2019年8月12日

8月12日 大通りにて


柳月本店は大通りにある。
店の並びには壁面をレトロに仕上げた
いなり小路という酒場通りが作られているのだが
これもまた、観光客目当てなんだろう。
地元の人間は行くわけがない。
活気の無い街は、寂れる一方だ。


2019年8月10日

8月10日


帯広へ来てから19日目。本日未明におふくろが息を引き取りました。1時間くらいしか寝てませんが、なんだかホッとしてます。この不思議な安堵感は、いったい何なのでしょうね。

明日は身内だけで見送ります。14日まではこの町に居ますんで、あちらこちらに顔を出したいと思ってます。

画像は7月22日、僕の長男一家が急遽見舞いに訪れた際に自宅で撮られたものです。直近の、あまりにも柔らかな表情だったので、紙に焼いて遺影にしました。
いい笑顔でしょ。享年98歳、孫とひ孫に囲まれて、幸せだったことを窺わせる写真だと思います。

なんだかわからないけど、肩の荷が下りた気がしてます。


2019年8月7日

8月7日


実家と病院を行き来するだけの毎日、すでに半月が過ぎてしまいました。停滞したままの日常は酒の量が増えるだけですね。
数年ぶりに戻った実家の真ん前に怪しいラーメン屋が出来てました。見るからに怪しいです。通りの反対側からチラ見するだけで、中に入る度胸はありません。けど不思議なもんで、気になって仕方ないんです。明後日から寒くなるんで(誘われるように)入ってしまうかもしれません。


2019年8月5日

8月5日


帯広での生活、早いもので二週間が過ぎてしまいました。日常があまりにも淡々としてるんで、毎日の時間が長く感じられます。此処で暮らしていると、空気と飯さえあれば生きていられるように思えてしまうのが不思議です。
田舎って、退屈な処なんですよ。だから皆、人と会って話し始めると、延々とお喋りが終わらない。あくせく生きてないから、時間を惜しまずにお喋り出来るんでしょうね。
母が入院してる緩和ケア病棟の医者も看護師も、みんなお話好きです。こちらがエンディングに持って行かない限り、ずーっと話を聞いたまま立ち去ろうとしません。病院とは思えないほどの、のーんびりとした空気感。これは或る意味すごいことですよね。

午後7時の空と月、この色合いと風合いにも十勝らしさを感じてしまいます。

2019年8月3日

8月3日


母が入院している病棟のデイルーム、書籍コーナーで素敵な本を見つけた。この町で、幼い頃から少年期にかけて目にした風景が蘇る。そうなんだよ、この時代の帯広の街は躍動感に溢れてて、たくさんの人と車が行き交っていた。駅へと続く西2条の通りは、夕方になると人の波が途絶えることなく、とても賑やかだったんだ。そんなことを思い出させてくれた一冊の本、横浜に戻ってから手元に置こうと思ってる。

2019年8月2日

8月2日


先月の23日から今日に至るまで、ずっと帯広の実家に滞在してます。帰る予定も掴めないため片道切符でやって来ました。今年の冬で98歳になる母、肺に影があると言われ精密検査を受けたところ、あちこちに転移したステージ4であることがわかり、余命1ヶ月を宣告されたからです。折しも帰省で混み合うシーズン、何かあってもすぐには帰れませんし、会話が出来て頭もしっかりしているうちにお別れをしておきたいのと、今まで親不孝を重ねてきたので最期を看取る義務がありますからね。なので今日に至っても、いつ横浜に帰れるのか見当もつかない状況です。

当初は入院を嫌がる母の気持ちを優先して在宅看護を予定してたんですが、僕が行く前日に容態が悪くなり緊急入院、帯広厚生病院の看護ケア病棟で治療を受けています。現在は安定してますけど、極めて高齢ですから急変する可能性も高く、この際なので腹を括って最期まで傍に居てあげることにしました。

折しも猛暑の帯広、夕方になると横浜じゃ見られないような空の色に驚かされます。朝の6時に目覚め、日付が変わる前に床に就く生活にも慣れましたけど、ぼーっとしてるだけの毎日、酒の量が増えるばかりです。

長くなりましたが、近況報告ということで。。

2019年7月27日

7月27日


病室での母。
膝の上に、娘が持参した猫が乗っている。
よほど気に入ったらしく
ベッドでは片時も離さずにいた。
名前は「ももちゃん」という。