わけあって、
手入れの行き届いた植木が並ぶ
広大な庭を持つこの家から転居することになりました。
裏には竹薮、これもまた大家さんの敷地であり
全体で何坪あるのか見当もつかないくらい広いのです。
春にはタケノコがにょきにょきと顔を出し
その旬の旨さに舌鼓を打つことも出来なくなってしまうのが寂しい限り。
思えば此処に移り住んでから、もう10年が経ちました。
ペットも楽器もピアノも騒音も、果ては庭のバーベキューまで
何もかもがOKだった信じられないほどの環境だったもので
ついつい長く住み着いてしまったのです。
10年と言えばひとつの歴史、その間に犬一匹、猫五匹が他界して
長男の結婚や末娘の嫁入りなど、たくさんの思い出が蘇ります。
ここへ越して来た翌々年の2005年1月、
三十数年間も封印していた「かずら」の名前で僕が再び歌い始めたのも
この環境が後押ししてくれたような気がします。
生まれて初めての大きな事故に遭い、右半身の麻痺が半年も続いたことや
その事故の影響で自律神経を患ったせいか
右眼の網膜が壊死して2時間半にも及ぶ眼球手術を受けたこととか
10年の間に何と3度も入退院を繰り返しましたけど
どっこい元気に生きていられるのも、この家の守り神のおかげなのかも知れません。
そんな数々の歴史を刻んできたこの場所ですが
残念なことに、この旧い家は年内に取り壊され
竹薮も伐採されて広大な敷地は宅地に生まれ変わるそうです。
税金対策らしいですが、相続税って大変ですものね。
結果、僕や家族の沢山の思い出は跡形も無く消え失せるわけで
訪ねて来た友人たちの痕跡もまた、全て無くなってしまうのです。
けれど、人生の転機ってそんなものなんでしょうね。
先日、冥土の道の一里塚と書きましたが
この先の「はっぴいえんど」へと続く道をどう切り開いて行くか
そして、どう完結させるべきかを考えるには良い機会だと思っています。
大瀧さんの突然の死も、それを暗示してくれたのかも知れません。
日常の連続性を一度断ち切られる形になりますが
幸せな結末ってやつを僕なりに考えてみることにします。
でも幸せなんて
何を持ってるかじゃない
何を欲しがるかだぜ
「ゆでめん」ラストのこの言葉は
今でも僕の胸に突き刺さったままです。
この棘を抜くことは、たぶん死ぬまで無いでしょう。
否、抜きたくないんです。
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