2014年8月26日
あらすじ
まるで悪い夢でも見てしまったかのような
現実とはとても思えないような事件から八日が過ぎました。
18日の夜のこと、自宅でカミさんが高い位置から落下・転倒して
あろうことか3箇所も骨折してしまったのです。
事の次第はリビングの椅子とテーブルに片足ずつを掛け
天井を蠢くGを退治しようと腕を伸ばした次の瞬間、
顔面に落ちて来たそいつを避けようとしてバランスを崩し
勢いよく床に落ちてあちこちを強打、救急車を呼び病院に搬送されたのですが
レントゲン検査の結果、左の手首と肘、おまけに右足の踵まで
計3箇所の骨折と診断され、翌日の午後に緊急手術を受けるという重症でした。
彼女、もともと痩せている上に細くて脆い骨でしたから
ポッキリと見事に折れてしまったようです。
落胆からか、手術直後は食欲も気力も全く感じられない表情でしたが
ここ数日ようやく明るさを取り戻し、食事も普通に取るようになり
始まったばかりのリハビリにも真摯に取り組むようになりました。
されど3箇所もの骨折ですから、ギプスが外れるまでに3~4週間
その後リハビリ病棟に移り、数ヶ月の入院が続くことになりそうなので
まだまだ先は長いですし、根気と気力がどこまで維持できるか心配になってしまいます。
僕は(その事件の現場に居合わせた身としての)後悔と肩身の狭さもあり
日常生活の維持と毎日仕事場へ行く前の見舞いを欠かしませんけど
どうやら疲労はピークに達しているようです。
正直、疲れました。
SNSもとんとご無沙汰で、開いてゆっくり見ることもほとんどありません。
不審に思われた方々、ご心配お掛けしてすみませんでした。
今夜、ちょっとだけ返信したりコメントしたりしましたけどね。
悪夢・・
あの日のことを思い返すと、不思議な空気が流れていました。
普通なら絶対に(不安定な)椅子に乗ることなどない彼女ですけど
本人も、そして一部始終を見ていた僕も、それが当たり前のことのように
何の危機感も抱かないまま事が進んで行ったのがとても不思議でした。
まるで誰かが書いた筋書きに従うような
事の重大さが一連の流れを目にしただけのように(とても自然な)展開だったのです。
ここからは少々現実離れした話になりますが
それは前々日の16日から始まっていた気がします。
16日の夕方、カミさんから不可思議なメールがありました。
「明日の晩、誰か泊まりに来るって言ってなかった?お布団どうしよう?」
そんな話をしたことも無かったので、よもや痴呆が始まったのか!?
妙な心配をしてすぐにメールを返し、帰宅してから改めて聞いてみると
18日は僕が休日だったので、前の晩に誰かが来ると言ってたような
夢か錯覚だったかも知れないと、その件はひとまず決着しました。
そして18日、旧い友人から突然「遊びに行ってもいい?」とメールがありました。
もしやこの人のことだったのかしらね?とカミさんは笑ってましたが
僕はあまりの偶然に何だか不思議な感覚を抱いたことを覚えています。
やって来たその彼女と駅前の立ち飲み屋で少しだけ飲み
その後、晩ご飯を食べて行ってもらうため家に招き
あれこれ歓談しながらの食事中に冒頭の事件が起きたのです。
どんな経緯かは忘れましたが、お互いの家族の霊感についても話題にしてました。
申し訳ないことに、2年ぶりに会った彼女まで事件に巻き込んでしまったわけですが
事件後の暫くの間、あまりにも有り得ないことの結末について
僕は彼女が何かを呼び込んだのではと思ってしまいました。
ところがそれは大きな間違いだったようです。
後日病院に見舞いに来た末娘の話では
17日か18日の朝、子供を連れて出掛ける折にリビングのドアを閉めると
「おばあちゃんのお化けがお家に入れなくなるから開けといて」と、言ったそうです。
・・おばあちゃんのお化け?
幼児が言ったその言葉、
誰かが泊まりに来ると言ったカミさんの言葉、
それらはもしかすると彼女の突然の死を意味していたのかも知れません。
だとすると、あの日唐突に現れた友人は
(何かを引き連れた)救世主だったということになります。
確かに3本骨折は重傷ですが、幸いにも頭を打つこともなく済んだことで
カミさんはこの世に踏みとどまることが出来たわけですから。
考えすぎでしょうか?
けど、僕もカミさんもことあるごとにそんな話をしながら
(筋書き通りの)死に至ることが無かった結果に安堵しているのです。
真実はどうであれ、
そんな風に楽観的に考えられる僕ら夫婦は
自分で言うのもおこがましいことですが素敵だと思います。
けれど決してポジティブなわけじゃないですよ。
猫と同じで、過去や未来を深く考えられないだけなんでしょう。
それは大雑把なO型特有のものかも知れませんし、
元来僕らは身に降る火の粉も他人事のように思ってしまう大馬鹿者ですから
過ちを犯した恥じらいを忘れるための逃げ道なのかと・・
経済的な困惑と先行きの不安に慄きながらも
どっこい貪欲に生きてる僕らを笑ってください。
病院でも話題になるほど稀な「日常生活での三箇所骨折」のカミさんを
心配そうに思うことなく、ばっかじゃねーの!くらいな目で見てあげてください。
もはや笑うしかありません。
しかしながら、疲れました。
寝不足だというのに、酒も煙草も増えてしまったのは
これがストレスってやつなんでしょうかね?
