
ちょっとどころか、かなり躊躇っていたのですよ。

けれど、春になると虫が騒ぐ。
そろそろ二ヶ月になることだし
徐々に周辺住民を慣れさせて行くべき時なのでは・・

おもむろにGodinを取り出し、
ネック調整その他のメンテを施して
少~しばかり歌ってみましたわ。

きゃあ、新鮮!
のっけから134号線も水曜日も
オリジナルとは違う刻みで始まりました。
自分の曲でも暫く間を置くと
まったく異なる解釈が湧き上がって来るものなんです。
これが実に楽しくさせてくれる。
嬉しいですね~

嬉しいと言えば、
遥か東京の外れから(ほぼ埼玉だわな)
電車に2時間も揺られてやって来た者がおりました。

以前から駅前の焼き鳥屋で飲む約束をしていた者二名、
時刻通りに我が町まで辿り着き
楽しき時間を過ごすことができました。


ガンダーラへ向う途中の
三蔵法師さまと警護の悟空です。
沙悟浄と猪八戒はお家で留守番してるようですが、
果たしてこやつの警護で大丈夫なのでしょうか。

終電までちょいと時間があったので
店を出てから我が家へ寄ってもらい
有り合せのおかずで晩ご飯を食べて頂き
(ついでに)慌しく2階へ上がり、1曲だけセッション。
いやあキミら、遠路遥々ご苦労さんでした。

これから先、良い旅を!



*

2014年4月20日

道化師



この古い写真を見た或る方が
50年代初頭に車のある裕福な家庭で育ったお坊ちゃまなのだと
僕の生い立ちを勘違いしてしまったそうな。
いやいや、しがない公務員だった親父が車など持てる筈もなく
これは知人の物であり、その前でお握りを手にした僕が写っているだけなのだ。
お気に入りの写真なので、WEBで公開してしまったが
まさかそんな風に解釈されていたとは露知らず・・(笑)


幼い頃の僕は、いつも笑っていたらしい。
おまけに、やかましいほどにはしゃぐので
神妙な席には連れて行ってもらえなかったそうだ。
そう言えば、一番上の姉の結婚式のときも家に残され
一緒に留守番をしていた婆さんと猫のお産で右往左往した記憶がある。
あのときは5匹生まれた。それを目を丸くしながら見ていた。
もちろん大はしゃぎで。


複雑で、様々な問題を抱えた陰湿な家庭だったせいだろうか。
僕はその重苦しさを払拭しようとしていたのかも知れない。
陽気に振舞えば皆が笑う、そんな単純なことではないだろうに
僕は何処へ行っても道化師の如く明るく努めていたようだ。

けれどやがて思春期を迎えた頃、
僕は家ではまったく笑わなくなった。
すぐ上の姉が家を出て以来、あの息が詰まりそうな場所に
親父とお袋と僕の三人だけが暮らしていたのだから。

実は当時の田舎のことを思い出すと
今でも心が塞がれるような暗さを感じてしまう。
それは途轍もなく重く圧し掛かって来るようで
ときには頭が痛くなるほどだ。

昨晩ご紹介した自叙伝なるもの。
これが何故中途半端にずっと未完のままでいるのか
どうやらそのわけは、これが原因のようである。
思い出そうとすると鬱になってしまうのだ。

道化師でいられた時期はとても短い。
無邪気な子供でいられた時間もあまりに短い。
憂鬱な時を過ごした思い出は
消えろ!消えろー!と、
脳味噌に訴えかけているのだろう。

その鬩ぎ合い(せめぎあい)が
肉体と魂を疲弊させ、心を閉ざしてしまうような
そんな因果関係がきっとある。

ここ数日、僕はとても疲れてしまった。
明日の夜に友人と飲み交わす酒が
何よりの癒しになりそうだ。

僕は、現在(いま)の事しか語りたくない。
道化師は今日を生きているのだ。

*

2014年4月19日

生い立ち



一昨日、同郷の方々と飲んでいたせいでしょうか。
田舎のこと、遠い昔のこと、
あれこれ思い浮かべてしまうようになってしまいました。

記憶が曖昧な時期もあったので
10年ほど前に書き記した文献?を読み直してみましたが
若い時分、特に十代の頃は何事にも攻撃的だったようです。

恥ずかしながら、書き始めたときは自叙伝のつもりでした。
自分の寿命は50歳なんだと、小さい頃から何故か確信していた節があり
その歳が近付いた或る日、一気に書き綴った記憶があります(笑)

