2013年3月9日

老兵


海上自衛隊の護衛艦さわゆきが退役した。
1982年6月進水、1984年2月に就役した排水量2950トンのはつゆき型4番艦で
艦齢は29歳、横須賀を母港にしていた汎用護衛艦である。

2011年3月11日、横須賀に停泊していたこの船の艦長は
震災直後に救援物資を積み込み、1時間後には船を出航させ
翌12日明け方には岩手県久慈市沖に到着したという。
海自の護衛艦隊の中で一番早く現場に到着したのがこの船だった。

その後も福島第一原発の原子炉冷却用の真水を給水するために
横須賀基地からえい航されたはしけ船の警戒艦として同行したり、
気仙沼市では大勢の被災者をボートで送り迎えして艦内に招き入れ
温かな風呂とおにぎり、みそ汁を提供する「入浴支援」に貢献したり、
被災地で幾たびも活躍したことが記されている。
シースパローやハープーンを装備している(れっきとした)軍艦が、
その年の8月まで7回に渡り、計97日間を岩手県から茨城県沖までの全海域で
救難活動や物資輸送にあたっていたわけなのだ。

東シナ海のキナ臭さから、国防についての議論が高まりつつある中
海自、空自の今後の在り方が見直されようとしている。
防衛または抑止として、一歩踏み出さずにはいられないような論調も見られる。
けれど私は、武器を手にした彼らを外に向けては欲しくない。
他国の目からは軍隊と見えたとしても、彼らは「自衛隊」に他ならない。
率先して戦うことを目的とはしてない摩訶不思議な組織なのだ。
海外からは理解されなくとも、この曖昧さで日本という国は成り立っている。

銃を持つ代わりに、土嚢やスコップを手に災害現場で汗を流す隊員の姿や
火気弾薬を降ろし救援物資を積んで被災地へと向う護衛艦が凛々しく見える。
過酷な最前線へと送られる隊員諸氏には申し訳ないが、私はそれで良いのだと思う。

老兵さわゆき退役のニュースに触れ、そんなことを考えていた。

*

2013年3月8日

猫には求めてませんけど


ほんの数日前までは灯油ストーブをガンガン焚いてたというのに
それが幻だったかのように思えるほど暖かな陽気が続いています。
この人なんか、緊張感の欠片も無いくらい、毎日毎日ゴロゴロしちゃってます。
聞けば昼間はずっと寝てたらしいのですが、
私が帰宅しても目をちょっとだけ開けるだけで起き上がろうとはしません。
猫っていいなあ・・いつもそう思います。

明日は23℃まで気温が上がるんだとか。
この人、融けてしまわなきゃいいんですが(笑)

帰宅してシャワーを浴びて出て来ると、WBCの台湾戦まだ続いてました。
9回裏、牧田のファインプレー辺りから観始めましたけど
ドームに居たお客さん、今夜の試合は得した気分でしょうねぇ。
粘り勝ちしたこの1勝は大きいです。

今回の侍ジャパン、顔ぶれのせいか圧倒的な強さは感じませんけど
守備も攻撃も野暮たく地道な印象です。
これはやはり(人の良い)コージ・ヤマモトのカラーなんでしょうかね。

睨みつけるような形相で、闘志剥き出しの熱いプレーに魅せられた
そんなひと昔前の選手とは違って、現代っ子は皆やさしい顔をしています。
でも勝負事なんですから、もっとギラギラしたところを見たいもんです。
その辺がちょっと物足りない・・

あ、ミュージック・シーンもそうかも。
往年のミュージシャンはライブ・ステージで大汗かいてたもんですが
若い方たち、いつも涼しげな表情で汗もかかずに歌ってますもんねぇ。
体質が変わっちゃったのかしら?
それとも汗を流すことが格好悪いことなのかしら?

SOULを感じたいなあ。
(猫には求めてませんけど)

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2013年3月7日

河津桜


今どき珍しいくらいに老朽化したボロ建屋の旭警察署に出向き、
その隣のこれまた朽ち果てそうな交通安全協会で500円の証紙を買い、
Keiクンのリア・ウインドーに、ようやく保管場所標章が貼られました。
今日から正式に我が家の一員となったわけです。
Keiクン、遅くなってごめんねー!