休日の深夜、八日間のあらすじを書いてみました。
おやすみなさい。
*
2014年8月22日
あしからず。
月曜の夜に大きな事件が起きまして
日常生活がとんでもないことになってしまいました。
そのことから先行きの不安でいっぱいになり
僕の疲労も極限状態に陥って
数日間は言葉を発することも出来ないでいましたが
ようやく少しだけ回復してきた気がします。
ここ最近、音沙汰が無いことを不審に思い
心配される方もいらっしゃったようですから
その点につきましてはお詫び致します。
事の詳細につきましては
今は語らぬ方が良いかと思いますので
いずれ頭の中を整理してから書き記す所存です。
抽象的な内容で大変心苦しいのですが
もう少しだけ時間をください。
暫くはとてもタイトな日々が続きますゆえ。
あしからず。
*
2014年8月16日
怖や怖や。
別に大した代物じゃないんだけれど
つい数日前まで其処にあった物が忽然と姿を消してしまうと
もしや己の記憶が曖昧なのではと思い、冷や汗をかいてしまった。
開け放った窓から吹き込む風に飛ばされたんだろうとは思いつつ
待てよ・・
其処にあったのを何処かへ移動したのか?
其処にあった、というのは思い込みに過ぎず
実は別の場所に置いたことを忘れてしまっているのか?
自分の記憶を疑い始めると
よもやこれが痴呆の始まりなのでは!?
どんどん悪い方へ思考が偏って行く始末。
ああ、何処へ行ってしまったんだ。
深夜に部屋のあちこちを探し回ると・・
あった。
デスクと窓の下の壁の隙間に落ちていたのを見つけた。
たぶん風の強い日にカーテンに煽られて落ちてしまったんだろう。
拾い上げると、言い知れぬ安堵感に満たされた。
「其処にあった」という記憶が間違っていなかったことで
ひとまず痴呆の疑いが晴れたからだ。
・・やれやれ、そんなことまで心配する歳になってしまったのかい。
あまりに現実的で怖いね。
怖や怖や。
一昨日、軽く飲みに出掛けた東白楽のB.C.B.G.
現在改装途上でライブ・スペースを充実させる模様。
諸事情から反町No Borderを閉めてしまったので
これからは此処で歌う機会が多くなるのかも。
まずは毎年恒例の「己を祝う会」
今年はこのB.C.B.G.で催します。
リアルタイムに10月8日の水曜日、20時頃から。
詳細は追ってお知らせしますんで覚えておいてくださいな。
場所は東横線の東白楽駅下車、徒歩3分ほど。
フードも充実!
ケツは完治、酒も問題なし。
たまには歌わねえとな。
怖や怖や。
http://www.geocities.jp/noborderyokohama/bcbg/index.html
*
2014年8月15日
語り部になろう
終戦記念日。
69年前のこの日から
我が国は戦争を放棄した。
その記念日であることを誇りに思い
多くの犠牲の上に今日の豊かな暮らしがあることを
絶対に忘れないようにしなければいけないし
愚かな過ちが繰り返されることの無いように
僕らは永遠に語り継いで行かなければならない。
けれど、
「いつまでも原爆やら戦争やら
過去のことをうだうだ言ってんじゃねえよ」
ネットでは、そんな目を疑うような書き込みも多い。
これは怖いことだ。
10万人、100万人の反戦の声が
わずか一握りの人間たちによって掻き消され
やがて大衆が扇動・洗脳されて行く歴史を何度も見てきた。
いつの時代にも必ず居るんだよ、馬鹿が。
終戦記念日ってのは高齢者の催しだと思ってるような連中が
ゲーム感覚で戦争を軽んじてしまう恐怖と
69年前の敗戦を未だに屈辱だと思い続けている輩。
そんな奴らが一番怖い。
いや、一番怖いのは
国家という二文字で括られたときの凶暴さと暴走だ。
国の威信、国の面子、国の不利益、などというやつ。
国防と言えば聞こえはいいが、その対象には「敵国」がある。
そして正義を訴える戦争が勃発するのだ。
義は、言い訳にしかすぎない。
その義を持って、何十万何百万もの大量殺戮を正当化できる筈もないし
その果てには憎しみと悲劇しか生まれてはこない。
僕が幼少の頃、おふくろがよく言っていたものだ。
「日本は戦争に負けて良かったんだよ」
身の程知らずの思い上がった考えが愚かであったことを知る
その機会を得られたことが幸運だったと言いたかったのだろうが
幼かった僕には何のことやら、当時はその意味がまったく解らなかった。
終戦直前の北海道、畑仕事をしていたおふくろたちに
突然飛来したソ連の戦闘機が面白半分で畑に機銃掃射を繰り返していたそうな。
パイロットが笑いながら操縦しているのが見えたらしい。
当時アメリカに「北海道をくれ」と言ったソ連、
もしもそうなっていたなら、僕は日本人ではなかったかも知れないのだ。
戦争という人間の最大の悪事に纏わる出来事を
運命の悪戯などという言葉で表現したくはないが
北と南、或いは東と西に分割されなかったことだけは
不幸中の幸いと言うべきだろう。
ただし、それを決定付けたのが広島と長崎であることを
僕らは絶対に、絶対に忘れてはいけない。
八月は、日本の国民として思いを新たにする
そんな夏であり続けなければならないのだ。
僕らはその
語り部になろう。
*
2014年8月13日
ハイカイ爺さん
すっかり忘れてた。
松島病院で完治のお告げを頂いたとき
内圧検査を受けたその結果を聞きに行かねばならなかったことを。
あじゃぱあ~(古すぎ?)
