2014年1月4日

めでたくもあり、めでたくもなし



わけあって、
手入れの行き届いた植木が並ぶ
広大な庭を持つこの家から転居することになりました。
裏には竹薮、これもまた大家さんの敷地であり
全体で何坪あるのか見当もつかないくらい広いのです。
春にはタケノコがにょきにょきと顔を出し
その旬の旨さに舌鼓を打つことも出来なくなってしまうのが寂しい限り。

思えば此処に移り住んでから、もう10年が経ちました。
ペットも楽器もピアノも騒音も、果ては庭のバーベキューまで
何もかもがOKだった信じられないほどの環境だったもので
ついつい長く住み着いてしまったのです。
10年と言えばひとつの歴史、その間に犬一匹、猫五匹が他界して
長男の結婚や末娘の嫁入りなど、たくさんの思い出が蘇ります。

ここへ越して来た翌々年の2005年1月、
三十数年間も封印していた「かずら」の名前で僕が再び歌い始めたのも
この環境が後押ししてくれたような気がします。
生まれて初めての大きな事故に遭い、右半身の麻痺が半年も続いたことや
その事故の影響で自律神経を患ったせいか
右眼の網膜が壊死して2時間半にも及ぶ眼球手術を受けたこととか
10年の間に何と3度も入退院を繰り返しましたけど
どっこい元気に生きていられるのも、この家の守り神のおかげなのかも知れません。

そんな数々の歴史を刻んできたこの場所ですが
残念なことに、この旧い家は年内に取り壊され
竹薮も伐採されて広大な敷地は宅地に生まれ変わるそうです。
税金対策らしいですが、相続税って大変ですものね。

結果、僕や家族の沢山の思い出は跡形も無く消え失せるわけで
訪ねて来た友人たちの痕跡もまた、全て無くなってしまうのです。
けれど、人生の転機ってそんなものなんでしょうね。
先日、冥土の道の一里塚と書きましたが
この先の「はっぴいえんど」へと続く道をどう切り開いて行くか
そして、どう完結させるべきかを考えるには良い機会だと思っています。
大瀧さんの突然の死も、それを暗示してくれたのかも知れません。

日常の連続性を一度断ち切られる形になりますが
幸せな結末ってやつを僕なりに考えてみることにします。

でも幸せなんて
何を持ってるかじゃない
何を欲しがるかだぜ

「ゆでめん」ラストのこの言葉は
今でも僕の胸に突き刺さったままです。
この棘を抜くことは、たぶん死ぬまで無いでしょう。
否、抜きたくないんです。

*

2014年1月3日

Sayonara America.Sayonara Eiichi



ヴァン・ダイク・パークス氏がTwitterで
大瀧さんに哀悼の意を表してました。
https://twitter.com/thevandykeparks/status/418521586702905344/photo/1

さよなら亜米利加
さよなら詠一

粋な言葉で見送ってくれたものです。
嬉しかった反面、複雑な心境にもなりました。
65年間、彼の体に蓄積された膨大なアメリカンポップスが
一夜にして消失してしまったんですから。


ヴァン・ダイク・パークスとの突然の出会い、
ハリウッドのサンセット・サウンド・レコーダーズでの
「HAPPY END」レコーディング秘話についてはこちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/HAPPY_END_(%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0)


*

2014年1月2日

冥土の道の一里塚



元日恒例、今年も家族がポンタ邸に集まり
大勢で賑やかに新年を祝うことができました。
皆が元気に顔を揃える、これほど楽しく幸せなことはありません。
このささやかな幸福に感謝しながら2014年は始まったのです。

長男一家が来るのを待つ間に
近所(と言っても20分ほどは歩きます)の神社へ初詣に出掛け
ポンタ一家と私の四人でお参りをして来ました。

私の引いたおみくじは当たり障りの無い吉、
良くもなく悪くもない、そんな一年だそうです。

「ゆきくれて  まよえる野辺のほそみちに さやけき月の  かげはさしけり」

目上の人のひきたてにより
思いがけぬ幸いがあります
心を引き立て奮発して一心につとめなさい
けれどあまり勢いにまかせて
心におごり生ずると災いあり

・・と、ありました。
要は自分次第、てことですかね。



大瀧さんの訃報から一夜明け
ようやく気持ちの整理がつき、ひとつ心に決めました。
僕、歌わなきゃだめです。
声が出る間は、ジジイになるまで歌ってなきゃならないんです。
おこがましいようですけど
先人たちと同じ時代を生きた者として
語り継ぎ、歌い継いで行くことが
残った者たちの役割であることに気付いたんです。

