2013年3月22日

南本宿65、春爛漫


僕は時々思うんです。
春になると
体の内側からいろんなものが噴き出して来るような
そんな感覚が芽生えるのが幸せなことなんだと。

人間も草花と一緒なんです。
冬の間の沈黙は
耐え凌ぎ、春を迎える喜びのためにあるのでしょう。

あの人への想い
己の未熟さ
切なさを笑って誤魔化す
言葉にならないもどかしさ

そんなもやもやを跳ね除けてくれるのが
春の眩しい光なのだと思うのです。

今年も桜が咲きました。
移り行く季節を謳歌するかのように
誇らしげに、可憐な笑みを浮かべています。


この木には
青空がとてもよく似合います。

南南西の風、風力1で
名も知らぬ遠き島から海を渡って来た風は
僕の足元にも舞い降りて来ました。
それがとっても嬉しいんです。

南本宿65、春爛漫。

*

2013年3月21日

大衆車


フィアット500、こいつを近頃よく見掛ける。
好きな車であるだけに、信号待ちで隣に並ばれたりすると
つい横目でチラチラと見てしまう。
一日に必ず1台は目にするから、ずいぶん売れてるんだろうな。

ドライバーは圧倒的に女性が多い。
さほど飛ばさず、無理な運転もせず
足代わりにちょいとそこまで的な、比較的のんびりした走り。
ま、走り屋さんなら間違いなくアバルトに乗るだろうけどね。

けど、いいよなあ。これ・・

そういえば、先代の500Fはルパン三世が乗ってたんだった。
バニラ・イエローのこいつにさ。


映画やアニメだと、こんな小型車に大男が四人
ぎゅうぎゅう詰めで乗ってるのが可笑しいのよね。



何年かして普通車に乗り換えることがあれば
一度は乗ってみたい気もするのだが、如何せんお高いのがねぇ・・

そんな想いを巡らせながら信号待ちしていると
今日は隣に日産マーチが停まった。
売れすぎるくらい売れて街にゴロゴロしているマーチ、
馬鹿にして目にも留めなかった(大衆車)マーチだ。
わ、これがあったか!ふとそう思った。
ちょこっと手を加えてあげれば、いい感じになりそうな予感。
しかも玉数豊富でお安いときたもんだ。
うーん。

或る日マーチに乗ってる私・・
想像してみると、ちょいと気恥ずかしかった。
「大衆」と冠される物を敬遠しがちになってしまうのが
今までの私だった筈であるのに、
最近はその拘りみたいなものが薄れているようだ。

これもまた歳のせいなのでありましょうか?(苦笑)

*

2013年3月20日

ツブヤキ


そろそろ弦を張り替えてみないかい?

そんな声が
聴こえたような気がしました。

たぶんそれは
退屈な日常に業を煮やした
心の呟きだったのでしょう。

歌が恋しくなってきたようです。


*

2013年3月19日

だんだん馬鹿になって行くのです

三月のこの時期に各地で初夏の気温とは、
これを異常と呼ばずして何と言おう。
けれどあまり騒ぎ立ててる節は見受けられない。
やれやれ・・と、溜息をつきながら
皆が黙って受け入れている、そんな感じ。

2年前、あれほどの自然の驚異と脅威を目の当たりにしたせいなんだろうか。
人々は、ちょっとやそっとのことでは驚かなくなっているのかも知れない。
或いは己の力じゃどうにもならないことには無関心を装い
軽はずみに口を挟むことを躊躇しているのか。
「諦め」と言えば聞こえはいいが、異常な物事が当たり前のように受け取られ
さほどの関心を抱くことも無いのだとしたなら、それほど怖いことはない。

昨夜の福島第一の停電だって、
あってはいけないことが起きてしまったというのに
メディアの厳しい追求も無く、国民も以前ほど敏感には反応しなかった。
これから先、50年100年といった
気が遠くなるほどの時間を掛けなければ廃炉の作業は終息しないのだが
家を追われ、土地を追われた者以外にとっては、
過去の事件としか捉えることが出来ず、おまけに記憶から消えかかっているかのようだ。
それは世界各地で勃発する戦争にも似ている。
当事者でなければ、その痛みも苦しみもわかりゃしないし
海の向こうで今もなお続いていることなど知る由も無いのだから。

けれど福島はすぐそこだ。
日本で起きた深刻な大災害だ。
孫の代まで終わることのないその事故対応の
過程を検証することだけは忘れないようにしなくっちゃ。
決して無関心では居られないし、ああそうですかと受け入れることも出来やしない。
何がどうして、どうなって行くのか、誰が何をどうしようとしているのか
僕らは生きてる限りアンチテーゼの目を向け、耳を澄ましていようじゃないか。