貼り終えて、陽気に誘われるように近所をぶらぶらと散策してみると
暖かな春の陽射しに包まれた大家さんの敷地は梅が満開。
そして通りを挟んだ空き地には桜が咲いておりました。


植物に博識なカミさん曰く、河津桜と言うそうで
1月から2月にかけて開花して、伊豆の辺りは今が満開の時期とか。
綺麗なピンク色をしてましたが、ピンが甘かったのが残念であります。
(おそらくiPhoneを花びらに近付けすぎたのかと・・)

そうそう、今日は休日だったものですから
起きてすぐに私の部屋の窓(戸?)を開け放ちました。
昨年の秋以来、実に四ヶ月ぶりのことです。
裏庭にもいつの間にか、春がちょっとだけ顔を覗かせてました。


竹の何本かは伐採されたらしく、公園の遊歩道が見えるくらいに隙間が出来てましたが
もう間もなく地面からにょきにょきと筍が生えて来ることでしょう。
今年もまた、旬の筍を味わう季節がやって来るのです。

THE FGを弾きながら、1時間ほど旧い歌を歌ってみました。
ブランクの割には(ちゃんと)歌えるもんですね。
けれど、どの歌も妙にコブシが回るようになったのは何故なんでしょ?
演歌のではなく民謡風のコブシ(笑)
60年の生命に宿るトラッド、なのでしょうか。

・・そろそろ歌い始めようかな。

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2013年3月6日

車庫証明もどき


納車からおよそ二ヶ月が過ぎてしまいましたが、
明日Keiクンの「自動車保管場所届出書」を出して来ます。
いわゆる車庫証明ですが、普通車とは異なり軽の場合は納車後で構わないのです。
普通車だと納車前に必ず「申請」しなければなりませんけど
所有してからの「届出制」なので、ついうっかりと忘れる人も多いかも知れません。

仮にこれを出さない(車に保管場所標章を貼ってない)とすると、
厳密には10万円以下の罰金と記されているのですが、
実際に処罰を受けたという人の話は聞いたことがありませんので
街を走る軽自動車のおそらく半数近くは未届けなんじゃないでしょうか。
しかも人口10万人以下の地域では届け出が不要というくらい手緩い管理なのです。
つまりは「車庫証明もどき」といったところ。

私は車を乗り換える度(まめに)毎回届け出をしていたものですから
標章を貼り終えるまで、何となく「自分の車」という実感が湧かないようになってしまいました。
なので今回もきっちりと提出して参ります。
普通車は自動車保管場所証明書交付申請手数料と保管場所標章交付手数料を合わせて
2600円の証紙が必要ですが、軽は保管場所標章交付手数料の500円のみです。
この手数料の安さもまた、軽が優遇されてることの表れでしょう。
(それとも差別なのか?)

いずれにしても、警察官にリアを覗き込まれてチェックされることもありませんので
私は標章をいつもプライベートガラスの内側から(目立たぬように)貼っています。
外側から見ると辛うじて読み取れる程度ですが、いつもそうしてます。
(説明書には外側に貼るよう書かれてるんですけどね)
ちゃんと届け出して、きっちりと貼ってあるだけマシでしょ!てぇところです。

ちなみに普通車の車庫証明申請手続き、
住民基本台帳カードがあればNETでも出来るんですね。
神奈川県警のサイトを見て初めて知りました。
へえ~、便利な世の中ですこと。
http://www.police.pref.kanagawa.jp/mes/mesf4020.htm


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2013年3月5日

カレーうどん

先週の火曜、晩飯はカレーライスでした。
わーい!!お家で食べるカアちゃんのカレーは最高です。

その数日後、残り物のカレーが再び登場しました。
わーい!わーい!!残ったカレーは味が深まりこれまた最高です。

すると昨晩、三度(みたび)食卓にカレーが登場しました。
毎日欠かさず鍋に火を通すカアちゃんの苦労は知っていても、
さすがに週三度目ともなると新鮮味に欠けて感動が薄れてしまいます。

これじゃいけない、カレー様にも失礼だ。
聞けばまだ少々残っているとか。
そこでカアちゃんに提案しました。
明日の晩はカレーうどんにしよう!

そして今夜、リクエスト通りの濃厚な味のカレーうどんが登場しました。
わーい!わーい!わーい!!
柔らかな豚肉も新たに追加され、これは旨いじゃありませんか!
思わず二杯も食べてしまいましたとさ。げっぷ。。

週の間にカレーが四度。
最後の一滴まで食べ尽くされて、空になったお鍋も嬉しそうでした。
カレーさんも本望でしょうな、こりゃあ。

ふと、遠藤賢司の「カレーライス」を思い出し
ふふふ~ん、カレ~うど~ん~♪と、口ずさんでみたくなりました。
(くだらない発想に、我ながら愕然としてしまいましたが・・)恥


近頃は暇さえあると、このTHE FGを弾いています。
一度は手放す寸前まで行ったのですが、思い留まり手元に残していた物を調整すると
好みのタッチとトーンに生まれ変わってくれました。
弦は秋口に張り替えたのがそのまんま、すでに伸びきってますけど
この古くなってサスティーンの衰えた音が何だかとってもいいんです。
昔は新しい弦のジャリジャリした音が大好きだったんですけどね。
歳のせい、なんでしょうか?

