2015年8月9日

ぷにょ



昼間、30度を超えているにも関わらず涼しいと感じたのは異常としか思えない。けれどそんな日の夜、窓を開けるだけで心地好いのはありがたい。ピンクの肉球は今夜も柔らかだ。


2015年8月6日



今日は二の丑。一の丑に安くてお得なうな丼を探し求め、くら寿司に辿り着いて食した「まさに最高傑作!寿司屋のうな丼」が美味だったことから、娘に買って行き乳飲み子のおっぱいの原料にしてもらうつもりだった。・・しかし!二の丑だというのに「もう終わりましたあ」と、残念すぎる結果に落胆。並が580円、特上が980円という史上最安値の価格ながら、肉厚で柔らかくてジューシーな味わいの鰻を届けてあげることはできなんだ。双子の乳飲み子よ、すまん。


今日もよく泣かれた。体温の高い爺さんに抱かれると暑くてイヤみたい。くっそー、冬なら心地好いんだろうになあ。けど珍しいことに、ちょっとの間だけおとなしく抱かさっていた瞬間がある。ぐずっていたのに泣き止んでさ。あら不思議、初めての経験だわ。
気を良くした爺さんに娘がぽろっと呟いた。「抱いてる赤ちゃんを落っことす事故の確率は爺さんが一番高いんだってさ」はい、肝に銘じておきます。わなわな。

2015年8月4日

暮れる



友人の呟きを見て気がついた。僕は殊の外「暮れ」の情景が好きな男だと。
日暮れ夕暮れ年の暮れ、はたまた途方に暮れたりと、様々な「暮れ」の色合いは、淡く儚く時間を染めて行く。
「明け」が始まりを物語る言葉なら「暮れ」には静かに幕を閉じる舞台を感じさせてくれる。

「くれ」繋がりで捉えるなら、紅(くれない)も好きな言葉で好きな色だ。それは「暮れない」と否定されているようで、そのせめぎ合いが面白くもある。

2015年8月3日

言い訳ばかりの近況



双子誕生で大わらわの娘宅に、家政婦として応援に行っていたカミさん。およそ1ヶ月に及ぶ任務を終えて昨日帰宅致しました。車で迎えに行ったわけですが、夏風邪がようやく完治した僕はと言えば、なんと3週間ぶりに双子ちゃんとご対面。暫く会わないうちに体重が1Kgくらい増えていて、細かった彼女たちの顔がふくよかになっておりました。順調に育っているようで、先ずはひと安心といったところです。
それにしても今年の夏は暑い。自然界の殺意まで感じてしまう暑さです。体調を崩していたせいもあり、仕事場への往復と家事だけでヘロヘロの情けないジジイであります。FBを覗いてみると、この猛暑の中、みんな精力的に動き回ってますね。中には僕よりお歳を召した方々まで。ひ弱なジジイは情けなくなってしまいます。
ああ、ちょいとぶらりと呑みに出掛けたい。自分はミュージッシャンの端くれなんだと思えるようなライブもやりたい。そんなこんなも、このクソ暑い夏空の下で地団駄踏んでいるのです。
言い訳ばかりの近況でした。ぐっない。

2015年7月4日

休日



休日の朝は肛門嚢炎を再発した猫を病院へ連れて行くことから始まった。
娘と双子の赤ちゃんが退院したその日から
泊り掛けで娘の家に応援のため出掛けたカミさんが留守中の出来事。
昨年もそうであったが、この子はカミさんが長期不在のときに具合が悪くなるようだ。

先生の勧めで今回はウイルス検査をしてもらうことにした。
後ろ足に採血の注射針を刺されたときは可哀想だったけれど
痛がることも暴れることもなくじっとしていたのは緊張のせいなのか。
いや、可哀想なのは僕のお財布。
健保の無い猫であるから、10割負担の高額医療費は痛い出費だ。
家族の一員なのだから仕方ないけどね。