どうです僕は大地のように
関わるすべてを受け入れるふり
だんだん馬鹿になって行くのです

細野晴臣「ありがとう」



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2013年3月18日

野球とベースボール


三連覇を阻んだのはカリブの海賊たち。
メジャー集団のあの勢いには、如何にお侍さんとて勝てやしない。

でも謝ることなんてないのよ。
野球しか知らない者たちが、本場のベースボールと戦ったんだから。

せめてあのスピード感だけでも日本に持ち帰って
ゲームの緊張感を高めることに貢献してほしいな。

日本野球に見られる妙に長い投球の間や打者の間、
あれって土俵に上がったお相撲さんと同じだよね。
それが日本のやり方だとしても、国際試合じゃ通用しない。

井端が打席でタイムを要求して手を挙げたのに
球審は全く無視してストライク!象徴的なシーンだった。
あれがベースボールの試合展開なのさ。

ゲームを作るのが球審の仕事。
メジャーではこれが当たり前で、故にジャッジには従わなければならない。
けど今日のは酷かったな、ストライクゾーンが滅茶苦茶。
あんなに外れた球をストライクにしてくれるアンパイアを見ていると
(例えが悪いかも知れないが)高校野球を思い出してしまったくらい。

野球とベースボール・・
律儀なお侍さんと荒くれたガンマンの違いかな。
ある意味、全く異なるスポーツなのだということです。



脈絡も無く、風の強い夜なので
ザ・スパイダース「風が泣いている」



私の記憶では
井上尭之のリッケンバッカーは、ハニーというコピーモデルで
重鎮ムッシュの方のは本物だったような・・
余談ですが。

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2013年3月17日

男らしいってわかるかい


明日は五日ぶりの休日。
まあ飲めや、お侍さんもそう申しております。

お侍さんと云えば、
海の向こうでプエルトリコと戦うそうな。
芯に当たればどこまでも飛んで行きそうな兵ぞろいの強豪、
マエケンの肩と度胸に期待しよう。

八重の桜の影響かしら、
近頃は会津の言葉を耳にすると妙に和む。
好きな女性から「なじょした?」なんて聞かれたら、
心を開いて正直に何でも答えてしまいそう。

会津の方言 http://aizunogakujin.web.fc2.com/countorytongue.htm

「めっこ飯」は北海道でも使われていたし、
東京生まれのカミさんも知ってたくらいだから全国区なのかしらね?
他にも、なげる ばっち ぶすいろ みそっぱ
何処でも通じそうな言葉がたくさんあるけれど
これらが会津のイントネーションで語られると、ほっこりしてしまうから不思議。
都会人の言葉は刺さるほどに冷たくて痛いものだから。

なんにしても
私みたいな腰抜けは、幕末のお侍さんや西部のガンマンに憧れてしまうもの。
腰には竹光(たけみつ)ガンベルトには鳴らないピストル、
そんな出で立ちじゃ戦えないものね。



男らしいってわかるかい?ピエロや臆病者のことさ・・



「男らしいってわかるかい」
大塚まさじさんによる「I shall be released」の名和訳です。
71年にリリースされたディランⅡのアルバムから。

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2013年3月16日

Wonderland


朝方、夢を見た。
いつものように、日常と非日常がごちゃ混ぜになった不思議な世界。

顔馴染みの何人かと一緒にテーブルを囲む。
みんな知り合いだと勝手に思っていても
実はその内の幾人かは、決まって誰だかわからない。

顔が無いのだ。
そう、「千と千尋の神隠し」に出て来るカオナシみたいな奴ら。
何故そこに居るのかもわからない。

それでもたった一人だけ
微笑みかけてくれる者が居る。
快活に話し掛けてもくれるのだが
悲しいかな、無音の夢の中では何を言ってるのか聴こえやしない。

それはまるで無声映画のワン・シーン。
モノクロで画質の悪いところまで同じだ。
唇の動き、顔の表情で台詞を頭に想い描いてはみても
たぶんそれは自分に都合の良い言葉に置き換えられてしまうんだろう。
だから心地好い。

けれど目覚めてから、微かな記憶を手繰り寄せてみると
あまりにも現実離れしていたことに気付く。
当たり前だ、それが夢だもの。
その気恥ずかしさが甘酸っぱさを連れて来る。

どうやら僕は
林檎の匂いでいっぱいだったあの日の空を
悔しいけれど忘れられずにいるようだ。



不思議の国で、また逢おう。

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