けれどこれは完結してません。
と言うよりほんの序章、その後の事が一切書かれてないのです。
果たして幾つまで生きられるのかわかりませんが
死ぬまでにはその続きとやらを書いてみたいものです。

当Blogのサイドバーにも当初からリンクを貼ってありましたけど
お時間のある日にでもご覧になってください。

kazura in his own write

拙い文章で恐縮ですが、
こんな風景が残っていた時代を生きた家族と
その息苦しい家庭の中で屈折して行った自分を描いたつもりです。


この写真、親父が珍しく上機嫌でポーズを決めているところを見ると
新築した我が家をバックに、誇らしげに息巻いていた頃だと思います。
幼い僕は嬉しそうに親父のポーズを真似てます。

今思えば、家族の皆が一番幸せな時期だったような気がします。
この頃を境に、親父もまた苦悩の挙句に屈折して行き
会話が無いまま僕と彼の溝は深まったのかも知れません。

膝を交えて語らうことが、一度も無いまま逝ってしまった親父ですから
今さら確かめる術は無いのです。

*

2014年4月18日

筍と松島病院と東白楽と



昨日の朝、旧宅の大家さんから電話があり
ようやく筍が採れたんで取りにいらっしゃいとのこと。
早速車を走らせ南本宿まで行って来ました。
初筍!嬉しいじゃありませんか。

なんでも昨年に続き今年も不作なんだとか。
前の年の雨が少ないと出来が悪いそうですが、
ここ数日の乾燥も災いしているようで
例年の今頃なら庭のあちこちからニョキニョキと顔を出すのに
この春の収穫は寂しい限りです。

この旬の筍、もしかすると今年が最後になるかも知れないことを思うと
それもまた寂しい限りなのであります。
南本宿の思い出を噛み締めるように、じっくりと味わいながら頂くことにしましょう。

大家さんと暫し庭で談笑した後、
筍を車に積んだまま松島病院へと向いました。
もはや年貢の納め時、医者の言う通り手術を受けることにしたので
その入院予約をするためだけに赴いた次第。
6月2日から入院、手術は翌3日に決まりました。
入院期間は約10日、退院後数日間は自宅療養となるため
月の半分は屋内に篭り、酒も断たねばなりませぬ。
とほほほ。。

家に筍を降ろした後、駅へと向かい電車で半年ぶりの東白楽へ。
馴染みの店をお借りして、某新聞社の取材を受けて参りました。
ひょんなことから僕の田舎の地方紙の
東京支社の方から取材申込みがあり、僕で良ければとお受けしたのですが
あれは本当に取材だったのでしょうか。
夕方の6時から終電の時間まで(皆で)ずーっと飲んでいたんですから(笑)
いったいどんな記事になることやら・・
少々不安になりますが、事の顛末はいずれまた。

そして今夜の食卓は・・


とりあえず「筍二選」
僕の好きな煮物は只今大鍋で灰汁抜き中。
明日はそれも食卓に並ぶ予定です。

春爛漫!

*

2014年4月17日

終電



ジョン・レノンの誕生日よりも一日早く生まれてしまった僕は
彼が愛用した眼鏡を掛けて久しぶりに東白楽まで出掛けた。
以前のような街の活気が、感じられなかったのは気のせいだろうか。
たぶん気のせい、だよね。

馴染みの店の若女将は、飲み過ぎて声が出ないと言っていた。
僕らオッサンとジイサンだけが、勝手に盛り上がっていたのが申し訳ない気分。

あー、でもよく飲んだ。
終電に乗ってから寝てしまい、
最寄り駅で目が覚めたのは奇跡的。

ホームで長女と出くわした。
駅前のコンビニでアイスクリームを買ってあげたら
少しだけ喜んでくれたみたい。
ほんの少し、だけどね。

家族ってえもんは
それくらいの関係がちょうど良いのだと思う。
べたべたしすぎるのは気色悪い。

*