愛器、GibsonのJ-45を触る機会がめっきり減ってしまいましたから
ちょっぴりスネているかも知れません。

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2013年3月4日

難関をクリア


昨日、久しぶりにターンテーブルを回しました。
アンプのフォノ・イコライザーかMC用の昇圧トランス、どちらかがヘタッてるようで
時折右チャンネルがフェイドアウト、しばらくしてフェイドイン、これを数回繰り返してました。
他の入力系は問題ないので、おそらくフォノ系統のトラブルでしょうね。
数年前ハードオフにて5千円で購入したテクニクスのプリメインなんですが、
A級動作の回路を持っていてアナログ系の音がすごく良いんですよ。
ダウンしちゃうとちょっと残念だなあ・・と思いながらも、再びハードオフで物色してみましょうかね。
(ちなみに私のオーディオ機器、スピーカー以外は全てその店で買い集めた物です)
予算5千円、何かいいもの出てないかしら?


真新しいホイールカバーを装着したKeiクンは、今日が初めての出勤日。
こうして見ると「いかにも軽」って感じで、華奢な印象に変わってしまったような気がします。
(うーん、鉄チン剥き出しのワイルドな足回りの方が良かったかなあ・・)

私の仕事場までの道、何箇所か舗装が凸凹の場所があるんですが
幸いなことに1050円のホイールカバーは激しい衝撃にもビクともしませんでした。
最大の難所は鶴見線の安善駅踏切、線路内の舗装は穴ぼこだらけで
4本ある線路を渡りきるまでガッタンゴットン凄まじい揺れ方をしますので
ひとまずここをクリアできたことは大きな安心材料です。
帰路の難所は15号線から1号線へ出るための入江橋交差点の右折レーン。
ここも数年間穴ぼこ放置状態で迷惑してたんですけど、
何と!この土日の間に綺麗に塗り返してありました。(意表を突かれちょっとびっくり)
そして最後の難関が環状2号線から保土ヶ谷バイパス下り線に繋がる右折レーン。
ここを曲がり切ったとば口の辺りが、いつまで経ってもデッコボコのままなのです。
さすがにそこはいつものままでしたが、一体いつになったら平らになるのかしらねぇ。
ここで疑問、何処も右折箇所の傷みが激しいのは何故なんでしょ?

ともあれ(有数の)悪路を走破しても外れない確信が得られたのは何よりでした。
いやはや、恐るべし1050円!(笑)

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2013年3月3日

オホーツクの悲劇

北国の冬は厳しいものです。
吹きすさぶ風と雪は、悪魔と呼びたくなるくらい凶暴に見えます。
桃の節句を祝う今日、痛ましい事故が起きてしまいました。

http://mainichi.jp/select/news/20130304k0000m040073000c.html

北海道オホーツク海沿岸の小さな町、湧別町での出来事は悲惨でした。
あと50m進めば民家が在ったというのに
それをさせないのが、荒れ狂い牙を剥く自然の脅威なのでしょう。
極限状態で一人娘をかばうように抱き抱え、北風を一身に受けながら守り抜いた
その父親の姿には頭が下がり、そして目頭が熱くなります。

地元の方々でさえ未だ経験したことのないような今回の冬の嵐。
台風並みに発達した低気圧は、容赦なく人間の暮らしに襲い掛かりました。
それは人類が築き上げた文明を嘲笑うかのように・・

色褪せた一枚の古い写真を今でも覚えています。
私が幼少の頃、家に有ったもので昭和初期のものかと思いますが
軒下から地面まで届く太い氷柱(ツララ)が写っていました。
当時の北海道の冬は、今とは比べ物にならないほど険しく厳しいものだったことが窺えます。
やがて家が増え、人が増え、文明の発達と共に氷柱も小さくなって行き、
車が普及すると人々は雪道を何処へでも行くことが出来るようになりました。
その便利さが、冬の恐ろしさを忘れさせてしまったような気がしてならないのです。

私の実家の前の道はバス通りで、今では綺麗に舗装されて広くなっていますが
昭和の30年代は周囲の家も数えるほどしか無い畑の中を通る砂利道でした。
平坦な土地でしたから、ひとたび吹雪になると吹き溜まりがすぐに出来てしまい
その路線バスが動けなくなって運転手が私の家に電話を借りに来ることが度々ありました。
父親と一緒にスコップを持って、大きなタイヤの周りの雪を掻いたことも記憶しています。
なんたって、他に民家は無かった時代ですからね。

北海道に限らず、北国で暮らす皆さま
どうか車の力を過信せずに、嵐の日は外出を控えるようにしてください。
命を落とされたお父様と、一人ぼっちになってしまった娘さんが不憫でなりません。

それにしても、
夏には沖縄近海で頻繁に台風が発生するようになり
冬には北日本の低気圧が台風並みに発達したり
地球の自然環境が狂い始めているのが気にかかります。

*