夜になってからいつものペースに戻ってきたみたい。
寝相と寝顔に寛ぎが感じられるようになった。
ひと安心。
来週は検査結果を聞きに行かなくちゃ。


午後から娘宅へ向う。
退院から三日目、あやつらはどうしているか。

よく寝てた。
二人並んで同じポーズですやすや寝てた。
というか、娘の旦那もカミさんもみんな揃って転寝してた。
皆さんお疲れのご様子、お勤めご苦労様です。

腹が減ったと泣き出し始めたついでに妹から沐浴。
ええ気持ちやわあ~と、そう顔に書いてある。


姉も沐浴の後は食欲旺盛。
拳を突き上げてミルクを平らげる。
よく寝、よく飲み、今のところは順調に育っているようだ。


お孫さんにと、僕の友人が送って来てくれた赤い靴下。
履けるようになるのは1年くらい先だろうけど、娘が喜んでましたからね!
どうもありがとう。
次はペコちゃんポコちゃんグッズかしら?(笑)

*

2015年6月30日

中立、ですから



世の爺さん婆さんたちが
何故に孫を可愛がるのかというと
子育てという親が背負う重圧が無いからなのだと
今になってようやくわかりました。
養育や教育、果ては躾に至るまでの責任が無いのですから
これはお気楽になって当然です。
自分の子供であればきつく叱らなければいけない事でも
まあまあ、そんなに怒らなくても・・と言わんばかりに
孫を擁護する側にまわってしまうのは仕方ないことでしょう。

ただしそれは
中立を唱えるズルさですけどね。

若い時の僕も自分の子供たちに対して
彼らが幼い頃から(特に長男には)厳しく相対してました。
たぶん娘たち二人には甘いところがあったと思いますけど
男同士である長男とは真剣に向き合っていた気がします。

けれど「真剣に・・」というのは僕の思い込みだけであって
それは子育てへのプレッシャーと
父親としての威厳を保つだけの行為だったのかも知れません。
大人という親でもある者たちの多くは
躾や教育を盾に己を正当化しようとするものですからね。
ご多分にもれず、僕もそうだったんだろうと思います。

やがて子供たちは成長し、中学生くらいになってしまうと
何が真実か、何が正しいのかを自らの目と耳で学び取り
或るときを境に「親離れ」して行くのです。
その時分には、彼らの言い分の方が正しいことが多々あって
受け入れざるを得なくなる親の姿が滑稽でもあります。

あくまで、我が家の場合ですから
そうではないと仰る家庭もあるでしょうけど
僕よりも子供たちの方が、よっぽど大人に見えたものです。
情けないことに、それは現在もそうでして
彼らには頭が上がらず反論も出来ません。
なんたって、生活設計がちゃんとしてますもん。
至らぬ両親を見て育った「成果」が、そこにあります。


生後六日。
おでこに名前を書いておかないと見分けがつかなくなってきました。

木曜に親子三人揃って退院です。


*

2015年6月27日

お萩と赤飯


カミさんがお萩と赤飯を作った。
腕によりを掛けただけあって
かなり旨い会心の作だ。

皿に盛り付け車に積み込む。
かなりの量。
南本宿のお爺ちゃん(旧宅の大家)の仏前に
報告を兼ねてお供えするのだと。
お盆も近いし
家が取り壊される前にお線香あげときゃなかね。

ポンタが生まれたときも
(生前の)お爺ちゃんが美味しそうに平らげたらしい。
孫三人、生まれる度にそうしてきたからと言う
カミさんのそんな拘りが好きだ。

おかげさまで
無事に双子の赤ちゃんが生まれましたよ。
二人で手を合わせてきた。

たぶん
伝わったと思う。


生後三日目。
こやつら、よく寝る。
傍らの一人が泣き出すと
思い出したようにもう一人が泣き始める。

そして泣き止むと
もう一人も泣き止む。

またまた一人が泣き出して
親が抱き上げると泣き止む。
するともう一人が泣き始め
おやおや今度はこっちかいと
一人をベッドに戻してから抱き換えると
抱かれた方はすぐに泣き止む。
けれどベッドに戻された方が
じきに泣き出す。

この繰り返し。
双子の親は大変だわね。
体が二つか
腕が四本ないとやっていけない。

僕は思ったよ。
お気楽な「爺さん」の立場でよかったと。

それにしても
赤ん坊(特に女の子)の
泣き出す直前から泣いてる最中の顔って
どうしてこんなに可愛いんだろうね。

娘たちがまだ小さかった頃
その顔その仕草を見たさに
わざと泣かした経験が何度かある。

虐待・・かな。

*