「門松は冥土の道の一里塚」
旧い友人がFBのコメント欄に書き記してくれました。
一休の狂歌で「めでたくもあり、めでたくもなし」と続くんですが
年を重ねることで一歩ずつ死に近付いて行くことを比喩しています。
そう、僕らの歳になると
やがて屍となる時間の方が確実に短いんです。
人の死を悼み哀れむよりも、今の自分に何ができるのか
それを考えることの方が重要なのです。
大晦日を前にして、慌しく旅立って逝った大瀧さんの
それは彼の茶目っ気たっぷりな遺言だったのかも知れません。

今年は激動の一年になりそうだと、昨夜のBlogにも書きましたが
ここから先の生き方が、大きく変わりつつあるようです。
予告から本編へと、毎日発信して行きます。
棲み家が移り、関わる全てが変わるやも知れませんけど
2014年は、僕にとっての転換期となりそうです。

冥土の道の一里塚、
何だかワクワクさせる歌じゃないですか!


*

2014年1月1日

扉の向こう側



物言わず
静かに去り行く筈だった2013年は
大晦日の朝に衝撃的なニュースを残し
呆然と佇む僕の目の前で
慌しくその扉を閉ざしてしまいました。
それはまるで
過去という時間に囚われるなと言わんばかりに。

でも、大瀧さん
あなたが居なければ
僕は歌っていなかったと思います。

ゆでめんと風街は
僕を目覚めさせた原点とも言える音に溢れ
その後のベルウッド盤にもインスパイアされたものです。

ナイアガラムーンをリリースした頃だったでしょうか、
福生のお宅を女房と友人で訪ね
母屋で晩ご飯をご馳走になってから
伽藍とした45スタジオに移り
朝までブラックジャックに戯れましたよね。
まさに、楽しい夜更かしでした。

朝がすっかり明けてから
皆で近くの定食屋に行き、生姜焼きを頬張った思い出が
今でも鮮烈に蘇ります。
けれど、あなたの言う通り
その大切な思い出の記憶はいつもモノクロームで
朝の眩しい光に目を細めたような映像でしかありません。

その後数回お会いしてますが、覚えてますか?
某百貨店で催されたニッポン放送の機材放出セールで
1インチのモノラル・オープンデッキを衝動買いした時も
哲ちゃん(故・岸本哲)と一緒に傍で笑って見てましたよ。

ナイアガラレコードを立ち上げてから
エレック、コロムビア、CBSソニーと渡り歩くうち
やがてロング・バケーションの大ヒットで
あなたは音楽界で著名な人物となりました。
でもね、NHKの夜のニュースで
時間を割いてあなたの訃報を伝える光景を見ていると
何だか不思議な感覚に陥ったのも事実です。

70年代初頭、はっぴいえんどは玄人受けはしていたものの
世間はあくまで亜流としか捉えてなかったんですからね。
ゆでめんも風街も、果てはナイアガラ・ムーンも
僕(ら)の密かな宝物だったんですもの。
それが大きく報道される現代が、不思議に思えてしまうんです。

哲ちゃんとはもう会いましたか?
布谷さん、元気にしてますか?

僕もいつかそちらへ行くんでしょうから
その折には僕の歌も聴いてくださいね。
哲ちゃん、それまで御大のお相手よろしく!



そんな年の初めです。
パッカーンと開いた新年の扉の向こう側が
空虚に思えるのは僕だけなのかも知れません。
けれど、
僕にとっては激動の年になりそうな予感がしています。
残った者として、動き始めなきゃ。

でも、
今夜だけは勘弁してください。
街角で一人、ぽつんとさせてください。

http://youtu.be/33jJd0G3QSA

*

2013年12月31日

淡々と。。



2013年が終わろうとしています。
淡々と。

この一年を振り返ると
後には案外と平坦な道が見えるものです。
いくら紆余曲折があったとしても
なんてことはない、真っ直ぐな道でした。

あまりにも真っ直ぐすぎて
なんだか拍子抜けしてしまいます。
あれこれ悩んだことや
心乱れた数々の出来事は
いったい何だったんでしょうね。

いつもこうして暮れて行くんです。
淡々と。

まったく時間てやつときたら
お構い無しに進んで行くんですよね。
それもピーンと張られた糸のように
律儀な航跡を残しているだけで。

よろよろと千鳥足で歩いていた筈なのに
或る日のこと、道を外れた形跡も無く
ただただ真っ直ぐな一本道なのです。
人生ってやつも、そんなものなのかも知れません。

くよくよするなよ。
行く年は最後にそう語りかけているかのように
穏やかな微笑みを浮かべ静かに去って行くのです。
淡々と。

愚か者は
それで救われた気分になります。
故に年が明ける瞬間を待ち望むのでしょう。

かくいう私も然り。
垢に塗れた365日を見送ろうとしています。
淡々と、淡々と。

それでも日常ってやつは
変わることなく続いて行くのです。
淡々と、淡々と、淡々と。



2013年、
かずら的日常をご愛読頂いた皆様に感謝致します。
幸福に満ちた良い年をお迎えください。

淡々と。。

*

2013年12月29日

ニッポンよ、もっと不便になれ!



