2020年9月29日

夕暮れ時

 

夕暮れ時、淡い色合いに空が染まって行きます。



夕焼けを背にした日高山脈。少年時代に家の前から目にした景色とは変わってしまいましたが、とても懐かしく感じられます。この季節の色合いが、温かで一番好きなんです。午前中、廃線となった士幌線の軌道跡に出来た遊歩道を姉と歩き(いわゆる高齢者の運動)藤丸百貨店まで散歩しました。自宅からだと1kmちょっとの道のり、北国の田舎街はコンパクトに作られているんですよね。

その姉の手による毎夜の夕飯は、どことなくお袋の味を思い出させてくれるのでした。


2020年9月28日

帰省

 
一年ちょいぶりの帯広空港に着陸。

そして夜、月も綺麗だ。


2020年9月24日

モリ―・タトル

I'm With Herのライブにもゲストで出演していたモリ―・タトル、ギタ―プレイに圧倒されました。ブル―グラス界は凄いことになってるんですね。そんな彼女、実は脱毛症でスキンヘッドだということを知ってまたびっくり。2年ほど前から脱毛症の子供たちを支援するサイトも立ち上げていたとはね。
そしてスト―ンズの名曲まで歌っていたことに、またまたびっくりさせられたのです。これがまたいいんだわ。



2020年1月19日

郷愁にも似た思い出のひとコマ


45周年を迎えたジジババの画像をLINEで子供たちに送ったら、30周年の祝いにかこつけた2005年のライブが懐かしいと息子から返信が来た。そう、15年前のこと。カミさんへの記念日的なプレゼントに高価な宝石は買えないもんで、プライスレスなライブを企画して三十数年ぶりの舞台に上がったというお粗末。家族や友人知人、旧知の友など、山手駅からすぐのエンジェルス・クラブが超満員になるくらい集まってくれたんだよなあ。画像の集合写真は、その夜集まった連中の中でも特に濃い付き合いだった方々との一枚(今じゃ音信不通となってしまった者も居るけどね)そしてこの夜を記念して、僕は「かずら元年」という名前で再び歌い始めることになったわけで、元年というのは2005年の出来事を指して名付けられたのであります(元年秘話)




あれから15年、場末のクラブみたいな佇まいだったその店のPA兼オ―ナ―は癌で亡くなり、いつしかお店も閉じられてしまった。お見舞いにもお別れにも行けなかったけれど、会う度に温ったかな言葉をかけてくれるオヤジさんだったなあ。・・郷愁にも似た思い出のひとコマ。

5年後、かずら晩年として締めくくりの50周年記念ライブやるよ。只今先行予約受付中!来てね。

*画像は友人から送られて来た素材を拝借*

2020年1月16日

ごあいさつ


諸事情から暫くの間寡黙を守っておりましたが、静かに年は明け、気が付けば月の半分ほどが過ぎてしまいました。新年のご挨拶が遅れましたけど、昨年と変わることなく当たり前に生きております。おかげさまで一昨日は、夫婦生活45年目を迎えることも出来まして、ささやかな祝いの宴をひっそりと催した次第です。この先も転がる石の慣性で、たぶん50年までは到達することでありましょう。まもなく半世紀、長い長い付き合いでございます。


師走のさなかに持病の腰痛を発症してしまい、完治せぬまま年を越してしまったものですから、あれこれやり残した事柄を順番に少しずつ片付けています。今日はちょいと調子が良かったものですから、懸案だった部屋の配置換えを敢行しました。そのやりくりの中で、どうしてもスピ―カ-の位置を変えなければならなくなり、ダイヤト-ンのDS-251が元の場所に戻って参りました。そう、極限のニア・モニタ―状態。このサイズのスピ―カ―を左右隙間なくセットして耳元で鳴らすなんぞ、本来なら有り得ないほどの愚行なのでありますが、定位もへったくれもなく音が塊となって聴こえるのは、音の出どころが曖昧になって、リスニングには案外と心地好いものなんです。おまけに音量を絞っても音が痩せないのも、このサイズをこの距離で鳴らす恩恵でもあるのでして・・これはあくまで僕の主観ではありますがね。DS-251、やはり良い音です。

そんなこんなで、今年もゆる~く暮らして参ります。すっかりご無沙汰してしまった皆さま、また何処かでお会いしましょう。


2019年10月8日

10月8日


10月8日、僕は67歳になりました。心も体も、まだまだ若いぞと思ってはみても、煙草を咥えた己の顔には、そこかしこに老いた姿を感じてしまいます。

8日生まれだからなのでしょうか、体の根幹には8ビ―トが刻まれ、僕の日常はそのリズムに同期しながらの淡々としたものです。敢えてメリハリは求めず、降りかかる災いや試練を受け入れ、難しいことは考えないようにしながら、テンポとノリを楽しみながら生きています。陳腐にも思えるそんな日常ですが、当たり前の暮らしの大切さを教えてくれたのは、3.11の出来事だったと思います。以来僕は、何事にも妙に優しくなったような気がします。もちろん己にも。

非正規ながらミュ―ジシャンを自称する僕にとって、歌うことは非日常の何物でもありません。けれどそれが心地好いのは、現実の暮らしから逃れたいわけでもなく、見えない何かと対峙する緊張感でもなく、ただひたすらに日常の延長にある「非日常」との境目を、ちょっと超えた辺りを楽しんでいるからなのだと思います。老いてもなお、音楽には貪欲ですが、あまりガツガツせずにこれからも生きて行きたいものです。
毎年の恒例となっているバ―スデ―ライブ、今回は取りやめと相成りましたが、希少な「かずら元年ファン」の皆さま、絶滅危惧種の僕を見守って頂けたなら幸いです。どうかこれからも宜しくお願い致します。

最後になりましたが、お祝いのメッセを数多く戴きましたことに感謝します。クソジジイはまだまだ健在です。味噌と糞は一緒にしてもいいほど大切なものだとわかっている皆さま、ありがとうございました。