やむをえん。
明日はそれだけを聞くために松島へ赴こう。
お盆休みの真っ最中なので外来は空いてるだろう。
待てよ?
腰の具合もずいぶんと良くなったような気がするし
暑い中、わざわざ街まで出掛けるのだから
ついでに馴染みの店でも徘徊してみるか。
ケツと腰の快気を己で祝うってやつ。
・・と、企んだはいいのだが
お盆休みってやつは人だけじゃなかった。
お店も休んでいる処が多いのよね。
があーん。
まあいいさ。
行ってみたら休業の貼り紙があったとしても
僕は恨まないよ。
ドアを蹴飛ばして帰るかも知れないけどさ。
閉まってる店の前でブツブツ呟いてる爺を見たら
たぶん僕なので(労わるように)声掛けてください。
日除けのダンボールを被ってるかも知れないけど。
ハイカイ爺さん
ハイカイ爺さん
(ハイサイおじさんのメロで)
*
2014年8月12日
ぼったくり
旧宅の近くに安い車検専門店があったので
今回はここを利用してみようかと思う。
ドライブシャフトのアウターブーツは交換しなきゃならないだろうけど
それを加えても他より安く上がりそうだ。
一応、陸運局指定工場の資格もあるようだから
某カーショップ辺りの作業よりは安心して任せられるかもね。
とは言っても、諭吉が数枚飛んで行くわけで
この時期になると日本の車検制度が憎たらしくなる。
自賠責の保険金額も馬鹿にならない。
昭和30年に施行された自動車損害賠償保証法に基づく保険制度らしいのだが
任意保険の加入率が高い現在まで継続されてるのが不思議なくらい。
重量税と合わせると、軽でも3万円を遥かに超えてしまう。
国のぼったくりとしか思えないわ。
しかも怪我をしたときの最高補償額120万円、
死亡時でも最大3000万円とケチな支払い限度額なんだからね。
ほんとに必要な制度なの??
税金、諸費用、証紙代と合わせて
まるまる国庫に収まるなんて、おかしいのとちゃいまっか!!
*
2014年8月11日
疲労感
昨日の日曜、
たまたま仕事が休みだったせいもあり
家から一歩も外へは出なかった。
時折吹き付ける激しい雨と風。
こんな日は不要不急の用がない限り
外出せぬようにとテレビのアナウンサーが言うもんで
初老を自負する僕は素直に従ったまでである。
確かに、大雨や台風で不幸にも命を落とすのは
老人が多いことは間違いない。
増水した用水路の様子を見に行くと言って出掛け・・
台風に備え屋根に上って修繕中に足を滑らせ・・
みたいな。
毎回のようにそんなニュースが流れると
うちのカミさんはいつも怒るのだ。
なんで外なんかへ出るのさ!
危ないからノコノコ出てくんじゃない!と、容赦ない。
でも、高齢化社会の現代では
外の様子を見たくとも、他に頼む相手も居ないだろうし
他に人手も無いのだから仕方ないと思うんだけどね。
豪雪地帯で屋根の雪下ろしをしてるのも、みんな高齢者だ。
気の毒だから、そんなに怒るなよ。
そんなわけで
まだ若手の部類の老人である僕は
家に篭りだらだらと過ごしていたのだから
雨に濡れることも強風に煽られることも一切無かったのであるが
一夜明けた今日になっても、何だか激しい疲労感に襲われていた。
密閉された室内に居たというのに
外から襲って来る気圧の変動にやられたのであろうか。
たっぷり寝た筈なのに、今日は終日眠くて仕方なかったくらいだ。
大型台風、恐るべし。
今夜はちょっぴり秋の気配。
窓の外から虫の鳴き声が聴こえてくる。
今年の夏は短いかもな。
*
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