今年はちょいと働き過ぎました。
疲れきって家に戻り
いつものように遅い晩ご飯を食べてから
くぴくぴと焼酎を飲むうちに
荒んだ心がようやく和んできます。
やっぱ家はいいなあ。

昨日も今日も
物流の仕事場は苦情の嵐。
電話を取る度にボロクソ言われてしまいます。
客の罵声にじっと耐えなきゃならいなんて
因果な商売に手を染めてしまったものだと
つくずくそう思います。

業界トップの最大手ではありますが
業績と効率ばかりを追い求めるこの会社、
たぶん数年後には内部崩壊してるんじゃないでしょうか。
ブラックどころではなく、ヤクザな会社です。

ヤクザさんに失礼な物言いかも知れませんけど
社員や従業員にとってはブラック、
お客の立場から見るとぼったくりのヤクザ、みたいなもんです。
(チンピラ風情の困った客も多いんですけどね)

拡大路線ばかりじゃなく
時として事業を縮小してでも品質を高めるってことが
巨大化・肥大化した企業にはできないものなんでしょうかね?

私が在籍する会社では
新聞社に画像を添付した内部告発があり、
その後何度も大きく報道されました。
現場が悲鳴を上げている、
客の要求に対応しきれないという内容でした。

要は、現場の処理能力を超えるほどの
大量の注文を取り過ぎているんです。
それを秒刻みの生産性という数字に置き換えるだけで
曖昧な人間の作業や行動を管理しようというのが
そもそも大きな間違いなんだと思います。

客に過剰なサービスを提供し続けることによって
現場の負担は増し、やがて労働意欲が欠乏してしまい
挙句、サービスや品質の低下に繋がることを
企業のトップは最優先に考えなくてはならない筈ですが
内部告発が環境を変えてくれる一因にはなりそうにありません。

私の所に限らず
この手の企業が如何に多いことか。
今までに何度も同じようなことを書いていますが
この国、もう少し不便になってもいいんじゃないですか?
過度な便利さや手軽さは、人間を甘やかすだけです。
その「サービス」のために深夜まで働く者が居て
昼と夜がひっくり返っている者たちのための「サービス」が生まれ
首都圏は便利さに慣れ過ぎてしまいました。

人間は豊かさを求めるあまり
別の豊かさを失ってしまう愚かな生き物だ。

NHKの朝ドラで老人が呟いた言葉です。
知恵や手先の器用さがあったとしても
人間とはエゴに満ちた極めていい加減な生き物です。
己の都合しか頭にありません。
そんな危険分子に、特上の便利さを与えることは間違っています。

この国が良い方向に動くためには
少々の不便さを受け入れることができるかどうかでしょう。
我が侭な人間は何もかもを自分のライフスタイルに合わせようとしますが
果たしてそんな理不尽さは通用するのでしょうか。
それを許してしまう企業の責任は大きいと思うんです。

個々の人間、全てを満足させられるサービスなんて
そんなもの必要ありません。
不便な暮らしの中でこそ、人間は知恵を働かせるのですから
至れり尽くせりの過剰なサービスは諸悪の根源だと私は思っています。

綺麗事ばかり並べ立てる我が国の大企業よ、
損得を考えず国民に不便であることの尊さを植え付けたまえ。



2013年、今年を総括した言葉であります。
ニッポンよ、もっと不便になれ!

*

2013年12月28日

ずずずーっと



冬は
ラーメンよりも蕎麦がいい。

ふと
そう思い込んでしまうと
なんだか無性に喰いたくなる。

馬鹿だねぇ。

大晦日の楽しみは
なんと言っても家族で喰らう年越し蕎麦。

ずずずーっと啜る音が
たまらん。

嫌なことも
良かったことも
ずずずーっと一緒に飲み込んでしまう。

そのいい加減さが
たまらん。

喉元過ぎれば熱さを忘れる
先人は上手いことを言ったものだ。
胃袋に流し込んで
それですべてが終わってしまう。

悪行尽きぬ人間の
一年の締め括りに
これは好都合だ。

今年もまた
ずずずーっとやってみるか。

*